マヤの古代都市で発見された祭壇が示す古代マヤとテオティワカンの衝突の痕跡
 マヤの古代都市、ティカル遺跡発見された祭壇。1700年前のものだと考えられているEdwin Roman Ramirez/<a href="https://www.brown.edu/news/2025-04-08/altar" target="_blank" rel="noreferrer noopener">Brown University</a>.

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 かつてマヤ文明の中心都市として栄えた「ティカル遺跡」で、謎めいた顔が描かれた1700年前の祭壇が発見されたそうだ。

 300年代後半に建てられたとされるその祭壇の四方には羽飾りを身にまとい、盾や装飾品に囲まれた人物が描かれている。

 奇妙なのは、それがメキシコの遺跡で見られる「嵐の神」によく似ていることだ。

 どうやらそれを描いた職人はティカルの人間ではなく、当時アメリカ大陸で最大の勢力を誇ったテオティワカンの職人だったらしい。

 米国ブラウン大学の考古学者によると、そのことはマヤの古代都市ティカルとテオティワカンの対立をほのめかしているいるという。

ティカル(マヤ)とテオティワカン

 現在のグアテマラにあるティカル遺跡は、4~9世紀頃にかけて繁栄したマヤ文明の中心都市の1つで、世界遺産としても知られている。

 最初から大きな勢力だったわけではない。ティカルの始まりは紀元前850年頃で、それ以降長きにわたり小さな都市でしかなかった。

 ところが、紀元100年頃から力をつけ、マヤ文明の政治・経済の中心地として栄えることになる。

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 一方、そこから1000km離れた現在のメキシコにあたる地域には、「テオティワカン」というはるか強大な古代都市があった。

 こちらはマヤ文明ではなく、テオティワカン文明の中心地として栄華を誇っていた。

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衝突の始まりと祭壇の意味

 ティカルとテオティワカンの両都市で交流が始まったのは、紀元300年頃のこと、今から約1700年前だ。

 最初はときおり交易をする程度のものだったという。だが力をつけたティカルが目障りになったのか、両者の関係はやがて対立の色彩を帯びるようになる。

 そして決定的な出来事が起きる。378年、テオティワカンはティカルの王を廃し、傀儡(かいらい)の王を据えたのである。

 これまでに発見された証拠からは、祭壇が建てられた時代がティカルにとって激動の時代だったことが明らかになっている

 今回見つかった祭壇は、紀元300年代後半に作られたもので、赤・黒・黄色の3色で彩られた4つのパネルにより装飾されていた。

 その装飾は、盾のような儀式用の道具に囲まれた人物を描いた画で、顔の特徴としてはアーモンド型の目、鼻に棒飾り、耳に二重の飾りがあり、頭にも羽根飾りをつけている。

 この姿は、中央メキシコに位置するテオティワカン(Teotihuacan)で信仰されていた「嵐の神(Storm God)」の描写によく似ている。

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祭壇内部からの新たな証拠

 ブラウン大学の考古学者チームによると、今回ティカル遺跡で発見された祭壇は、テオティワカンがティカルに強引に介入しようとしていたことを示しているという。

 対立をほのめかすのは、メキシコの遺跡でよく見られる「嵐の神」に似た肖像だけではない。

 祭壇の内部からは座ったままの姿勢で埋葬された子供の遺体が発見されている。こうした埋葬の仕方はティカルでは珍しい一方、テオティワカンでは一般的なことだった。

 さらに緑の黒曜石で作られた槍先と埋葬された成人の遺骨も発見された。その槍先の素材やデザインもテオティワカン風のものであるという。

 もう1つ興味深いのは、祭壇やその周囲が埋められた後、そのまま放置されていたらしいことだ。

 じつはティカルのようなマヤ文明には、定期的に建物を埋めて、その上に新しい建物を建てるという習慣があった。

 ところが、祭壇の土地は埋められた後、新たに建物を建てた形跡がないのだ。

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その後立場は逆転

 ブラウン大学のアンドリュー・シェラー氏はニュースリリース[https://www.brown.edu/news/2025-04-08/altar]で、この事実はティカルの人々の複雑な心情を物語ると説明する。

 「何世紀にもわたって貴重な土地であったにもかかわらず、記念碑や放射能汚染地帯のように扱われたのです。これはテオティワカンに対する複雑な心情を物語っているに違いありません」

 虐げられたティカルだったが、それで滅ぶようなことはなく、それから数世紀かけて強力な王国へと変貌を遂げる。

 一方、ティカルにとって目の上のたんこぶだったろうテオティワカンは、650年頃崩壊。そしてティカルは900年頃、マヤ世界全体とともに衰退した。

 この研究は『Antiquity[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/teotihuacan-altar-at-tikal-guatemala-central-mexican-ritual-and-elite-interaction-in-the-maya-lowlands/78F1EE665FD51C6B41457872CDA20A80#article]』(2025年4月8日付)に掲載された。

References: Brown.edu[https://www.brown.edu/news/2025-04-08/altar]

本記事は、海外の記事を参考に、日本の読者向けに重要な情報を翻訳・再構成しています。

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