健康状態が悪化し、すでに歩くこともできなかったというオジー。最後のステージが実現できたのは、妻シャロンの舞台裏での奮闘があったからだという。
昔のオジーとはまるで別人だった
7月5日にイギリス・バーミンガムで開催された音楽イベント「バック・トゥ・ザ・ビギニング」に出演したオジー。かつて所属していたブラック・サバスのメンバーであるギーザー・バトラー、トニー・アイオミ、ビル・ワードと20年ぶりに再結成を果たし、自身の地元バーミンガムで最後の演奏を披露した。ただ、オジーがこのステージに立つのは決して容易なことではなかったようだ。長年にわたるパーキンソン病との闘病生活の末、もはや歩行も困難で、立っていられない状態だったという。実際、今回一緒に出演した元メンバーのギーザー・バトラーは英紙『サンデー・タイムズ』に寄せた追悼文の中で、こう振り返っている。
「彼の健康状態が良くないことは知っていたが、その衰弱した姿を見て衝撃を受けた」
「リハーサルの時には、2人のヘルパーと1人の看護師に付き添われ、杖を使いながら部屋に入ってきた」
「彼は座りながら歌っていたが、6~7曲ほどでかなり疲れた様子をみせていた。以前はよくしゃべっていた彼が、とても静かだった。昔のオジーとはまるで別人だった」
妻の執念と集中力の賜物
さらに、当初は保険会社の反対もあったようだ。パーキンソン病で歩行もままならなかったオジーの場合、ステージ上での転倒や事故などのリスクが高いことや、それによって巨額の賠償が生じることを保険会社が懸念していたそうだ。関係者は英紙『サンデー・ミラー』に対し、「オジーは必死にリハビリを続け、少なくとも立ってファンに手を振れるよう努力していた」と明かしている。
「公演に出られない可能性もあった」そうだが、オジーの妻シャロンが、ステージ上に固定された特製の「玉座」(スローン)を用意し、安全に座ったまま出演できるようにすることを提案。「リスクの低減策」を示したことで保険会社との合意に取り付けたという。
ブラック・サバスのオリジナルメンバーの他にも、メタリカ、スレイヤーといった豪華なバンドやミュージシャンも参加した「Back to the Beginning」。ヘヴィメタルの歴史に残るチャリティイベントで、オジーのラストステージを実現するため、シャロンは保険会社と難しい交渉を行い、安全な形でショーを成立させた。
妻の気持ちに応えるように、ステージを無事に務め上げたオジー。大観衆の前で感動的なパフォーマンスを披露し、最後の曲「パラノイド」を演奏する際には、ファンにこう語りかけ、別れを告げた。
「ブラック・サバスのメンバーの代表として、そして俺自身からも、ひと言伝えたい。長年にわたり、みんなが応援してくれたからこそ、俺たちは素晴らしい人生を送れた。心の底から感謝している」
オジーのラスト公演となった「Back to the Beginning」の様子は、2026年初頭に映画化される予定。
「公演からわずか数週間後に旅立つなんて」盟友も悲痛
「言葉では言い表せないほどの悲しみの中、私たちの愛するオジー・オズボーンが今朝、逝去したことをお知らせしなければなりません」「彼は家族に看取られ、愛に包まれながら旅立ちました」
7月22日、遺族は声明を発表し、オジーが死去したことを明らかにした。
訃報を受け、ブラック・サバスのメンバーも追悼コメントを発表。トニーはXへの投稿で「信じられない! 最愛の友オジーが、今月5日の公演からわずか数週間後に旅立つなんて」「言葉では言い表せない、胸が張り裂けるような知らせだ。彼のような人は二度と現れない。
コウモリ噛みちぎり、薬物、不倫……それでも見放さなかった妻
英バーミンガムで生まれたオジーは、15歳で学校を離れ、職を転々。窃盗罪で服役した後、ロックスターとして生きることを決意し、音楽活動を開始した。1960年代後半にブラック・サバスを結成し、1970年にファーストアルバム『黒い安息日(Black Sabbath)』を発表すると、そのダークでヘヴィなサウンドでたちまち人気に。『パラノイド』など大ヒット作を次々と生み出し、ヘヴィメタル界のパイオニアとしての地位を確立。「ヘヴィメタルの父」と呼ばれる存在になった。
1979年にブラック・サバスから解雇されたオジーは、ソロ活動をスタート。音楽プロデューサーで、のちに妻となったシャロンのマネジメントにより飛躍し、ソロアーティストとして成功を収めた。

2019年には自宅で転倒して首の手術を受け、2020年にパーキンソン病と診断されたことを公表した。
バンドを解雇されたのち復帰したり、様々なメンバーで活動を続けたり、長い音楽活動の間に浮き沈みも経験してきたものの、ロック界のカリスマとして君臨してきたオジー。奇抜なパフォーマンスが有名で、ライヴ中に客席から投げ込まれたコウモリの頭を噛みちぎった「事件」はいまも語り継がれている。
また泥酔状態で、歴史的記念碑であるアラモ慰霊碑に放尿して逮捕されたことも……。奇行でトラブルを起こすことも多かったが、バンド仲間だったギーザーは「本当は思いやりにあふれた優しい人だった。助けが必要な友人に常に寄り添い、仲間思いだった」と追悼文のなかで振り返っている。
私生活でも、アルコールや薬物・度重なる不倫など問題が多く、家庭生活は決して安定しなかった。オジーに密着したドキュメンタリー番組のなかでは、シャロンが30年以上前にあやうく殺されかけたことを告白。「ハイになった夫が私の上に馬乗りになって、首を絞めた」と明かして、世間を騒然とさせた。
それでも決してオジーを見放すことはなかったシャロン。公私ともに夫を支え続け、共に困難を乗り越えてきた。オジーも「シャロンなしでは、自分は何もできない」と公言していたといわれている。
10月には、そうした人生の浮き沈みや不倫騒動など、率直な告白が綴られたオジーの自伝『Last Rites』が刊行される予定。
<文/BANG SHOWBIZ、女子SPA!編集部>