有毒の植物「ソテツ」を知恵と工夫で食用にし「命の恩人」として大切に育てている奄美大島の人々


 ソテツは日本の九州南端、南西諸島に自生する裸子植物だが、特に奄美大島では昔から大切にされてきた。

 観葉植物として知られるソテツだが実は有毒性である。
だが、奄美大島の人々は知恵と工夫で毒抜きし、食用化した。ソテツは長きにわたり島民の生活を支えてきた大切な食糧であり、「命の恩人」と称されている。

 奄美大島の人々とソテツの関係が海外で動画化され特集されていた。
 ドキュメンタリー映画の製作を手掛ける『Great Big Story』のYOUTUBEチャンネルにて、「毒のある植物を毒抜きして食べる日本の食文化」としてソテツと奄美大島の人々が紹介された。

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Cooking With Poison in Japan

【奄美大島の人々とソテツの歴史】

 ソテツは有毒性で、そのまま摂取すると体内でホルムアルデヒドに変化し、急性中毒症を起こすと言われている。そんな危険な植物を、島民は手間暇をかけて毒抜きをし、調理して食べる。そこには、奄美大島の歴史が深く関わっていた。

 種子を含めた全草に毒が含まれているソテツを安全に食するために、島民たちは試行錯誤して完全に毒抜きする方法を学ばなければならなかった。

 その努力が実を結び、今日もソテツの調理は奄美大島の伝統として生き続けている。それは、島民が自分たちの歴史を決して忘れず、先人を尊重していることに等しい。

 地元で製塩業を営むかたわら、地域づくりのためにソテツの商品化に取り組む和田昭穂さん(89歳)は、ソテツについて次のように語っている。

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人とソテツの間には長い歴史があります。
ほとんど水なしでも育つことができるソテツは、非常に頑強な生命力を持っています。

しかし、ソテツには毒がありますから様々な試行錯誤を繰り返して、先人たちによって積み上げられた結果、この“毒晒し”の方法が見つかったのです。


【島民たちが編み出したソテツの毒抜き法】

 ソテツには多くの澱粉が含まれている。ソテツの毒であるサイカシンは水に溶けるが、澱粉は溶けない。島民たちはソテツの毒抜きをしてから、底に沈んだ澱粉を集めて団子状や粉状にし、保存するという。

 その作業を始めるにあたりまず必要なのは、「美味しそうな木とそうでない木を見分けること」なのだそうだ。

 見分けたら、葉から下部分を切り落とし、幹から茶色の皮を剥ぐ。

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 幹と芯の部分にある程度の大きさに切り分けた後は、それらを天日干しにする。その後何度も水に晒し、1週間から10日間、布で包んで袋に入れて暗い場所で発酵させる。

 黄色い麹が生えたら水洗いし、臼杵で細かく砕き再び水に晒して幹が柔らかくなるまで繰り返す。

 時間をかけて十分水に晒す行為を繰り返し、水の底に細かくした幹や芯部分から出た澱粉が沈むと、それを集めて乾燥させ、保存する。

 ここまでの全てのプロセスには3週間ほどかかる。


 毒抜きされたソテツは、立派な食料となる。ソテツ粉からは、うどんやクッキー、カステラ、お餅なども作ることができる。

 また、ソテツの芯から作ったお粥「シンガイ」は、とても美味しいと島民には評判だ。お米のように、おかずと一緒に食べることが多かったという。

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【ソテツは島民の命を救った島の宝「命の恩人」】

 戦時中、奄美の人々が作った食料は、全て国に供出しなければならず、島全体が飢饉に陥った。また、戦後も貧困が原因で、島民たちは米を売らざるを得なかった。そんな状況を救ってくれたのがソテツの存在だった。

ソテツは、非常時や飢饉に島民の命を繋いだ殊勲賞です。苦しかった時代、先人たちはソテツを食べて飢えを凌ぎました。ソテツの実「ナリ」の毒を抜いて食べるようになったのは、生活の知恵といえます。

どんなものよりも、島民の命を救ってくれたのがソテツでした。だからソテツは奄美の大切な文化であり宝なのです。


私は、先祖が作り上げてきたソテツの食文化を継承していきたい。それが私の生き甲斐にも繋がっています。(和田さん)

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【毒のある植物を称える日本の食文化に対する海外の反応】

 この動画が公開されると、海外から大きな反響を呼んだ。

 毒抜きはしていても、本来毒のある植物を食文化として称える日本人に、海外の人々からは戸惑いと驚きの声が上がっていたので一部紹介しよう。

・動画を見てショックを受けた。最初に食べた人はどれだけの勇気がいっただろう。

・「試行錯誤を繰り返して」とあるけど、自分が次の実験台になることを想像したらすごく怖い。

・試行錯誤をしている中で、どれだけ多くの人がその毒にやられたんだろう?その忍耐力というか、命を犠牲にしてまで試すとか、とにかくすごい。

→・まさにKAMIKAZE精神だろう。

 →・でも戦時中は、ほとんどの食糧が不足していたんだから仕方なかったと思う。

 →・毒がある植物を食用にしなければならなかったほど、戦時中は食べるものがなく、明日の命すらわからない絶望的な状況だったんだ。喜んで毒を口にしたのではない。
みんなが生きるために必死だったんだ。

・苦しい時代を生き抜いてきた人たちは、何を食べたら大丈夫なのかと色々なものを口にして亡くなった人もたくさんいると思う。

・日本人が毒のある魚(フグ)を食べるのは知っていたけど、毒のある植物まで食べるとは…。

・お箸で粥を食べることに一番驚かされた。

・そもそも、キノコだってどれに毒があってどれにないのかっていうのを人々が昔に見分けたでしょう?最初に食べようと思った人はやっぱすごいわ。

・ブラジル北部でも「マニコバ」という毒性の植物も、地元では調理しておいしく食べられている。ただし毒抜きには7日間かかるけどね。

・自分の身を犠牲にして、それが食べられるものかどうかを試した人たちのことを忘れちゃいけないと思う。

・高齢でも働き続ける和田さんや日本に敬意を示したい。素晴らしい。

・この数分間の動画では、奄美の歴史や伝統は伝わりきらないと思う。もっと長く見たかった。


・日本ってすごく近代的でもあるけど、こうした古い文化を守っている部分もあるんだね。
written by Scarlet / edited by parumo

記事全文はこちら:有毒の植物「ソテツ」を知恵と工夫で食用にし「命の恩人」として大切に育てている奄美大島の人々 http://karapaia.com/archives/52274831.html
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