(台北 27日 中央社)日本統治時代に建設された台北市の総統府(旧台湾総督府)は、今年で築100年となる。建物の修復に半世紀近く関わってきた建築士の薛琴さん(73)が、中央社の記者に自身の体験や思いを語った。


薛さんは1945年生まれ。大学院卒業後に公務員となり、総統府の修繕を手掛けることになった。当時30代だった薛さん。初めて総統府に足を踏み入れた印象を「不思議だった」と振り返る。当時、建物の約半分を使用していた国防部(国防省)が壁や柱を緑色に塗っていたためで、軍事基地のような感覚を覚えたという。

当時の総統府は屋根が雨漏りしていたほか、第2次世界大戦時の空襲による建材の損傷が構造にも影響を及ぼしていた。
薛さんによると、空襲で少なくとも2発の焼夷弾が命中しており、正面ホールや廊下などは崩れ、窓や瓦も焼け落ちた。だが、資金不足から屋根の修繕を木造の骨組みにトタン葺きという簡素な形式で済ませたため、1970年代後半には黒くさび付いてしまった。

屋根の改修を決めたのは、1978年に総統となった蒋経国だった。この時薛さんが、酸化すると青緑色になる銅板材を用いることを提案し、蒋経国はのちに「この色を変えるな」と側近に命じるほど気に入ったという。

総統府は1998年に国定古跡に登録され、これを機に古跡としての修復が本格化した。当時53歳だった薛さんはすでに退職して大学で教鞭を執っていたが、調査報告書の作成や修復計画書の提出などという形で総統府と関わり続けた。
調査をするうちに貴重な資料を次々と発見し、建築の妙を実感したという。

薛さんは現在の総統府について、数度の修復で構造上の大きな問題は改善されたが、外壁のれんがが脱落する問題が残っているほか、内装の大理石も本来の色とは異なると指摘。予算の関係で修復のレベルは東京駅丸の内駅舎のようにはいかないといい、「完全に復元できたらいいのに」と感慨深げに語った。

総統府が100年経っても保存・利用されていることについては、「建築家が生み出した作品を大切に使うのは素晴らしいこと」と語り、政権や管理する民族が移り変わっても皆が責任を持って手入れをしてきたからこその成果だとの考えを示した。

(江佩凌/編集:塚越西穂)