「院長も高齢で、昨年夏ごろから足腰が弱ってステンと転んだり、体調も思わしくなかったんです。だからいつかこんな日がくるだろうと後継者のことも考えていましたが、まさかこんな形で急に逝ってしまうとは……」
こう語るのは、福島第一原発から南に22km福島県双葉郡広野町にある高野病院理事長・高野己保さん(49)だ。
ところが地域の医療を守ってきた高野院長が、昨年12月30日に病院敷地内の自宅で火事により焼死。発見された遺体は、DNA鑑定され身元が判明した。院長の死亡により現在、双葉郡は地域医療崩壊の窮地に陥っている――。
「人口約5千人だった広野町は福島原発事故後、避難指示区域に指定されましたが、院長が『避難することで命を落とす重症患者もいる』としてここに残ったのです」
高野院長は精神保健指定医、内科医、レントゲン技師、当直医、救急医のひとり5役をこなして震災後6年間休まず治療にあたってきた。
「院長は『自分がやらなければ被災地の医療はなくなってしまう。それで困るのは地域の患者であり家族』と常々話していました。『今日は応援の先生が来てくださる日だから休んでください』と言っても『患者がいるだろう。
そんなときに己保さんが怒っても、高野院長は「まぁ仕方ない。ねばるしかない、ねばれ」「なにを言われても正しいと思ったことを続けよう。
しかし、高野院長のように5役をこなせるヒーローのような医師はなかなかいない。「そもそもたった一人で医療を守ることを美談にしてはいけない」と己保さんは語る。
「みなさんがお住まいの地域でも、同じことが起こってもおかしくありません。ひとりで頑張ってきた大先生がいなくなったらそれでおしまいではだめなんです。
そう訴える己保さんがふと父親とのこれまでを振り返り、こう語った。
「父としてはロクでもないですね。(笑)仕事しかしないんだから。でも、これが院長の人生なんだろうと。
己保さんには中学1年生の双子の娘がいる。震災は、小学2年生になる直前だった。
「事故から3年間はほとんど病院に詰めていましたから、その間、娘たちにはさみしい思いをさせてしまいました。原発事故によって失われた家族との時間は二度と戻りません。震災後4年目くらいからやっと休みがとれるようになっていたのに、院長が亡くなってまたふりだしに戻った感じですね(苦笑)」
己保さんには悲しみに暮れる間もない。
「私は院長の人生を、医者としてまっとうさせてあげたかった。それはある意味、叶いました。あとは父が命がけで守ってきた“地域医療”の火を消さないこととスタッフの雇用を守ること。なにがなんでも、このふたつはやらなきゃいけないと思っています」