厚生労働省の調査では、生後1年を満たない赤子が、年間2500人近く乳児院に預けられる。経済的困窮や孤立出産などの事情から、親が子育てを断念せざるを得ないケースが見られ、昨今では「赤ちゃんポスト」や「内密出産」の整備も進められている。


 その一方で、実親の存在を知らないまま育った当事者は、その後どのような半生を歩んでいるのだろうか。出自やアイデンティティが曖昧なまま育ったなか、両親に対して、また自身の半生に対して、どのような葛藤を抱えているのか――。

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 生後間もなく施設に預けられ、物心がついてから一度も両親と会うことなく育ったまるさん(仮名・25歳・女性)。養親のもとで日常的な暴言、暴力を受けながら育った彼女は、子どものころから「なぜ自分には親がいないのか」と自問し続けてきた。そして19歳の頃から、自身の出自を辿るために動き始める。

 戸籍の情報を頼りに役所を尋ね、実母の元夫と連絡を取るなど奔走し、5年をかけて実母の現住所に辿り着いた。そしてついに迎えた、実母との対面。生き別れた実母と再会したその瞬間、まるさんの胸に去来した想いとは。そして、母がわが子を施設に預けた背景には、どのような事情があったのか。

5年かかり実母の現住所が判明

 実親探しに進展が生まれたのは2024年、探し始めてからおよそ4年が経過した頃だった。きっかけは、NPO法人を運営しているまるさんの知人が、顧問弁護士を紹介してくれたことだった

 これまでまるさんは、自身の戸籍を辿って、実母の情報を可能な限り追ってきたが、現在の実母の戸籍までは取得できなかった。20年近く前に特別養子縁組が成立したことで、実母との戸籍上のつながりが断たれており、まるさんは「第三者」とみなされるため、戸籍の開示請求は認められなかった。

 ただし、弁護士を通じて正当な理由を示せば、家庭裁判所の許可などを経て、正式に戸籍の開示を請求することは可能とされている。
事情を汲み取った弁護士は、本来かかるはずの費用を請求せずに対応してくれ、まるさんは開示請求を進められることになった。

 結果、実母が福岡に住んでいることが判明し、まるさんは会いに行く決意をする。一人では心許なく、傷ついた気持ちを抱えたまま帰ることになったら耐えられない——そう考え、パートナーに同行してもらうことにした。

 そして2024年年夏、実母がいる福岡に向かった。その時の心境をこう回顧する。

「長年、待ち焦がれた瞬間が近づいているにもかかわらず、向かう道中は現実感がなくて不思議でした。最寄駅に着いても、本当に母に会うのだろうかと、どこか信じられずにいました。

これまで5年近く、実親探しに執着してきたので、実際に目的を果たしてしまったら、私は何を生きがいにしていけばいいのか。そんなことを考えていました。会って本当のことを知りたいと思う反面、これまでの過程が終わることに漠然と不安でした」(以下、まるさん)

実母を尋ねるも、「人違いです」の一点張り

「自分の身体が汚らわしく感じた…」5年かけて探し当てた実母から突きつけられた“残酷な事実”。知る権利への想いも<後半>
※イメージです(以下、同じ)
 記載があった住所に到着すると、そこは築年数の古いアパートだった。部屋番号のポストには、実母と違う名前も記載されており、誰かと同棲している様子がうかがえた。

 エントランスやエレベーターもないなか、キャリーケースを抱えて階段を登る。さっきまで冷静だったはずが、荷物を持つ手が震え、階段を登る際に息が切れているのがわかった。


 部屋の前に着いて、数分迷ったのち、腹を括ってインターホンを押す。女性の声が返ってきた。おそらく実母だった。

「突然すみません、失礼を承知で……。〇〇さん(実母の名前)ですか?」

 緊張もピークに達するなか、意を決して話を切り出すも、人違いだと答えが返ってきた。その後、少しばかり沈黙の後、家を訪れた理由を尋ねられた。

 そこで肉親を探していること、弁護士を通じて戸籍の開示請求をして住所を辿ったことを明かし、再び実母ではないかと尋ねた。

 ただ終始、「私ではないです」と否定された。きっと実母からしても、絶縁したはずの娘が、20年ぶりにいきなり来訪した状況を考えれば、激しく動揺し、咄嗟にそう答えてしまったとしても不思議ではない。

