「太田はテレビとは違って、家にいるときは基本的に黙ってます。何にも喋らない。

全国のラジオをイヤホンで聴いていて、『話しかけるな』っていう感じです。どうしても用があるときにだけ、彼の目の前で手を振るんです。そうするとイヤホンを取りますけど、話しても声が小さくて聞こえない」

そう笑うのは、今年、爆笑問題太田光さん(60)と結婚35周年を迎えた太田光代さん(61)。言わずと知れた、爆笑問題の所属事務所の社長でもある。現在発売中の著書『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(文藝春秋)には、経営者として、また妻としてのトラブルだらけの日々が綴られている。

2人の出会いは’89年。当時タレントだった光代さんと爆笑問題はともに太田プロダクションに所属していた。同年、光代さんの自宅で行われた合同コントの打ち合わせ兼飲み会に太田さんも出席。朝方に参加メンバーは家路についたが、なぜか太田さんだけ光代さんの部屋に一人戻ってきたという。

「『映画を見に行かない?』って誘われたんですが、疲れていたし、まだ部屋の片付けをやらないといけないし。なので『銭湯に行くけど、あなたも行く?』って言ったら『行く行く』ってついてきたの。

私が、先に銭湯を出て待っていると、お風呂セットを全て買った太田が出てきたんです。

『これは居つく気、満々だな』と(笑)」

光代さんの予感は的中。太田さんは光代さんの部屋にそのまま居つき、交際がスタートした。

■憧れは三つ指つい旦那さまを出迎える妻だったのに…

2人は’90年9月に結婚。ちょうど同じころ、すでに人気コンビとなっていた爆笑問題が太田プロから独立したが、その後一時低迷してしまう。光代さんと太田さんの相方・田中裕二さん(60)がバイトに明け暮れるいっぽう、太田さんは自宅でゲームざんまいの日々。その結婚生活は、光代さんが独身時代に想像していたものとは、まったく違うものだった。

「それまで年上の方としか付き合ったことがなかったので、結婚したら、お相手は収入があって、私は働かないで、家のことをやっていればいいと思ってました。ガーデニングや、自分の作ったお皿に手料理をのせたりなんかして。着物姿で『おかえりなさいませ』って三つ指ついて旦那さまを出迎える、みたいな」

そんな家庭を夢見ていた光代さん。その背景には、前出の著書にも記された、母親が宗教活動にのめり込んでいたという特殊な家庭環境もあったのかもしれない。

■宗教にハマる母と離れて高校生にして一人暮らし

六畳もない部屋には、母親が購入した1千万円の巨大な仏壇が誇らしげに置かれ、高校生のころには帰宅が遅くなった光代さんに、母親から包丁が飛んでくることもあった。「この人と一緒にいてはダメになる」と、高校生ながら家を出て一人暮らしを始めたという。

そんな光代さんにとって、初めて付き合った年下である太田さんは、子どもっぽく感じたそうだ。

爆笑問題は’93年に「NHK新人演芸大賞」を受賞し、さらにネタ勝ち抜き番組でも活躍。そこで光代さんは、この実績を手土産に爆笑問題を太田プロに復帰させようと画策するも、太田さんの思いは違っていたのだ。

「思いつめたような顔で、太田が『やっぱり戻らなきゃダメかな』って。それで大げんかになって」

最初は怒っていた光代さんだが、太田さんの主張に一理あると感じる部分もあった。やがて話は「しっかりしたマネージャーが必要だ」という点に移行した。

「話し合いを重ねて『私がやります』って言わなきゃなんなくなっちゃって。仕方がないから、社長をやることになったんです」

■日々、トラブル処理に追われ日々

こうして’93年、芸能プロダクション「タイタン」が設立された。

それからトラブルが巻き起こるたびに、光代さんは生徒指導のように対処してきた。なかでも記憶に新しいのが、今年の元日に生放送された『新春!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)での太田さんの「日枝出てこい!」発言。

「忖度せず大暴れするのは爆笑問題らしくていいんです。ネタに関してはいっさい口出ししません。

ただ、『日枝さん』と言ってほしい。失礼な言動には注意します」

しっかり者の光代さんだが、’22年、タイタン所属のウエストランドが『M‐1グランプリ』(テレビ朝日系)で優勝した際には失態も……。

「この年のM‐1は敗者復活から家のテレビで見ていました。いよいよ決勝になっても、くじで決まるウエストランドの出番がなかなかこなくて。その間、ずっとお酒が飲みたいのを我慢してたんです。

もういいかな、と飲み始めたらあっという間にワインを空けてしまって……。ウエストランドが1本目で3位に滑り込んだあたりまでは記憶があるんですが、そこから眠ってしまったんです。電話が鳴って起きて出たら『おめでとうございます!』って言われて、テレビを見たらウエストランドがトロフィーを抱いていて……。でもこれは夢だと思って、また寝ました(笑)。あとで帰宅した太田に『ウエストランドよかったな』と言われて、『え、本当に優勝したの?』って。社長なのにテレビを見ていなかったことに驚かれ、すごく怪訝な顔をされました」

■夫婦で老後にやってみたい夢

還暦を過ぎ、誰に社長を引き継ぐべきなのかを考えているという。

「まだ全然社長としてやりきれてないんですけど、起立性低血圧症を発症して倒れた際、鎖骨の遠位端骨折に肋骨3本、腱板断裂まで起こしてしまった。

そして今、リハビリに通っています。そういうこともあるから、次の50年、100年目指していくんだったら、私はもういないですから。そうみんなに認識しておいてもらわないと」

同時に光代さんには、夫婦でやってみたいことがあるという。

「結婚して35年、目まぐるしい日々で、夫婦でゆっくり旅行したことがないんです。太田にはずっと働いてほしいですが、『いつか船で世界一周しましょう』って言っています。船の上だったら太田もラジオが聴けないでしょ(笑)」

人気芸人と敏腕社長、同時に先生のような妻と子供っぽい夫である2人。爆笑問題が第一線で活躍を続ける陰には、光代さんの存在が不可欠だ。

旅行の話が出た際には、出会った当初、光代さんが銭湯に誘ったときのように、太田さんには「行く、行く」と、ついていってもらいたいものだ――。

(取材・文:インタビューマン山下)

【PROFILE】

1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人、ライター、「山下本気うどん」プロデューサー、個人投資家、ファイナンシャルプランナーとして活動中。

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