1985年に漫画家としてデビューして以来、数多くの人気作品を手がけてきた小説家で漫画家の折原みとさん。代表作『時の輝き』や『アナトゥール星伝』は、100万部超えのベストセラーとなり、近年はエッセイ、絵本、料理本など幅広いジャンルで活躍しています。


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「20代は創作活動に没頭して、仕事しかしていなかった」と語る折原さんですが、33歳のとき「このままじゃダメになる」と東京を離れ、逗子への移住を決断します。折原さんが選択した「人生の転換点」について、お話を聞きました。

「このままだと枯渇する」と感じた20代の終わり

――第一線で活躍されていた30代前半で、東京を離れて逗子に移住されましたが、当時はどのような生活を送られていたのでしょうか。

折原みとさん(以下、折原):20代は、本当に仕事一筋でしたね。中目黒のマンションに住んでいて、仕事以外のことはほとんどしていなかったと思います。昼夜逆転の生活で、遅くまでずっと仕事をしていました。朝方に寝て、お昼ぐらいに起きてご飯を食べて、またすぐ仕事……とそんな毎日です。その頃は犬もまだ飼っていなかったので、散歩に行くこともほとんどなかったです。時々、代官山まで自転車で出かけるくらいでしたね。

――一日中、原稿を書いているという状態だったんですね。

折原:そうですね。その頃はすごくストイックでした。でも、仕事自体が好きだったので、それはそれでよかったんです。
楽しかったですし、やりがいもありました。締め切りに追われるのは大変だったけど、書くことが好きなので、それが普通という感じでした。

――作品をたくさん出されていたタイミングで、移住を決めるのは大きな決断だったと思います。きっかけがあったのでしょうか。

「このままじゃダメになる」60代漫画家・折原みとが語る“人気絶頂期の苦悩”。東京を出て選んだ生き方とは
画像:折原みとさん提供(以下同じ)
折原:20代の終わり頃に「このままだと、多分、枯渇するな」って思ったんです。創作活動って、自分の中にあるものを出していく作業じゃないですか。私はずっと、10代の女の子向けの小説や漫画を書いていたので、自分が10代だった頃の経験や気持ちを基にしていたんですね。だから、この生活をしていたら、30代、40代になって、この先書けなくなるな、と思ったんです。

作品を書き続けるためにも、アウトプットだけの生活ではいけない。もっと違う環境で新しいことを経験して、自分の中に「何か」を入れていかないといけない、そう思ったのがきっかけです。

――インプットの必要性を感じたんですね。

折原:そうですね。
もちろん、夢中になって働く時期があっていいと思うんです。実際、私も20代の頃はすごく仕事に没頭していましたし、楽しかった。でも、長い人生の中で、ずっとそういう働き方を続けることは難しいですよね。夢中で働きながらも、心のどこかに危機感みたいなものがあって「生活を変えなきゃ」と感じていたんだと思います。

今なら、憧れを現実にできるかもしれない

――移住先を逗子にしたのは、何か理由があったのでしょうか?

折原:ちょうど今後のことを考えていたタイミングで、仕事の取材で小笠原諸島に行く機会があったんです。そこで見た海の美しさや、自然の中での生活に、ものすごく衝撃を受けました。そこで「自然に囲まれて生きたい」って、強く思いました。

もともと海が好きで、「いつか海のそばに住みたいな」とは思っていたんです。でも、ずっと憧れのままでした。でも小笠原諸島に行ったことで、「もしかして、今なら海のそばに住めるんじゃない」と思えたんです。

――憧れが現実になったんですね。

「このままじゃダメになる」60代漫画家・折原みとが語る“人気絶頂期の苦悩”。東京を出て選んだ生き方とは
折原みとさんインタビュー
折原:ただ、さすがに小笠原諸島に引っ越すのはハードルが高すぎますよね。だから、東京からあまり遠くない場所で、海の近くに住むことにしました。
海の近くだったら、湘南でも千葉でもどこでもいいなと。でも、私、漫画家の吉田秋生先生が大好きで、吉田秋生先生の『ラヴァーズ・キス』という作品を読んでいたんですね。その舞台が湘南・鎌倉あたりだったんです。それを思い出して、「これは、湘南に行くしかない!」って決めました(笑)。それで、最終的に逗子への移住が決まりました。

――当時、迷いや不安などはありましたか?

