幻の古代都市「マヘンドラパルバタ」の姿が明らかに。クメール王朝初期の碁盤目状に整備された首都(カンボジア)


 カンボジアのうっそうとしたジャングルの中に何世紀も埋もれていた古代都市「マヘンドラパルバタ]
が航空写真によってその姿を現わした。

 マヘンドラパルバタは、9世紀から15世紀にかけて東南アジアを支配していたクメール王朝の初期の首都だったと考えられている。


 カンボジアの人々はこの古代都市の遺跡があるプノン・クーレン地域にずっと住み続けてきたが、深い森に実地調査を阻まれてその詳細は把握できないままだった。

 20世紀後半には森はクメール・ルージュ政権とその軍隊によって掌握され、今日でもなおかつての戦闘の名残である地雷の多くがそのままになっているという。
【壮大なビジョンのもとに整備された古代都市の姿が明らかに】

 2012年、パリにあるフランス東洋研究所のダミアン・エヴァンズ氏らは、飛行機からレーザーでスキャニングするLIDAR(レーザー画像検出と測距)という技術を使ってこの地域をマッピングした。

 しかし不十分だったため、2015年に再訪してもっと広い範囲をスキャンをし、できる限り地上での調査も行った。その結果、この都市の様子が非常に詳しいところまでわかってきた。

 山岳地の都市・マヘンドラパルバタは、プノン・クーレンという山岳地域の高原に建設された。

 広さは40~50平方キロメートル、町は碁盤目状に整備され、隆起した土手が東西および南北に走っていることが判明。

 格子状に仕切られた四角の中には、それぞれ寺院や宮殿など建物の痕跡が残っている。

 エヴァンズ氏は、

中央集権的管理と計画性があらわれている。当時のほかのクメール王朝の都市は緩いつながりで成長していたが、マヘンドラパルバタはちょっと違う。そこには壮大なビジョンとかなり精巧な計画がうかがわれる

と話す。

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広さ40~50平方キロメートルほどの都市は碁盤目状に整備されていた

 これはほかの歴史文献の記述とも一致している。


 クメール王朝の最初の支配者はジャヤーヴァルマン2世で、彼は802年に自分は万能の最高支配者であり、これまでそれぞれ独立していた小国をひとつにまとめあげると宣言した。

 この王がクメール王朝の始まりで、マヘンドラパルバタが首都となった。

 マノアのハワイ大学のミリアム・スターク氏によると、

次のステップは、都市遺跡の年代を特定することだった。多くの建造物がいつ建設されたものなのか、はっきりとわからないからだ

とのこと。

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かつてのマヘンドラパルバタには寺院や宮殿など建物の痕跡が残る

【何世紀にも渡り復活が試みられた土地の文化的・宗教的な重要性】

 しかし、マヘンドラパルバタは首都として長くは続かなかったようだ。クメール王朝の中心はまもなく、南の氾濫原にあったアンコールに移った。

 アンコールは、一時は世界一大きな都市だった。有名なアンコールワットは、300年後の12世紀に建てられたものだ。

 首都としてのマヘンドラパルバタは、はっきりその位置がわかっていなかった。山の中なので、十分な食物を育てることは困難だった。

 住人たちは、谷の形を変えて人工の貯水池などを建設する大規模な水管理システムを構築し始めたが、その試みは頓挫した。首都を肥沃な氾濫原に移す方がより実用的だったのだ。


 にもかかわらず人々は、マヘンドラパルバタにたびたび戻って来ては何世紀もの間ここを復活させようとした。

そうして再生した都市もあまり長く続かなかったかもしれない。おそらく数十年の命だっただろう。でも、この場所の文化的、宗教的な重要性は、現代まで絶えることなく続いているのだ

とエヴァンズ氏。

 つまりマヘンドラパルバタは、決して失われた都市ではないということなのかもしれない。

References:New scientist / Science alert / Cambridge coreなど / written by konohazuku / edited by usagi

記事全文はこちら:幻の古代都市「マヘンドラパルバタ」の姿が明らかに。クメール王朝初期の碁盤目状に整備された首都(カンボジア) http://karapaia.com/archives/52283992.html
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