 いったんは諦めて、玄関から離れたまるさんだったが、人違いの割に「なぜここが分かったのか」と聞かれたことが引っかかった。完全に拒絶されているわけではなさそうだった。

 そこで時間を空けて、再度インターホンを鳴らす。


「ごめんなさい……、本当に〇〇さんではないですか?」

「(数秒の沈黙が空いたのち)実は、私がそうです」

 まるさんからしたら、25歳にして肉親と初めて会話した瞬間だった。実母の肉声を耳にした瞬間、これまで抱えていた想いが溢れる。「施設に預けず育てるつもりはなかったのか」「私に対してどんな感情を抱いていたのか」「そもそもなぜ私は生まれたのか」――。

 母を追及したい気持ちや、生い立ちを知りたい想いが混ざり、思わず嗚咽が漏れる。言葉が詰まった瞬間は、同行したパートナーに対応してもらいながらも、前述した疑問を一つ一つ投げかけては、実母の答えに耳を傾けた。

実母が明かす、乳児院に預けた経緯

「自分の身体が汚らわしく感じた…」5年かけて探し当てた実母から突きつけられた“残酷な事実”。知る権利への想いも<後半>
インターフォン
 一言一句、詳細を覚えているわけではないが、実母は以下のような事実を口にした。

――なぜ私が生まれたのか?

学生時代の同居人に、生活のため身体を売らされていて、その時にできた子どもだった。同居人には逆らえず、病院に行かせてもらえなかった。気づけば堕ろせる時期は過ぎていた。

――なぜ私を乳児院に預け、それきりになったのか?

19歳で産んだ当時は、育てる経済力もなく、祖父の家に預けるのも嫌だった。当初は、一時的に施設に預け、その後引き取る可能性もあった。何度か乳児院に面会も行った。ただ、同居人の存在が恐怖で、思わず家を飛び出した。
乳児院に行くと、同居人に見つかる可能性があるため、乳児院にも行かないことにした。

――特別養子縁組に至る前に、引き取る選択肢はなかったのか?

元夫との間に子どもができて、結婚するタイミングだった。相手の親族には隠し子(まるさん)がいると伝えておらず、あなたを引き取ることはできなかった。

――私に対してどんな感情を抱いていたのか?

ずっと忘れていなかった。何年か前にメールが来たのを見ていた。友達にも相談したが、裁判所から会ってはいけないと言われていたため返事をしなかった。償っても償いきれず、申し訳ないと思っている。

「母親ではなく他人だと感じた」

 尋ねた内容に、実母はたどたどしくも答える。長年、自分のルーツを追ってきたまるさんにとって山場となる瞬間だったはずだが、次第に気持ちが冷めていったと漏らす。

「母は質問に答える際、節々で『あなたのためだった』『あなたを想っての選択だった』と口にしました。ただ、私からすれば、すべて自分の身を守るための言い訳に感じられ、話を聞いているうちに気持ちが冷めました。

同居してる人に体を売らされて、私を捨てたのもどうしようもなかったと話していましたが、それ以前にその人と離れられなかったのか。自分だけ家を出たのは無責任なのではないか。
そうした疑念が拭いきれませんでした。

出生の理由も想像していたより酷く、自分の身体がすごく汚らわしく感じましたし、パートナーに出自を知られたこともショックでした。これまで自分の出自を追い求めてきましたが、母が体裁を守るように喋るなら、真実を話してもらうより作り話をして欲しかったのが正直な気持ちです。

確かにこの人は、自分を産んだ人間だけど、母親ではなく他人だと感じました。血のつながりはあるけど、それ以上はなく、ただ単に血がつながっているだけ。この人に何も期待もしないし、私のことを理解してもらえない、これから実母と人生を共にすることはないだろうと悟りました」

 もちろん、当時の状況や背景を完全にうかがい知ることはできない。しかし少なくとも、まるさんにとって、そこに探し求めていた「母親」の姿はなかった。

 血のつながりを持つ「産みの親」との再会は、多くの人がドラマのような感動を期待しがちだ。だが現実は、必ずしもその通りにはならない。いや、むしろ、多くの場合そうはならないのかもしれない。

 まるさんは実母を探していることを、養親や里親探しを行う公益社団法人や、近しい境遇の知人に相談していたが、肯定的な反応は少なかったという。それは言い換えれば、同じように親を探し、再会を果たした人々の一定数が、救いを見いだせなかったという事実を、彼らなりに知っていたからだろうか。


