広末は2025年4月、新東名高速道路を運転中に、大型トレーラーと追突事故を起こしている。
「報道・放送に携わる者として極めて不適切」
広末の所属事務所は6日、「当該事故については現在も警察による捜査が継続中」「そのような状況下で、本人が関わる事件を笑いの題材として扱うことは、報道・放送に携わる者として極めて不適切」といった声明を発表。TBSに対して謝罪を求めると、9日にTBSの公式ホームページ内で「この度の放送内容について、広末涼子さんならびに関係者の皆様方にご迷惑をお掛けしましたことをお詫びいたします」という謝罪文を出した。広末をイジったことによって起きた今回の一件ではあるが、広末サイドの行動は賛同されるべきだったように思う。その理由を語りたい。
イジられることは、不祥事の後の通過儀礼?
そもそも、不倫をはじめとした不祥事を起こした有名人がテレビ番組でイジられ、「ちょっと待ってくださいよ!」とツッコミを入れたり、負け顔を見せたりするパターンは珍しくない。出演者や番組サイドからのイジりを乗り越えることで、世間からのお許しを得ることにつながり、本格的に芸能活動を再開させる流れは今では“通過儀礼”となっている。
実際、イジりによって「救われた」という思いを経験した有名人は多い。不倫騒動を起こしたアンジャッシュの渡部建は、佐久間宣行氏が手掛ける『トークサバイバー! ~トークが面白いと生き残れるドラマ~』(Netflix)で共演した千鳥が不倫騒動をイジり倒してくれたことについて、のちに佐久間氏のラジオ番組で「もう千鳥様様ですね」と千鳥への感謝を口にしていた。
広末のアクションは「非常識」なのか
問題を起こした人間に対して、周囲はどうしても腫れ物に触るように接してしまう。だからこそ、あえて触れられたくない部分に触れ、笑いに変えてしまうことで、周囲も距離感をつかみやすくなる。加えて、イジられた後に負け顔を見せることで、視聴者に「反省しているみたいだな」と思わせ、留飲を下げることも可能だ。つまり、トラブルを起こした有名人にとっては、こうしたイジりはいわゆる“愛あるイジり”であり、心で喜び、表情で泣きながらリアクションしなければいけない。

交通事故をイジりのネタにして良いわけがない
とはいえ、今回番組がイジりの題材にしたのは交通事故である。不倫なども多くの人を不幸にする行為ではあるが、交通事故は深刻さが違う。運転手や同乗者、対向車線のドライバーなどが命を落とすこともある。“不祥事”と同列に扱い、笑いのネタにして良いわけがない。大前提として、世間話レベルなら不祥事を起こした有名人についてどうこう言うのは個人の自由だが、公共の電波を使って不祥事を笑いに変えるのはいかがなものか。
イジられることが嫌な人は一定数おり、それが仮に自身の落ち度によって引き起こされた問題だったとしても、触れられることを嫌がる人もいるはずだ。
「笑えればOK」という異常な風潮
テレビを視聴している多くの人の前で、傷を掘り起こされるだけではなく、上手な“受け身”を取れなければ「笑いに変えろよ」「反省してないのでは?」と文句まで言われてしまう。残念ながら、広末の行動に「空気が読めない」みたいな声も散見されているが、これは明らかに異常な状態だ。だからこそ広末サイドが今回、嫌なことを嫌だと、不適切であり名誉毀損だと声を上げたことは称賛されるべきである。当然、バッシングも多く寄せられることは十分想定していたと思う。それでも、自身の尊厳を大切にして、ファイティングポーズを取ったことの意義は大きい。
「笑いに変えれば良いじゃん」という空気感が強く、過剰なイジりに応えられなければ「ノリが悪い」となぜかイジられた側が責められる昨今。今回の件は、改めてイジりについて考える機会を与えてくれた出来事ではないか。
<文/浅村サルディ>
【浅村サルディ】
芸能ネタ、炎上ネタが主食。好きなホルモンはマキシマム ザ ホルモン。