「松野家は没落した武家でとても貧乏ですけど、しじみ汁を家族で飲んで大笑いしている。とても愛すべき温かな家族だなと思います」
明治時代に来日して『怪談』などの名作を生み出した小泉八雲と、彼を支えた妻の小泉セツがモデルのNHKの連続テレビ小説『ばけばけ』。
勘右衛門は武士の格を何より尊び、明治になっても髷を切らず、トキの夫の銀二郎(寛一郎)には剣術を厳しく指導。
その一方で、孫のトキにはめっぽう弱く、溺愛し、彼女の幸せを願っている。
「勘右衛門の時代との価値観のズレや、彼がどう変化していくのかを楽しんで演じています。
髙石さんや息子の司之介役の岡部(たかし)さんとは初めてご一緒しますが、義理の娘役の池脇(千鶴)さんも交えて撮影の合間にゆっくり話ができて楽しいです。でも銀二郎はかわいそうだよね(苦笑)。『ばけばけ』は家族の愛の物語です。それが、松野家の温かさとして伝わるといいな。僕もね、家族がいちばんなんです」
70代に入った今も、映画にドラマにと、八面六臂の活躍を見せる名脇役の半生を振り返ろう。
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小日向さんは、北海道の三笠町(現・三笠市)で大正生まれの両親のもと、’54年、3きょうだいの末っ子として誕生した。
「明治生まれの母方の祖父が三笠町の町長を務めていました。桂沢ダムの創設者で、家族でダムを見に行って写真を撮ったのを覚えています。
市町村合併によって初代市長選がおこなわれたとき、母が車の中からマイクを持って『お願いします~』と、言っていた記憶が残っていますね。でも、うちの祖父は負けちゃったの(苦笑)」
彼の実父はもともと禅宗の僧侶だったという。
「戦後になると、三重県大杉谷の住職を離れ還俗して、父は母の故郷で市役所勤めを始めました。
ただね、お寺の修行をした人だから、7歳上の兄と、4歳上の姉にはすごく厳しくて。でも末っ子の僕は『ふんちゃん』と呼ばれて、父にも母にも怒られた記憶がほとんどありません。
小学校から帰ると父が、僕の足の裏の汚れを拭いてくれるほどかわいがられていました。父は家が大好きな人でした。
役所の仕事が終わると直帰して、丹前を着てテレビの前に座っていましたね。趣味を持たない人で、食事は家で食べるのが当たり前。僕が家に居るのが好きなのは父譲りです(笑)」
■「学芸会の観客の反応がうれしくて、気持ちよかったのを覚えています」
彼の演技の原点は、小学2年生の学芸会だった。
「『こぶとり爺さん』の悪い爺さん役で、両頬にこぶをつけられて『エーン』と泣いて幕が下りる。
高校では美術部に所属した。
「油絵を描くことと、麻雀の面白さに目覚めちゃって、勉強もなおざりに。学校でも目立たない存在でした」
このころ描いた『夕焼け』三部作の中の一枚を出品して、北海道展で入選を果たしている。
高校卒業後に上京し、専門学校のデザイン科へ進学。青春を謳歌するはずだったが……。
「冬休みに姉と群馬県へスキー旅行に行ったんです。実は風邪をひいていたのですが、スキーが得意だったから準備せずに滑り出した途端、アイスバーンで転んでしまって左腕を骨折。救急車で群馬県の病院に運ばれました」
脱臼と複雑骨折の大けがを負い、手術するも回復に至らず、北海道の病院で再手術。さらに千葉県の病院に転院と、のべ8度手術を繰り返した。一時は肘が90度しか曲がらず身体障害者7級の認定を受けそうになる。18~20歳の2年間、入退院を繰り返す生活を余儀なくされたのだ。
服の袖をめくり、記者の眼前で今も腕に残る傷痕を見せてくれた。
「手術の繰り返しで脱臼して関節が外れたままで、骨折箇所もくっ付いておらず、千葉の病院では骨盤の骨を移植し大腿部の筋を取って、その関節に巻くという複雑な手術をおこないました。今もね、左手は左肩につかない」
痛みに耐える日々を送った一方で、思わぬ出会いも。北海道の病院では看護師の女性と恋におちた。
