「女流棋士としての使命を全うしようとすれば、2人目の妊娠を諦めなければならない」
昨年12月10日、将棋関係者の間に、大きな衝撃が走った。大阪弁護士会館で女流棋界の第一人者・福間香奈女流五冠(33)が記者会見に臨んだのだ。
福間は12歳でプロデビューし、これまで女流タイトルを史上最多の67期獲得してきた。若手強豪の男性棋士を何人も破り、かつて「女性は男性には勝てない」と言われた将棋界の認識を大きく変えた。
「記者会見までには1年近く悩みました。弁護士の先生に言われたのは、日本社会は女性の権利主張に対する風当たりは厳しいので、覚悟が必要だ、と。でも、今の規定のままでタイトル保持者が子どもを産むには、事実上タイトルを返上しなければならない。後進のことも考えたときに、誰かが声を上げなければと記者会見することにしました」
日本将棋連盟は昨年4月に女流タイトル戦における新たな規定で、「対局日程が産前6週間、産後8週間と重複時は対局者の変更を行う」と発表した。タイトル戦は番勝負で行われ、長いものでは一つの棋戦が数カ月にわたって続く。福間のように五冠も保持していれば、規定に抵触することを避けられない。将棋に人生を懸けてきた者が、やっとつかんだタイトルを戦わずして失うことは、夢を奪われるに等しい。
福間は’24年春に第1子の妊娠がわかり、出産予定が年末になることを連盟に伝えた。複数冠を保持するタイトルホルダーの出産時期と防衛戦が重なったのは初めてのことだった。
連盟との話し合いが行われ、福間は自身の持つ3棋戦のタイトル防衛戦は延期が認められたが、挑戦することが決まっていた2棋戦は日程変更が認められなかった。そのため、妊娠期による体調不良で、やむなく不戦敗となった。
タイトル戦は1年以上前から会場や前夜祭の手配を行っており、延期や急な不戦敗はスポンサーや関係者に大きな負担を強いてしまう。対戦者の公平性の問題もあり、連盟は妊娠した対局者の変更はやむをえないと判断した。しかし、新規定は女流棋士からの声が反映されたとは言い難く、スポンサー側偏重であったことは否めない。
女性が活躍できる環境を求めた昨年末の福間の会見は棋界のみならず、世間に大きな一石を投じることとなり、タイトル戦の主催者側からも規定の見直しを求める声が上がった。それを受け、連盟側も《出産予定日の前後計14週間と日程が重なると出場できない》とした規定を削除。妊娠・出産が対局日の変更理由にあたると明記したと発表した。
だが、世間からの反響は必ずしも福間に好意的なものばかりではなかった。
「私の独りよがりに見えているのも事実です。
日本将棋連盟には2つのプロ制度がある。藤井聡太六冠(23)らが所属する“棋士”制度と、女性だけが所属する“女流棋士”制度だ。現状、“棋士”は男性しかいない。棋士は将棋連盟ができてから100年以上の歴史を持つが、女流棋士は半世紀ほどの歴史しか持たない。
当初は将棋の普及要員としての意味合いが強かったが、現在ではレベルが大きく向上した。福間や西山朋佳女流三冠(30)らのトップクラスは、男性の棋士に比肩する実力を示している。
だが、棋士と女流棋士は棋戦が分けられ、いわば戦う土俵が違う。なら女流棋士は、妊娠・出産などもっと女性として人生が輝ける場所であってもいいのではないか。将棋界は男性中心の歴史だ。その壁に挑んだ福間の半生に迫る。
■「将棋は私の人生そのもの」出雲のイナズマと呼ばれ、16歳で初の女流タイトルを獲得
「どうしたら将棋が強くなれますか?」
8歳の少女が真剣なまなざしでそう尋ねてきた。
詰将棋は基礎力を養う問題で、数学の難問を解くように根気がいる。少女は学校から帰ると、必ず問題集と向き合った。10問解き終わるまでは、決して寝なかったという。半年後、高橋のもとに手紙が届く。
「将棋の大会で優勝しました。詰将棋毎日解いています」
