X上では一時的に「ミセスの音漏れ」がトレンド入りするほどの騒動となりました。
音漏れではなく「騒音」──住民の怒りの声
ネット上では「聴きたくもない音楽が家の中まで聞こえてきたら音漏れじゃなくて騒音」や、「乳幼児や要介護の家族がいる人にとっては迷惑でしかない」といった厳しい意見が相次いでいます。また、音漏れを聞きに来るファンに向けた注意喚起はあるものの、周辺住民への配慮を示す文言がまったくない主催者側に疑問の声も上がっています。
ライブ開催を許可した横浜市港湾局も「騒音について懸念しており、主催者側に事前に配慮を求めていたが、想定を上回った」とコメントしており、騒動は各方面に影響を及ぼしています。
これを受け、ミセスの所属事務所は7月28日に謝罪文を発表しました。「当日の風向きにより想定以上に音が拡散し、周辺にお住まいの皆様の騒音としてご迷惑をおかけする結果となってしまいました」と釈明しましたが、ネット上では「本当に風向きだけであんなに音が漏れるのだろうか」とか、「本番ではリハーサル以上の音量を出してしまったのではないか」といった納得していない声もあります。
“異物”としてのエンタメ──音楽の演出と住民生活のギャップ
大規模野外ライブのたびにこのような騒音トラブルが報じられますが、今回は規模もケタ違いに大きかったようです。当日の風向きも影響し、重低音が会場から約15km離れた東京都の大田区周辺にまで届いていたということです。となると、これは理不尽なクレームではなく、真っ当な訴えだと理解するのが自然なのでしょう。

まず、騒音トラブルの観点についてです。近年、公園や保育園から聞こえる子供の声や泣き声、さらには除夜の鐘の音といった問題が報じられることが増えています。それらとミセスの音漏れは異なります。
公園や保育園、除夜の鐘が生活音であるのに対して、ミセスのライブは圧倒的な非日常を演出しているからです。
音楽の「押しつけ」は暴力になりうる

しかも、ミセスは音楽バンドなのでただの騒音とは異なり、ひとつひとつの音に目的があります。それゆえに、彼らの音楽に特別な興味がない人でも、漏れ聞こえる音を認識すると、意識的・無意識的に音楽的な意味を読み取ろうとすることになり、精神的な強い負担を感じてしまいます。
それこそが、ただの生活音の騒音以上に、音楽ライブの音漏れが人を疲れさせる要因と言えるでしょう。
鳴り響く重低音と「内臓が揺れる」ストレス
また、「すぐ近くで車のカーステレオが大音量で音楽を流しているような重低音が夜21時過ぎまで続いた」との証言もありました。これが事実だとすれば、大変なストレスだっただろうと想像します。なぜならば、その種の重低音は耳で聞き取るだけでなく内臓にまで響いてくるものだからです。少しでも内臓が揺れる感覚があると、人は安定的な身の置き場を失う感覚に襲われます。
もっとも、そのような大音量の重低音を現場で楽しむファンは、その振動すらもミセスを五感で味わうための欠かせないアトラクションだと思うでしょう。

野外という開かれた環境の特性上、優先されるべきはファンの究極的な満足を満たすことではなく、住民の平穏な夜を守ることにほかなりません。
そうした見方も含め、本当に風向きだけの問題だったのか、慎重に再検討されることを望みます。
確かに、彼らの活躍は目覚ましいものがあります。情報番組で見ない日はないし、音楽番組も彼らなしでは成り立たないほどの国民的バンドになりました。
だからこそ、今回の騒動はひとつの教訓になったのではないでしょうか。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4