それでも実親と会って良かったと言える理由

「もう母に会いに行くことはないだろうな」――。

 そう思ったまるさんだが、最後に一瞬だけ「顔を見たい」と頼んだ。ドア越しの会話ですでに実母への気持ちは冷めていたが、血のつながった肉親がどんな顔をしているのか一目見たかった。

 ドアを開けて出てきた母親は、自分と鼻の形が似ていた。初めて血縁関係のある人と対面したが、不思議と“この人から生まれたのだ”としっくり来る感覚があった。まるさんは母と軽く立ち話をして、記念にツーショット写真を撮り、そのままアパートを後にした。

 その後、福岡には2泊滞在して、パートナーと旅行を楽しんだが、観光した際の記憶は曖昧だという。

 実母と会ってから約1年が経ち、まるさんは再会の瞬間をこう振り返る。

「実母と会ってからはしばらく放心状態で、会いに行った事実と向き合うのに1ヶ月ぐらいかかりました。やっと肉親に会えたという解放感や達成感もなかったですね。当時は無意識のうちに、母について考えるのを避けており、受け止めきれていなかったのだと思います。

ネットで匿名で実親探しをしていると書き込むと、『会ってもいいことはない』『非常識だし相手のことも考えろ』との意見もいただきました。確かにそれらの声は間違っていなかったと思いますし、実際に出自を知らなかった頃より、今のほうが苦しいと思う瞬間もあります。

それでも、実母に会いに行ったことで、自分の人生を前向きに捉えられるようになりました。これまで自分は『望まれて生まれてきた子どもではなかった』と、暗い気持ちに苛まれ続けてきました。それが実際に肉親に会うことで、踏ん切りがついたようで、自分の過去から解放された感覚がありました。

過去や出自はどうにも変えられない。けれど、これからは自身の人生を歩もうと、ネガティブだった心持ちがフラットになりました。これからは普通の家庭で育った人と、同じ感覚で暮らしていけるのではないか。そんな感覚です」

「出自を知る権利を当たり前に」

「自分の身体が汚らわしく感じた…」5年かけて探し当てた実母から突きつけられた“残酷な事実”。知る権利への想いも<後半>
窓辺 女性
 自身の出自が分からないのは、幼少期から社会的養護のもとで育ってきた子どもだけではない。近年では、精子提供や代理出産によって生まれる子どもも増えており、赤ちゃんポストへの預け入れがあったことがニュースで取り上げられることもある。

 一方で、複雑な事情のもと生まれた当事者は、世間的に偏見の目で見られがちだ。果たして自身の出自を知るべきなのか、どのように辿ればいいのか――。自身の出自を周囲に明かすこともためらわれ、孤独に悩みを抱える当事者も存在するはずだ。

そうした閉塞感のある空気感を打ち破りたいと、まるさんは実親に会うまでの軌跡を、ブログにて克明に綴っている。

「私と同じような出自の方にブログを読んでもらって、親に会うべきかどうかを考えるきっかけにしてほしいです。私のように、実親と会わずには気が済まない人もいれば、読んで『会わないほうがいい』と感じる人もいるはず。それぞれに合った選択をする判断材料になれば幸いです。

また、特別養子縁組を組んだ養親さんや、NPO法人などで活動されている方、あるいは関係なく興味を持ってくれた方にも、『私のような葛藤がある』ことを知ってもらいたい。最初から『出自を知らないほうが良い』と善意で言う気持ちはわかりますが、当事者には突き放されたように感じて傷つくこともある。子どもにとっては割り切れない気持ちがあるということも伝えたいです。

血のつながりや育った環境に縛られず、誰もが前向きになれる選択をして欲しいし、社会的にも出自を知る権利が当たり前に保障される世の中になってほしいと願っています」

 ブログには当事者だけでなく、養親や第三者からの反応も寄せられた。なかには特別養子縁組を組んだ養親側から、「養子の実親を探してみる契機になった」というコメントもあったという。

 まるさんの実親探しは終わったものの、彼女自身の人生はこれからも続いていく。2025年にパートナーと結婚し、新しい家族ができた。

「これまでずっと過去に囚われ後ろ向きだった自分に、家族ができるなんて想像もつかなかったです。これからは何の変哲のない、普通の生活をしていきたいですね」

 いまでもまるさんのスマホには、実母に会った際にパートナーに促され撮影したツーショット写真が保存されている。ただ、その写真を見返す機会はもうほぼ無いそうだ。

<取材・文/佐藤隼秀>
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