折原:たしかに、迷いも出てきますよね。私自身、19歳の時に茨城から上京して、それから10数年間ずっと東京にいましたから。東京のマンションでの生活はとても便利だったので、「東京から引っ越す」なんて全く考えたこともありませんでした。でも、いざ「逗子に引っ越すぞ!」と決めたら、もうワクワクしかなくて。迷いも不安も全くなかったです。「すぐにでも逗子に行こう!」という感じでした。

犬友達をきっかけに広がった、ご近所との縁

――実際に逗子に住まれてどうですか?

折原:すごくいいですね。海も景色ももちろん素晴らしいんですけど、住んでいる方たちの雰囲気がすごく開放的なんですよ。
逗子にいる方って、1年中Tシャツに短パンの人が多いんです(笑)。さすがに真冬は長袖とかも着ますけど、そういうオープンな空気感が、私には合っているんだと思います。

――折原さんのSNSを拝見すると、ご近所の方ともとても仲良くされている印象です。

折原:引っ越してきた当初は、まったく知り合いがいない状態だったんです。でも、引っ越しと同時に飼ったゴールデンレトリバーのリキ丸のおかげで、少しずつ繋がりができていきました。

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折原みとさんの愛犬
散歩していると「最近引っ越してきたの?」って声をかけられて、そこから会話が始まるんです。さらにその方が別の方を紹介してくれて……という感じで、自然とご近所づきあいが広がっていきました。

――移住後、生活スタイルは変わりましたか?

折原:すごく変わりました。以前は昼夜逆転の生活だったんですけど、今は早起きですし、毎日2回は犬の散歩に行ってます。東京にいた頃は運動もほとんどしていなかったんですけど、今は運動やお稽古ごともいろいろやっていて、体を動かす時間が増えました。

海もすぐそこなので、今みたいな季節は、海でシュノーケリングしたりしています。

歩いて10分くらいで、誰もいない岩場に行けるんですよ。
海水浴場じゃなくて、小さな入り江みたいな場所で、一人で気ままに泳ぐんです(笑)。水もすごくきれいで魚もいるし、楽しいんですよ。

――お仕事にも変化はありましたか?

折原:仕事のスタイルも、大きく変わりました。一日中ずっと仕事をしているということはなくなりました。やるときはやるけど、やらないときはやらない。メリハリをつけて働くようになりました。

書くものもかなり変化しています。昔は東京に住んでいたから、物語の舞台も自然と東京になることが多かったんですけど、今はほとんど湘南周辺が舞台になっています。

もちろん、昔からずっと書いているテーマ、「前向きに生きること」とか「命と向き合うこと」は変わっていないんです。でも、それにプラスして「自然との向き合い方」みたいな視点が入ることも増えてきましたね。

自分の勘に素直に従ってよかったと思えた

――執筆活動に趣味に、日々たくさんの活動をされていますが、そのバイタリティはどこから出てくるのでしょう?

折原:やはり、ある程度のタイミングで環境を変えたのはすごくよかったと思います。30代になって、もしあのままずっと東京にいたら、作品を書くことができなくなっていたかもしれません。
メンタルか体のどちらかが壊れていたんじゃないかなと思います。それを事前に察知して、「このままじゃダメだ」と思ったんでしょうね。そういう自分の勘みたいなものに、素直に従ってよかったと思っています。

あとは、環境を変えたことで、自分の中に入ってくる経験や出来事が増えたので、「書きたい」ものがどんどん増えています。それが、創作活動やエネルギーの素になっています。

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現在も逗子で充実した生活を送りながら、精力的に創作活動を続けている折原さん。自分の心と体の声に耳を傾け、「このままじゃダメになる」という直感を信じて環境を変える勇気。豊かに働き続けるためにとった大きな決断が、今もなお第一線を走り続ける折原さんの活力になっていました。

「このままじゃダメになる」60代漫画家・折原みとが語る“人気絶頂期の苦悩”。東京を出て選んだ生き方とは
折原みとさん(@60life_mito)のインスタグラム
【折原みと】
漫画家、小説家。エッセイ、詩集、お料理本、絵本、CDなど、様々なジャンルで活動中。湘南在住、愛犬はゴールデンレトリバーのハルちゃん。着物好きの和物フリーク。 防災士。野草料理研究家。湘南焚き火倶楽部会長。
Instagram:mito/60代バツなしおひとりさま(@60life_mito)

<取材・文/大夏えい>

【大夏えい】
ライター、編集者。大手教育会社に入社後、子ども向け教材・雑誌の編集に携わる。独立後は子ども向け雑誌から大人向けコンテンツまで、幅広く制作。
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