「ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ)が27~28歳。『金八』(TBS)で生徒役だった僕が、徳川龍之介という先生役に出会って、また違う時代をつくることができた。
こう話すのは、6月21日、11年ぶりにメジャーレーベルから新曲『フェミニスト』をリリースした田原俊彦(56)。デビュー直後から、近藤真彦、野村義男の3人で「たのきんトリオ」と呼ばれ、超人気アイドルのオーラで輝いたトシちゃん。還暦を4年後に迎えるいまも、毎年、夏の全国ライブツアーと冬のディナーショーを欠かさず開催。迫力たっぷりのダンサブルなステージで、多くのファンを魅了し続けている。
「独立」から23年、田原がジャニーズ事務所からの独立時のことを振り返るーー。
'92年11月、『CanCan』モデルの向井田彩子さん(45)との交際が発覚すると、マスコミは色めき立った。常時、カメラマンが30人ほど張りつく生活となり、甲府の実家にまで報道陣が押しかけた。'93年10月に結婚。'94年2月、長女が誕生しても、マスコミの取材攻勢は収まることがなく、田原は会見を開く。このとき、「隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになると、そうもいかない」の一部分だけが過剰に取り上げられ、“ビッグ発言”と猛バッシングされた。その会見から半年後、ジャニーズ事務所から独立。田原は、33歳だった。
「ビッグ発言したなんて、僕は思いもよらなかったから。ギャグのつもりだったしね。ジャニーズを卒業したのは、15年間、存分にやらせてもらったし、お世話になった恩は返したと思っていたからです。30代になって、歌でも、踊りでも、芝居でも、ここからは自分で歩いていくためのスキルを自分で磨いていかなくちゃいけない。ここからは俺の勝負だと考えていました。ジャニーさんからは、すべてのものを盗んだし、いただいた」
田原は「だから、ジャニーズという学校の卒業証書をもらいたかったんです」と語る。
「ジャニーさんとも、メリー喜多川さんとも、僕は話をしているんですよ。『一人でやりたい。卒業したいんです』『わかった』と。だから、僕のなかでは円満退社。ただ、現実はそうじゃなかったんですね。たぶんね。
ただ、一方で、「そんなんじゃ絶対に死なない」という揺るぎない自信もあった。
「ここからが、新しい船出だと、自分のエネルギーを感じていましたね。