
緩歩(かんぽ)動物であるクマムシは、体長50μm(マイクロメートル)から1.7mmの微小動物だが、この小さな体からは想像もつかないほどの耐久性と回復力があることはみんなが知っているとおりだ。
8本の短い脚でヨチヨチと歩く姿がクマに似ていることから日本では「クマムシ」と呼ばれているが、世界で最も古い記録として残されているクマムシのスケッチは1773年のものだという。
いったい誰がこのクマムシを描いたのか?今回は世界初とされるクマムシのスケッチを見ながら、その歴史を紐解いていくことにしよう。
ほぼ無敵?地球最強動物クマムシ
クマムシは、極度の高温や低温、高圧力にも負けず、ほとんどの生物が死んでしまうレベルの放射線にも耐え、乾燥や酸欠状態に長期間さらされても代謝を止めて仮死状態(乾眠)になり、後で生き返ることができる。
さらに宇宙空間でも生き延びることができてしまう驚異的な生き物だが、現在1300種ほどが知られているこのクマムシは、深海から熱帯雨林、南極まで地球上のあらゆるところで見ることができる。
約250年前、顕微鏡を手に入れた牧師が描いたクマムシ
多種多様なクマムシがいるが、その大きさは0.3mmから0.5mm程度で、最大でも1.2mmくらいだ。
この小さな小さな生き物の最初の観察記録は、1773年にドイツの牧師、ヨハン・アウグスト・エフライム・ゲーゼによって出版された。
ゲーゼの観察とスケッチはわずか数ページのものだが、ジュネーブの博物学者シャルル・ボネの『昆虫論』のドイツ語版に添えられていて、今日の私たちも感じることができるクマムシの驚異と魅力を伝えてくれる。
現在のドイツ、アンハルト州アッシャースレーベン生まれのゲーゼは、神学者であり哲学者でもあったが、41歳のときに顕微鏡の中でしか見ることのできないミクロの世界を観察し始め、自分専用の複合顕微鏡まで手に入れた。
顕微鏡が科学的手法として普及したのは1660年代から
肉眼では見えない世界をのぞきこむ顕微鏡が使われ始めたのは16世紀だが、科学的手法として普及したのは1660年代になってからのことだった。
この時代に、オランダの自然哲学者アントニー・ファン・フェーウェンフックが200倍の顕微鏡を発明し、精子細胞、植物細胞、鉱物構造を見ることができるようになった。
王立協会のロバート・フックは、ノミやコルクなどの微細構造を精緻に図解した『ミクログラフィア』を出版した。
初期の顕微鏡はガラスの不純物、画像のぼやけ、色の分離など技術的な問題がまだまだあったが、極小のものを観察するには十分だった。こうした問題は2世紀後には解決した。
ゲーゼは初めてみたクマムシに大興奮
1722年12月、汚れた水から採取したサンプルからクマムシが見つかった。
灰色がかった不透明な皮膚、カエルのような頭、3本の鋭く曲がった爪がついた8本の脚をもつ生き物が必死でなにかをつかもうとしていた。
脱皮した皮膚の一部も見つかり、そこには中に子どもがいる卵のようなものがびっしりくっついていた。
まだ誰も見たことのない非常に珍しい生き物だと考えたゲーゼは、ほかの友人にもこの観察結果を見せて検証した。
ゲーゼはクマムシの貪欲さを観察して、アフリカにいるライオンなどと同じように、彼らもその生息環境でのほかの生き物との関係で捕食者であると述べた。
一方で、クマムシは意外に不器用で、鋭い爪があるのにたいていは水草にしがみついたり、仰向けに転がってゆっくりと腕を振り回しているばかりだったという。
ゲーゼはこんな言葉を残している。
ゾウや原子、クジラやクマムシなどの創造主よ! 鳥、魚、昆虫などあらゆる生物の体を異なる方法で形作るために、あなたの知恵が用いたデザインの無限の多様性に私は驚嘆しています!(ゲーゼ)
ゲーゼが観察して描いた詳細なクマムシのスケッチは、今もなお、研究者らを魅了する極小生物の神秘と驚異を存分に伝えてくれている。