アニメ『ダンダダン』の劇中歌「Hunting Soul」がX JAPANの楽曲に酷似しているとして、YOSHIKIがXで苦言を呈した騒動が波紋を広げている。ファンの間では擁護と批判の声が飛び交う中、問題の楽曲は“パクリ”なのか“オマージュ”なのか――その違いを検証してみたい。


アニメ『ダンダダン』劇中歌が物議、YOSHIKIが著作権侵害を示唆

「パクリかオマージュか?」YOSHIKIの苦言に賛否両論――...の画像はこちら >>
アニメ『ダンダダン』の劇中歌「Hunting Soul」が、X JAPANの楽曲との著作権侵害の可能性があると弁護士から連絡を受けたと語ったYOSHIKI。最初は、アニメ制作サイドから事前に自身に話が通っていなかったことに異議を唱えている様子でした。

しかし、曲中でギターを弾いている世界的ギタリスト、マーティ・フリードマンからX JAPANへのリスペクトが伝えられると、「またセッションしましょう」と応じ、態度は軟化。

さらに、X JAPANの楽曲を管理しているソニー・ミュージックパブリッシングとアニメ制作の関係者で近々話し合いが行われることを明かし、前向きに解決することを望む、として、YOSHIKI自ら矛を収める形で事態は収まった格好です。

ファンからの批判と「器が小さい」発言の波紋

しかしながら、ファンに呼びかける形でアニメサイドのパクリを匂わせて問題にしようとしたことに、疑問の声が噴出しています。「気に入らないなら自分の口で言えばよかった」とか、「アニメファンの若者にX JAPANを知ってもらえる絶好のチャンスだったのに、YOSHIKIは器が小さい」といった痛烈な批判コメントが見受けられました。

「パクリかオマージュか?」YOSHIKIの苦言に賛否両論――『ダンダダン』劇中歌が問う“盗作”と“敬意”の境界線
画像:「X Singles」(KRE)
では「Hunting Soul」は、パクリとオマージュのどちらなのでしょうか?検証したいと思います。

曲を聴いたところ、これはパロディでありオマージュだと感じました。確かな技術を持つミュージシャンが、写経のような忠誠心でX JAPANのエッセンスを再現しようとしている。このような姿勢で作られた音楽は明らかにパクリとは異なります。

これがパクリならば、もう少し判明しづらい形を取るはずです。例えば、曲が展開するつなぎの部分で印象的なフレーズをそのまま使うとか、1小節だけメロディとコード進行をまるまるコピペするといった形です。そのようにして、細部に限定して曲をキャッチーにする方法を“盗む”ことがパクリと言うのだと思います。

オマージュは“見せる行為”、パクリは“隠す行為”

「パクリかオマージュか?」YOSHIKIの苦言に賛否両論――『ダンダダン』劇中歌が問う“盗作”と“敬意”の境界線
画像:YOSHIKI PR事務局 プレスリリースより(PRTIMES)
けれども、「Hunting Soul」は曲全体のイメージにおいてX JAPANを上手に模倣しています。パクリは、あくまでも気づかれないように姑息に行うもの。
オマージュは、その対象に知ってほしいから、全てを表現するものです。つまり、オマージュは隠すのではなく、手の内を見せることを前提にした態度だと言えます。それこそが、パクリとオマージュの大きな違いなのです。

具体的に見ていきましょう。

まず、ギャグ要素が随所に盛り込まれている『ダンダダン』というアニメの性質からして、「Hunting Soul」がネタ的に挿入された仕掛けの役割を果たしていることです。その楽曲自体で真剣なオリジナリティを打ち立てようとしているのではなく、アニメの作風を補強するための補助線として音楽が機能している。あくまでも主役はアニメのストーリーラインや語り口であり、音楽それ自体を目立たせようとしているのではないという点を理解する必要があります。

それを踏まえて改めて「Hunting Soul」を聴くと、サウンドやフレーズ、音楽的なイディオムの隅々に、「これはX JAPANを下敷きにしています」という明確な記号が刻まれていることがわかります。これはもう、「紅」を下敷きにしていると堂々と宣言している曲です。

「紅」があるから笑える——40年後のギャグとリスペクト

「パクリかオマージュか?」YOSHIKIの苦言に賛否両論――『ダンダダン』劇中歌が問う“盗作”と“敬意”の境界線
画像:株式会社WOWOW プレスリリースより(PRTIMES)
「紅」は、高校野球の応援などで多く使われるほど国民的な定番曲です。そんな大ネタならば、音楽に詳しくない人でもすぐにわかる。つまり、「Hunting Soul」は、元ネタがバレてもいい、むしろバレないと楽しみが成立しない曲なのです。


そう考えると、オリジナリティについての是非を問うこと自体がナンセンスだとわかるでしょう。『ダンダダン』、そして「Hunting Soul」の笑いは、X JAPANの「紅」なしには生まれなかったものだからです。

百歩譲って、これが“パクリ”だとしても、それでもYOSHIKIは怒るより、むしろ誇りに思っていいはずです。これは、「紅」のリリースから40年近く経った今もなお、強烈なインパクトがあるからこそ成立したオマージュであり、ギャグなのですから。

確かに、「Hunting Soul」は、当時YOSHIKIやX JAPANが放ったヒリヒリするような攻撃性とは違った表現の方法なのかもしれません。しかし、たとえそうだったとしても、時代を超え、アニメという異なるジャンルの作品にそのエッセンスは生きている。

そんなふうに生き延びる曲は、滅多にありません。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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