「お互い20歳になったばかりで、退院後に一緒にディスコに行って。東京に戻る際、“夏休みになったら再会しよう”と約束したんですが、僕が千葉の病院で入院と手術をしたので帰れなくて……。
1年後、ようやく北海道に戻ってデートしたとき、彼女は別の男性との結婚が決まっていたんです。『私を連れて逃げて!』と言われたけれど“小日向の息子が婚約中の女のコを連れて東京に逃げた”といった話が地元で広まってしまうのはありえないよな、と泣く泣く諦めました」
両親に迷惑をかける選択肢はなかったようだ。傷心のまま東京に戻り、専門学校の写真科へ入り直し学生生活を再開させた。
「父が最初の病院に交渉してくれたんです。手術ミスを認めた病院から、手術代と入院費用を出してもらったおかげで授業料や、カメラの購入費用を賄えました」
そんな彼に突如、ある決意が芽生えたのは2年後、専門学校の卒業間際のことだった。
「上京後はほとんどが入院、手術と壮絶な日々。
そうしたら『俳優になりたい』『小日向文世という存在を人々に認識してほしい』─そんな思いが湧き上がってきて。あれだけ痛い思いをしたんだから、後は好きなことをやろうと心に決めました」
暗黒の青春時代を経験してこその決断。そこで当時大ブレークしていた中村雅俊や松田優作らを輩出した劇団文学座養成所の試験を受けるのだが……。
「30人の募集に、約6千人が応募していて、何の準備もしてない僕は落ちました(苦笑)」
とはいえ、転んでもただでは起きない。バイト先の知り合いから中村雅俊や矢沢永吉のコンサートの企画運営会社の社長を紹介され、そこで仕事をすることになった。
「中村さんのコンサートの楽屋を設営したり、ステージにドライアイスを出したり、付き人の仕事もしながら『早く自分もスポットライトを浴びる側に!』と、劇団全般について調べていました。
中村さんからも『お前さ、スタッフをやっているのも、役者を目指すんだったらちゃんとしたところに行ったほうがいいぞ』と、言葉をかけられたんです」
中村雅俊に「そのつもりです」と笑顔で答えた小日向さんの頭の中には、すでにある劇団の名前が、浮かんでいた──。
■「大きな声を出して」という課題に「◯◯子─好きだ─」と絶叫
「オンシアター自由劇場」は、演出家の串田和美と、看板女優の吉田日出子が’75年に立ち上げた劇団で、吉田は、映画やドラマで活躍し、注目を浴びていた。
「ドラマ『木枯し紋次郎』(フジテレビ系)に出演していた吉田さんが所属する劇団がいいなと思ったんです。あと、文学座は入所金が高かったけれど、自由劇場は4万円と安かったの(笑)」
入団試験で「大きな声を出して」と、注文された小日向さんは、「◯◯子──好きだ─」と、声を振り絞って叫んだ。
「とっさにね、失恋した看護師さんの名前を叫んだの(笑)。
’77年、23歳。神宮前の四畳半、共同トイレ、風呂なしのアパートに住み、2つのバイトを掛け持ちして俳優としての道を歩みはじめた。
「劇団の稽古が、午後1時~5時。夕方から銀座のカフェのコック。夜11時~朝5時も原宿でバイトして仮眠後に稽古へ戻る日々。忙しかったけれど、充実していたなあ」
発声練習に加え、人前で瞬間的に喜怒哀楽の感情を表現するなど、連日稽古に明けくれた。
「恥ずかしいと思う暇がないくらいに集中してやらされましたね。
串田さんと吉田さんは僕の“芝居の両親”で、大事なことを教え込まれました。串田さんからは『すべてにおいて役者からの発想で考えるように』、吉田さんからは『ずっとお芝居のことを考えなきゃいけない』と──」
しかし現実では、役者の仕事はなく、裏方業ばかりが続き「辞めたい」と訴えたこともあった。
「履歴書にデザイン学校と写真学校と書いたので、さんざん裏方をやらされたんですね。
串田さんに「映像をやりたいから辞めます」と直談判すると「(仕事)来てから言えよ。お前が今、辞めたら、熟す前の青いりんごを海に捨てて腐るだけだぞ」と、説得されたという。
