そんな彼らを支え、ともに活動しているのは、社名に3人の頭文字をとった「スタジオじゃぴぽ」。『にこにこ、ぷん』の生みの親、原作者であり台本を書いていた井出隆夫さんと、人形美術家の岡部久義さんの2人が、『にこにこ、ぷん』の地上波放送終了後の1993年に設立した会社です。
その活動の詳細について、現在スタジオじゃぴぽの代表取締役を務める北爪努さんと、社員の北爪日向(ひゅうが)さんにお話を聞きました。
親子3世代で参加も。お客さんの熱量に驚かされる
──現在のファンはやはり、『にこにこ、ぷん』放送当時の視聴者が多いのでしょうか?北爪日向さん(以下、日向):そうですね。やはりお子さんよりも、大人の方が喜んでくれている印象です。当時の視聴者だった30代後半から40代が一番多い世代で、その方々が、お子さんや一緒に見ていたお母さんを連れて来て、親子3世代でイベントに参加いただくこともあります。

北爪努さん(以下、努):2025年3月に道の駅日光街道ニコニコ本陣で、3人とうたのおねえさんが登場するバラエティショーを開催したときには、700人以上の方に来ていただきました。私たちが現場に入るよりも前から並んでいるお客さんがたくさんいて、その熱量に驚かされました。
イベントは毎回、想定している以上の方々に来ていただいていて、「これだけたくさん用意すれば大丈夫だろう」と思って持っていったグッズが、全部売り切れてしまうことがあるくらいです。
3人を見て、号泣しながら抱きつく人の姿も

中には当時の3人の写真やおもちゃ、3人に宛てた手紙などを持ってきてくれる人もいます。
「3人と活動していてよかった!」と最も感じるのが、ファンの皆さんが、3人と過ごした子どもの頃の思い出を大切にされていることを知れるこの瞬間です。ファンの方々の笑顔を励みに、これからも活動を続けていきたいですね。
『にこにこ、ぷん』がいつまでも愛される理由
──3人から、令和になっても古くならない魅力を感じます。
私から見た井出さんは、「人間は幸せになるために生きている」という哲学を持ち、「幸せになるためにはどうしたらいいか」を考えている人でした。人々の根底にある「幸せになりたい」という気持ちは、いつの時代になっても変わらないでしょう。それを描いているから、『にこにこ、ぷん』は古くならないのだと思います。
嫌いなものや欠点があるからこそ、人は魅力的
努:また、3人にはそれぞれ嫌いなものや欠点があります。でも、それが3人の魅力なんです。例えば、ぽろりはピーマンが嫌いで、見るだけで目を回してしまいます。でも、食べることが好きなじゃじゃ丸は、時にはピーマンを食べられないぽろりをからかうこともありますが、おいしいピーマンをなんとか食べさせてあげたいと思って試行錯誤することもあります。人は誰しも一人では生きていけないから、互いの欠点を補い合う。困っているときに手を取り合う精神もまた、普遍的なことだと思います。
こういった思いが込められた『にこにこ、ぷん』と3人の存在は、私たちにとってかけがえのない財産です。ですから、私たちはこの財産を残すために活動しています。
まずは「3人が今も活動している」と広めたい
──今後の活動についてお聞かせください。
また、現在は「『にこにこ、ぷん』のおみせやさん」を都内にある当社内を中心に開催していますが、たくさんのお声をいただいているので、出張販売も増やしたいと思っています。
ファンが3人に会える機会がもっと増えるかも?
──ファンに向けてメッセージをお願いします。努:私たちの一番の目的は、3人の活動を後世まで引き継ぐことです。それが、3人を残してくれた井出さん、岡部さんへの恩返しになると思います。
日向:ファンの皆さん、テレビで見ていた子どもの頃に戻って、ぜひ3人に会いに来てください。
【スタジオじゃぴぽ】
『にこにこ、ぷん』の地上波放送終了後、1993年創立。現在は『にこにこ、ぷん』のイベント・グッズ販売を実施する他、ニャンちゅうの公開収録イベントの制作を行っている。
X:@studiojapipo、Instagram:@studio_japipo
<取材・文/増田洋子>
【増田洋子】
2匹のデグー、2匹のラットと暮らすライター。デグーオンリーイベント「デグーサロン」を運営。愛玩動物飼養管理士2級を取得。Twitter:@degutoichacora