死海近くで2200年前の謎のピラミッド構造を発見、大量の遺物も出土される
Image credit: Emil Aladjem/Israel Antiquities Authority

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 イスラエルの死海近くにあるユダヤ砂漠のゾハル渓谷近くで、考古学者たちが謎のピラミッド状の構造物と保存状態の良い大量の遺物を発掘した。

 だがいったいなぜこの遺構が作られたのか、その目的ははっきりしていない。

 発掘チームは今後も調査を続け、この構造物の正体を解明しようとしている。

死海近くの2200年前のピラミッド状の遺構

 発見されたピラミッド状の遺構は、手作業で切り出された石で作られており、1つ1つが数百kgにも及ぶ。だが、その目的ははっきりしていない。

 発掘を指揮する考古学者たちは、記念碑、墓、または商業ルートを守る監視塔の可能性があると考えている。

 この遺跡の年代は約2200年前、紀元前200年ごろにさかのぼる。

 当時、この地域はエジプトを支配していたプトレマイオス朝[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B9%E6%9C%9D]と、北方に広がるセレウコス朝[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%9C%9D]の勢力争いの真っ只中だった。

 アレクサンドロス大王が紀元前323年に亡くなった後、その配下の将軍たちが帝国を分割しヘレニズム王朝が誕生した。

 プトレマイオス朝はエジプトとその周辺地域を支配し、セレウコス朝は中東の広大な地域を支配した。

 両王朝は、イスラエルを含むレヴァント地方の支配を巡り、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて「シリア戦争」と呼ばれる争いを繰り広げた。

 今回の遺跡が造られた紀元前200年ごろは、セレウコス朝がイスラエルを含む地域を支配し始めた時期にあたる。

 このピラミッド状の建造物がどちらの勢力によって建てられたのかは、今後の研究で明らかにされるだろう。

 なお、両王朝はその後、紀元前1世紀にローマ帝国によって吸収されている。

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砂漠の乾燥した環境が生んだ奇跡的な保存状態

 発掘現場では、砂漠の乾燥した環境によって奇跡的に保存されたさまざまな遺物も見つかった。

 発掘チームの考古学者、イド・ザンゲン氏は「極端な乾燥が、遺物を驚くべき状態で保存していた」と述べている。

 また、発掘を指揮するイスラエル考古庁のエリ・エスクシド氏は「この発見は驚くべきもので、考古学的にも歴史的にも大きな意味を持つ」と語っている。

 これまでに発掘された遺物には、古代ギリシャ語が書かれたパピルスの断片、木製の器、籠、ロープ、青銅製の貨幣や容器、古代の家具の一部、ビーズ、武器、布、種子、ボタンなどがある。

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ギリシャ語のパピルスの断片が歴史を紐解く手掛かりに

 ボランティアのエヴァ・バルビン・ブラフマン氏は、「発掘現場の上層部分からパピルスの一部を見つけた。ギリシャ語と思われる文字がはっきりと読み取れた」と興奮気味に語っている。

 パピルスの記述内容が明らかになれば、この建造物の目的や当時の社会の詳細が判明する可能性がある。

 特に、プトレマイオス朝とセレウコス朝の統治下でどのような人々がこの地に住んでいたのかが浮かび上がるかもしれない。

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さらなる調査が歴史の謎を解く鍵に

 発掘は、イスラエル考古庁の指揮のもと、専門の考古学者チームとボランティアによって進められており、調査は2025年4月8日まで続けられる予定だ。

 今後の発掘で、ピラミッド状遺構の目的や、誰が建設したのかが明らかになる可能性がある。

この発見は、ユダヤ砂漠が古代文明の交通・交易の要所だったことを示す可能性があり、さらなる調査を通じて、この地で暮らした人々の生活や文化、そして戦乱の歴史が明らかになることを期待しようじゃないか。

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References: Facebook[https://www.facebook.com/AntiquitiesEN/posts/pfbid0XLujHu65z5TQk8Fi1HZ4VzyXuRv4e7aY4reGeAob31ntQ4VSnBdXk62xT7z3vLK2l]

本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。

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