考古学の常識を覆す発見、ドローンで明らかになった3500年前の巨大要塞
Image credit: Nathaniel Erb-Satullo

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 ドローンによって、ジョージア南部コーカサス山脈にある3500年前の古代要塞の全貌が明らかとなった。

 ドマニシス・ゴラと呼ばれるこの遺跡は、内側の要塞だけでなく、外壁で囲まれた広大なエリアにまたがっており、考古学者が考えていたよりも40倍も大きいことが判明した。

 詳細な航空写真から、現在のアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコにまたがる山脈に似たような要塞が何百も建設されていたのだ。

 クランフィールド大学の考古学者ナサニエル・エルブ・サトゥロ氏らは要塞の発掘調査に基づいて、これらは遊牧民が毎年の移動中に拠点とする場所だったという説を打ち出しているが、はっきりしたことはまだわからない。

二層の壁に守られた放棄された古代の巨大要塞

 半分土に埋もれた青銅器時代の要塞遺跡ドマニシス・ゴラは、180万年前にホモエレクトスもしくはそれに近い種族が住んでいたらしい洞窟から数km離れたところにある。

 この吹きさらしの岬の両側には深さ60mの峡谷が走っていて、自然の要塞になっている。

 紀元前1500~1000年の間にここに住んでいた者たちは、岩を積み上げて高さ4m、厚さ2.5mの二層の壁を建設し、西側の平野から要塞内を遮断していた。要塞内には石造りの小屋を建て、家畜小屋やその他の建物も作っていた。

 壁の外側には、西側に向いた別の壁に守られた広い居住区があり、その外壁は内壁と同じ高さと幅で、峡谷の端から端まで1kmにわたって伸びている。

 壁と壁の間には、家やその他の建物が小さな敷地を形成し、空地もあった。柵で囲まれた畑、動物の囲い、墓も点在していた。

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ドローンがその詳細を明らかに

 今回の調査は、DJI Phantom 4 RTKドローンで行われた。

 撮影した1万1000枚の航空写真をつなぎあわせて、正射写真とデジタル高度マップを作成し、最初に想定していたよりもこの要塞コミュニティが遥かに広大であることがわかった。

 もっとも内側の壁は1.5ヘクタールの範囲を囲んでいるが、もうひとつの壁は56ヘクタールだ。また過去に破壊されたか、未完成の壁を含めると、壁に囲まれたエリア面積の合計はおよそ80ヘクタールになるという。

 これだけ広いと、地上からの全体像を把握することは不可能だ。

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遊牧民と要塞文化

 この要塞は、中世の主要な交易拠点でかつて大聖堂と城があった近くの町ドマニシよりも遥かに巨大だが、南コーカサス山脈に点在する数多くの要塞のうちのひとつにすぎず、そのほとんどはまだ調査や発掘が行われていない。

 こうした要塞は、自然の防御を活用するために峡谷や丘の頂上などの自然の地形を利用しているケースが多く、モルタルなどは使わず、なんの加工もされていない巨石を積み上げて壁を強化している。

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 壁の内側の人々は灰色や黒色の陶器を使用していた。それらはよく磨かれ、精巧な青銅細工が施されていた。また彼らは、骨で作った針で縫物をし、骨、カーネリアン(紅玉髄)、銅、ファイアンス陶器のビーズで装飾品をこしらえていたようだ。

 こうしたコミュニティ内で亡くなると、死者はクルガンと呼ばれる墓、クロムレックという巨大な石造りの墓、あるいは石で囲まれたシストという小さな墓に埋葬された。

 シストは内壁の正門近くにあり、門を通る人が誰でも直接そのそばを通るようになっていた。

 そうした場所に埋葬された人は、数珠、銅合金の矢尻、陶器などの副葬品と共にあの世に旅立った。内壁と外壁の間にはこれら3種類の墓が混在していて、生者と死者の住処を分ける明確な墓地というものはなかった。

 要塞の内外にあった畑の境界には、小さな石を使った狭い石垣が築かれている。

 これらは要塞が崩壊したずっと後に作られたようで、古い建造物の基礎が壊された痕跡が航空写真に写っている。ドマニシス・ゴラが全盛期だった青銅器時代と鉄器時代初期にさかのぼる畑もあった。

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遊牧民のための居住地なのか?

 この要塞に住んでいた人たちは、家畜の飼育で生計をたてていた。夏は高地の牧草地、冬は低地の放牧地を移動する生活だったと思われる。

 エルブ・サトゥロ氏らは、こうした要塞が付近を通過する遊牧民の春と秋といった季節ごとの居住地だったのではという仮説をたてている。

 ドマニシス・ゴラは、遊牧民が移動するルート上にあり、外側の集落が季節によって拡大したり縮小したりと形状を変えた可能性があるという。

 とはいえ、石造りの建物や囲いを建てる手間をかけていることから、一時的に利用するキャンプ地のようなものではなく、ずっと住んでいた居住地だったのではないかという説もある。

 だが、発見物はそれほど多くなく、定期的にやってきてはいたが、それほど長く滞在したわけではなかったのではない、季節的な居住地だったという説が生まれた。

 この説を確実なものにするには、さらに詳細なマッピングを行う必要がある。

「現在、この遺跡は広範囲がマッピングされているので、今後の研究で人口密度や家畜の移動、農耕痕跡などの知見がさらに得られることを期待している」エルブ・サトゥロ氏は語る。

崩壊に対する回復力と破壊の物語

 もうひとつの疑問は。ドマニシス・ゴラの集落がどのようにして青銅器時代の崩壊を生き延びたかということだ。

 青銅器時代の崩壊とは、紀元前1100年初期にメソポタミア、ナイル流域、地中海沿岸に大混乱をもたらした、侵略、飢饉、地震、経済や政治の大変動の嵐のことだ。

 ドマニシス・ゴラの放射性炭素年代測定や陶器や建造物の種類から、ほかの地域が青銅器時代から鉄器時代へと激しく移行していたときですら、それほど生活が激変していなかったことがわかっている。

 エルブ・サトゥロ氏らは、彼らが移動していたことと、コミュニティが要塞化されていたことがうまく機能して、大崩壊の波に対する回復力が高かったのではないかと見ている。

 とはいえ、どんな文明でも永遠に続くことはない。

航空写真には崩壊して久しい古代の建造物が掘り返された痕跡が写っている。

 かつての住居跡に放棄されたと思われる納屋の跡もあり、西暦1700~1800年頃に荒廃し、石造りの建物や墓があった場所は、1972年のソ連時代には農地化されていたこともわかっている。

 この研究は『Antiquity[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/megafortresses-in-the-south-caucasus-new-data-from-southern-georgia/7752B2551034811556C96E75E909D730]』誌(2025年1月8日付)に掲載された。

References: Archaeologists just mapped a Bronze Age megafortress in Georgia - Ars Technica[https://arstechnica.com/science/2025/01/archaeologists-just-mapped-a-bronze-age-megafortress-in-georgia/] / Drone reveals ancient fortress is 40x larger than archaeologists once thought | Popular Science[https://www.popsci.com/science/mega-fortress-drone/]

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