後に史上初の女流棋士六冠を達成する福間香奈の幼き日のことだ。この4年後、彼女は12歳6カ月で女流プロデビューを果たす。攻めの鋭さから“出雲のイナズマ”と呼ばれ、16歳で初の女流タイトルを獲得した。
「将棋は私の人生そのもの」
地元のテレビ局の取材に、そう答えた。福間は’92年に島根県出雲市に生まれた。
「まだネットが発達する前でしたから、地方では将棋を勉強できる環境はかなり少なかった。
周りは男の子ばかりでしたが、兄が一緒にいてくれたことや負けず嫌いだったから続けてこられたと思います」
小学5年のときアマ女王戦で優勝。6年生でかつて羽生善治九段(55)らも出場した小学生将棋名人戦でベスト8に入る。この年に女流棋士を目指すために研修会に入り早くも中学1年でプロデビューを果たした。史上3番目の若さで女流タイトルの一つ「倉敷藤花」を獲得したときは、新たなスターの誕生に将棋界は沸いた。誰もが彼女の順風満帆な未来を疑わなかった。
転機が訪れたのは、高校2年のときだった。関西将棋会館にある棋士室に、ふらっと立ち寄った。そこでは棋士の育成機関である奨励会員が集まって、技術を磨くための練習将棋を指している。
「扉を開くと、秒読みの時計音が鳴り響いていました。
同じ将棋界でも、“女流棋士”とは全く別世界だった。年配の棋士が福間に気づいて、「指してみるか?」と声をかけてくれた。奨励会1級の男性と盤を挟んで向かい合う。相手のほうが年上だ。奨励会員はまだプロではないが、ほとんどの女流棋士よりも強いことは知っている。(私がどれくらいの棋力なのか試されている)持ち前の負けず嫌いがグッと頭をもたげた。
しかし、残酷なほどに実力差を見せつけられる。全く歯が立たず負かされた。(この程度なのか)という空気がその場を包んだ。
「悔しかった。自分が情けなくて、もっと強くなりたいと思った」
■“地獄の三段リーグ”を年齢制限で退会。
棋士や奨励会員は、練習将棋であっても決してなれ合いでは対局をしてくれない。技術の向上を目指せる相手としか指さないのだ。
「甘い世界ではないですから、お願いしても断られるのが当たり前でした。それでも食いついていかなければ相手にされない。やはり女性というのもありますから」
奨励会には“神童”と呼ばれる子たちが全国から集まり、10~20代にかけて将棋漬けの日々を送る。6級から三段まであり、プロ四段まで上がれるのは、わずか2割弱という狭き門だ。かつては“学歴のない最高頭脳集団”とも言われたが、近年では将棋の勉の傍らに、東大をはじめとした最難関大学に現役で合格する強者も増えている。将棋界とは、そんな世界だ。
「純粋に強さを求める人たちがいるのが奨励会で、その先に棋士がある。負ければ負けるほど、自分もそこを目指したい気持ちが芽生えていきました」
当時、女流棋士と奨励会員の重籍は認められておらず、福間は女流棋界を離れる覚悟を決める。
「両親からは『それだけはやめてほしい』と言われました。私の今後の生活が心だったのでしょう。それでも奨励会一本に懸けてみたかった」
だが、当時の将棋連盟会長であった故・米長邦雄永世棋聖は、福間が女流棋士を辞めることに反対した。女流棋界の看板である福間がいなくなれば、棋戦のスポンサーが離れることを懸念したのだ。米長は昭和を代表する名棋士で、各界への広い交友力と強いカリスマ性を擁していた。
「外の個室で会長とお会いしたんです。全てを見透かされて、?は一つもつけないという圧を感じました」
米長は福間の決意を確認したかったのだと思われる。話し合いの結果、女流棋士を続けることになったが、奨励会との重籍が認められるように規則変更がなされた。
彼女のために特別な編入試験が行われ、1級での合格を果たす。米長は自らスポンサー各社に、福間が女流タイトルを持ったまま奨励会に入ることへの理解を求めたという。福間が奨励会に入ったのは19歳のときで、これは最も遅い入会にあたる。年齢規定で満21歳の誕生日までに初段に上がらなければ退会になってしまう。連盟会館の2階にある道場の片隅で、誰とも話をすることなく、来る日も来る日も一人棋書を読み、将棋とだけ向き合い続けた。
