フランス革命時代に流行っていた処刑装置「ギロチン」のアクセサリー(18世紀後半)


 ギロチンは、2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間に寝かせた罪人の首を切断する斬首刑の執行装置だ。

 フランスでは、フランス革命直後の恐怖政治時代にギロチンを使った処刑が始まり、1792年から1981年まで使用されていた。


 当時ギロチンは一種の流行となり、ギロチンや斬首をモチーフにしたアクセサリーがファッションとして流行るようになったという。
【ギロチンのイヤリング 1793年頃】

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 金メッキが施されたギロチンのイヤリング。1793年頃のものと思われる。よく見ると、ギロチンの刃の下に王冠を頭に乗せた王や女王の切断された首がぶら下がっている。

 1793年6月から1794年7月の間だけで、1万6594人がギロチンで処刑された。フランス革命時、ギロチンといえば恐怖政治の象徴だった。これは、まさにそのものずばりだが、隠喩的な意味もあった。

【ギロチンは当時、人道的処刑装置として開発された】

「ギロチンは、世界を生まれ変わらせるための画期的装置だった」と言うのは、「The Man Who Thought He Was Napoleon」の著者のロール・ミュラだ。

幾何学と重力の法則からこの近代的装置が作り出されたとき、平和主義的かつ民主的な死が約束された。

魔女や放火犯は火あぶり、大逆罪は拷問、窃盗や犯罪者は絞首刑、貴族は剣による斬首といった、階級によって刑罰が違う古い支配体制を永遠に終わりにした。

身分による死の不公平をなくすために、1789年10月9日、国民議会に選出されたドクター・ジョゼフ=イニャス・ギヨタンが、万人に共通の死刑の新たな形を提案したのだ(ロール・ミュラ)

 フランス革命勃発後、内科医で憲法制定国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンは受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関わりなく斬首の刑が適用できる、「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した。

 最終的にその案が採択され、ギロチンは、1792年4月25日に議会で正式に処刑道具として認められた。


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 設計をしたのは、当時外科医だったアントワーヌ・ルイである。

 「フランスは斬首という処刑の方法を発明したわけではないが、その運用の規模を変え、技術的に死を大量生産できるようにしたのはこの国だ」とミュラは書いている。

中世ドイツのディーレ、16世紀イタリアのマンナイア(肉切り包丁のようなもの)、スコッチメイデン、イギリスのハリファックス断頭台など、中世にはほかにも斬首道具はいろいろあり、その当時はそれなりに使い勝手が良かった。

だが、フランスのギロチンは、死刑囚の体を縛りつける板や、首を固定する首穴の形(両面くびき)などが改良されたおかげで、これまでのものよりも格段に機能的になった。

刃は三日月型のものよりも、45度の角度に傾斜した斜めの刃を採用することにより、“決して失敗しない”ようになった。実質的な開発者のアントワーヌ・ルイによって、1792年3月7日にこうした成果報告書が提出されている

 ギロチンの試作を行ったのは、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンと音楽仲間として親しかったチェンバロ製造職人のトビアス・シュミットだ。

 試作品にプチ・ルイゾン、あるいはルイゼットという名前をつけ、特許を申請したが、却下された。その却下理由が興味深い。

 「このようなものの発明に特許を付与することは、人道的に嫌悪感をもよおす。我々はまだここまで野蛮に成り下がっていない。確かにシュミット氏は、役立つ処刑道具を発明したが、これは法の執行の場合のみに使われるものであるから、政府にその権利を提供しなくてはならない」というのだ。

 この新しい“政府の装置”は、1792年4月17日に、生きた羊と人間の遺体3体を使って、初めてテストされた。


 数日後の4月25日、ニコラス・ジャック・ペルティエという追いはぎが、ギロチンでの処刑第一号になった。

 もちろん、これは首尾よく行われた。
 そしてここからギロチンによる大量処刑が始まったのだ。

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【当時の人々はギロチンが好きだった】

 野蛮であろうがなかろうが、当時の人々はギロチンが好きだった。恐怖政治が始まると、1日46人ペースで斬首が行われた。公開処刑だ。

 もちろん、ルイ十六世、マリー・アントワネットもその中に入る。瞬時に死をもたらすこのおぞましい道具は、次第に日常生活の一部として溶け込み、アートや音楽、ファッションのテーマにまでなった。

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ギロチンで処刑されるルイ16世 image credit:public domain
 人々はもはや“ギロチンにかけられる”とは言わず、“猫の出入り口に頭を突っ込む”とか“窓から頭を突き出す”とか“籠の中に向かってくしゃみする”といった表現を使った。

 「トリコロールのスカートや花束、バスティーユ牢獄の破片がセットになったジュエリーと同じように、ギロチンは人々の大胆さや勝者の側であることの証明となった」ジェイン・メリルとクリス・フィルストラップは「I Love Those Earring」の中でこう書いている。

 恐怖政治がついに終わって、斬首やギロチンに対する世間の人々の意識は変わり始めた。

 切断された首が、赤面したり、歯ぎしりするとか、首は体から切り離されてもまだ意識が残っているなどといった噂話が多く出回り、それを信じる人がいた。


 その後、「犠牲者の集い」がパリで開催されたとき、ギロチンで最期を迎えた人々の遺族たちが、喪服をまとい、赤いリボンを首に巻きつけて集まったという。

 尚、ギロチンがモチーフのイヤリングペンダントは、今はEtsyで購入することができる。

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References:Guillotine - Wikipedia / cultofweird/ written by konohazuku / edited by parumo

記事全文はこちら:フランス革命時代に流行っていた処刑装置「ギロチン」のアクセサリー(18世紀後半) http://karapaia.com/archives/52270670.html
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