入団から5年目の’82年。27歳のとき『イカルガの祭り』(’83年1月上演)という作品で、とうとう吉田日出子さんの相手役に抜擢された。
そのころ、同劇団も『上海バンスキング』(’79年~)が大ヒット。役者業も充実し始めたころだったが、恋が実ることはなかった。
「バイト先で知り合った女性から豪華マンションを提供されて、段ボール4つ運んでアパートから引っ越したけど、あっという間に捨てられたり……(苦笑)」
浄瑠璃の名作『女殺油地獄』の主人公で、プレーボーイの与兵衛を演じたときは、自らも恋多き男になろうと努力したことがあったものの「自分の性に合わない」ことがわかり、やめたこともあった。
そして36歳のある日のこと。人生の一大転機が──。
「劇団員の後輩の女の子が、なにか寂しそうで、稽古の後、『ちょっと飲まない?』と誘ったの。僕もちょうど失恋した直後でした。それで2人で飲んで、なんか自然な感じで、縁の深さを感じてつきあい始めたのが、女房です(笑)」
奥さんは11歳年下で、演出家から期待されていた若手だったため、周囲には内緒で交際を続けた。
「女房とは、お金がなくてもちょっとしたおいしいものを『おいしいね』と満足できる価値観が同じでした。
そして何より『家庭をつくりたい。子供を育てたい』と言ってくれて深い愛情を感じました。
僕たちは人生の同志だったんですね。いろいろな別れがあってこそ女房と結ばれる運命だったんだなって、つくづく思います」
39歳で結婚。夫婦で羽根木公園を歩いていた際「子育てするならここがいいね」と決め、世田谷のマンションに新居を構えた。’95年、41歳のときに長男の星一さん(30)が誕生。
「もうかわいくてしょうがなかった」
父になった小日向さんだが’96年、19年間在籍した劇団が解散。生活が急変する。俳優として事務所に所属はしたが、連続ドラマ1本に出演した後、映像の仕事は単発ばかり。映像の仕事を取るために、舞台も休んでいたそうだ。
「貯金は0円なのに僕も女房も、『なんとかなる』と思っていて、アルバイトをするわけでもなくて。僕は一日中暇なので積極的に育児に参加していました。朝から息子と公園に行って女房とママ友たちと一緒の時間を過ごしたり」
’98年には次男の春平さん(27)も誕生した。
「ベッドを2つくっつけて、家族4人で川の字になって寝るのが大好きで。女房、星一、春平の足元にいて、体を伸ばすと全員の足を触っていられるのがうれしくてね。もう、本当に家族大好き~!」
『ばけばけ』の撮影でも、貧しいながら家族が笑顔でいる場面では、このころを思い出すという。
「お金はないけれど、狭い家でも本当に楽しくてね。今も、当時の家族写真を見ると、『このころに戻りたいな~』と思います」
幸せな日々ながら、家長として家族を養わなければならない。奥さんから「お金がなくなった」と言われると、その度に所属事務所に電話した。
「半年に1回くらい、まとめてかなりの額を前借りしていました。今思うとよく貸してくれたなと思います(笑)
でも僕には劇団で培ってきたものがある。だから仕事がくれば、期待に応えられるはずだという自信はありました」
それでも仕事はなく、被害妄想に陥ったことも……。
「女房が掃除機をかけていて、横になっている僕にぶつかると、『わざとやってるんじゃないか』と思って、『言いたいことがあれば言えよ!』と怒鳴ってしまったの。そしたら女房は『かわいそう』って抱きしめてくれた……。
でも、今思うと、本当はぶつけたんじゃないのかな~(笑)」
(取材・文:川村一代/ヘアメーク:河村陽子/スタイリスト:石橋修一)
【後編】小日向文世 芝居で参考にすることも…父が晩年に見せた“人間の黒い部分”へ続く

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