「そのときの私は弱すぎて、将棋一本に絞らなければ、棋士になるまでの時間がなさすぎた。誰かとご飯に行くことも、人と話すこともほとんどありませんでした」
孤立することがつらくなかったわけではない。ずっと人のぬくもりの中で育ってきたのだ。年末に実家に帰ると、家族と夢中でしゃべって、気づくと声がかれた。昼食時に将棋会館を出ると、近くにある大学の学生たちが楽しそうに話している。「今度どこへ行こうか?」。明るく弾んだ声が耳に入ってきた。夕方帰るときには、戸建てから食卓の香りが漂ってくる。おいしそうなだしの匂いに、ふと地元の家族の姿が浮かぶ。夏の花火大会の日には、通りに浴衣を着た人たちがあふれる。夜空を見上げるカップルたち。そんなとき、将棋会館へと急いでいる自分が、面白くなってきたという。
「青春している姿が羨ましくもあり、寂しくもあるけど、自分も将棋ですごく充実しているじゃないかって思えて。異質な青春ですけど大切なものです」
福間は入会から約2年半後に、プロへの最終関門である三段に昇った。それまでに女性で有段以上になった者はいなかった。“地獄の三段リーグ”と呼ばれる戦いは、1期が半年にわたって行われ、30人ほどの中で上位2人しかプロになることができないものだった。毎月の例会の後には、26歳の年齢制限を迎えた者たちが去っていく。
「スーツを着て挨拶をされる方に、かけられる言葉なんてありませんでした」
将棋に青春の全てを注いできた若者たち。夢破れた者たちのその後の人生はさまざまだ。福間は三段リーグを3期休場し、5期戦ったが、’18年に26歳になり、規定により退会になった。奨励会に在籍した約7年間は、原因不明の体調不良に見舞われるほど将棋に打ち込んだ時間だった。
元奨励会幹事の畠山鎮八段は、福間の努力を見続けてきた。
「奨励会で負けた後に、女流タイトル戦の前夜祭の舞台に立っていた。本来なら一人きりで悔しさに耐えているはずなのに、ファンを前に和やかな顔で挨拶をする。誰にでもできることじゃない。正直、棋士になるのは難しいかと思っていました。女流棋士と兼任でなく、奨励会一本だったら十分に可能性はあったと思います」
■「両親を見て自分も結婚したら子どもを持ち、こんな家庭を築きたいと思っていた」
それからの福間の女流棋戦での活躍は、目覚ましいものだった。
「退会していった方がたくさんいる中で、自分にはまだ将棋ができる道が残されている。これまで以上に真剣に向き合わなければと思いました」
’19年には史上初の女流六冠を達成。棋士の公式戦には女流トップも出場でき、男性若手強豪を相手に勝利を積み重ねた。’23年11月には非公式戦ではあるが、藤井聡太王位(当時八冠)に勝利する快挙を遂げた。この対局は王位・女流王位を主宰する新聞社の記念対局として行われたものだ。時間のハンデが藤井にはあったが、史上最強の棋士に勝ったことは福間の実力の高さを示した。
「私のほうが持ち時間の長い対局ではありましたが、藤井さんとは実力差がある中で勝つことができ、純粋にうれしかった。感想戦では読みの量が桁違いで、あらためてすごさを痛感しましたけれども」
【後編】「今の夫でなければ厳しかった」福間香奈女流五冠「同じ勝負の世界で生きてきた」夫への感謝へ続く
(取材・文・撮影:野澤亘伸)
【PROFILE】
野澤亘伸
1968年、栃木県出身 上智大学法学部法律学科卒。1993年より『FLASH』の専属カメラマンになる。その後フリーとして雑誌表紙やグラビア写真集を多数撮影。アフリカ、中南米、東南アジアなどの海外取材も多い。2018年に将棋棋士の師弟をテーマとしたノンフィクションを上梓し、第31回将棋ペンクラブ大賞受賞。シリーズ三作目となる『師弟 棋士の見る夢』が4月22日に光文社より発売予定。

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