10人のシリアルキラーの子供時代の写真と、その背後にある物語

シリアルキラーの子供時代 image by:iStock
 アルバム、あるいは写真のフォルダを見ると、自分の子供時代の姿が記録されているはずだ。そして様々な思い出が蘇ってくることだろう。


 誰にだって子供時代はある。世界的に有名となったシリアルキラー(連続殺人鬼)もしかり。子供時代、無邪気に微笑む彼らが、その後陰惨な事件を起こすなど想像できなかったかもしれない。

 だが、幼い時分から、彼らにはその片鱗が現れていたようだ。その写真の裏には悲惨な生い立ちと、驚くべきサイドストーリーがあるという。
【10. デビッド・バーコウィッツ(サムの息子)】

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Son of Sam | Was David Berkowitz Born to Kill? | Real Crime
 1976年の夏、ニューヨークシティで6人を殺した、"サムの息子"の異名をもつデビッド・バーコウィッツ

 夜、停めた車の中にいた女性たちを一緒にいたボーイフレンド共々、銃で次々に殺した。バーコウィッツは、17歳でアメリカ陸軍に入隊するときに、初めて出生証明書を見て、自分が養子だったことを知った。のちに生母と再会しようとしたが、母親がそれを拒絶した。

 6歳のとき、バーコウィッツは養母の飼っていた魚の水槽に車の潤滑油を入れて、全滅させ、遺骸にピンを突き刺した。さらに、彼女のペットの鳥に毒を盛り、苦しみながら徐々に死んでいくのを見て楽しんだという。

 FBIのプロファイラー、ロバート・K・レスラーとの面談で、バーコウィッツは養母が愛するペットを必死に生き返らせようとしたが救えなかった光景を見て、快感を覚えたと語っている。


【9. 危険な罠をこしらえたテッド・バンディ】

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Ted Bundy | Before They Were Infamous | Biography
 1946年11月、ルイーズ・カウエルは、未婚の母親たちのための家で生んだ息子にセオドア・ロバート・バンディと名づけた。私生児であることを恥じて、ルイーズはバンディを末っ子の弟として自分の両親にあずけた。

 心理学者の多くは、両親だと思っていた人たちが実は祖父母で、姉だと信じていた人が母親だった事実がわかったことが、バンディを闇に落としたと考えている。

 バンディはその後、1974年から78年の間に30人以上の女性たちを殺すことになる。

 家族ぐるみの友人で、バンディと一緒に育ったサンディ・ホルトは、幼いころからバンディには、近所の森に"トラの罠"を作るような異常な傾向があったことを覚えている。

 「彼は短気ですぐにかんしゃくを起こし、人々を怖がらせるのが好きでした。小さな女の子が、彼が作った"トラの罠"にはまって、下から突き出ていた鋭く尖った棒の上に落ち、足がざっくり裂けてしまったのです」これが、女性たちを傷つけるバンディの歴史の始まりだった。

【8. 母親が恐怖にかられるのを楽しんだデニス・レイダー(BTK)】

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BTK killer Dennis Rader tells all in unheard interview for doc: 'It's a demon that's within me' | Fox News
 デニス・レイダーは、自分のことを献身的な夫、愛情深い父親、カンサス州ウィチタの教会に熱心に通う、きちんとした人間だとまわりに信じ込ませていた。そんな彼が10人を拷問して殺したBTK絞殺魔(BTKは"縛って(Bind)、拷問して(Torture)、殺す(Kill)"の意)だったとは、家族はもちろんのこと、誰もがとても信じられずにかなりのショックを受けた。

 テレビレポーター、ラリー・ハッテバーグとのインタビューで、レイダーは幼い頃から、女性を脅かす異様な衝動にとりつかれていたことを明らかにした。

 レイダーはこう回想している。「母はいつも幸せだったわけではないけこうれど、ぼくはずっと母を愛していた。
でも、多少の恨みもあった」

 子供の頃、こんなことがあったと語った。母親がソファのスプリングに手をはさまれてしまい、レイダーに向かって助けを求めて叫んでいた。その母親の姿が彼の原点だという。

 恐怖に苛まれた目で、なす術もなく息子を見つめる母親に、彼は言いようのない高揚感を感じ、それからというもの、その快感を追い求めるようになったという。

【7. 骨で遊ぶのが好きだったジェフリー・ダーマー】

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Jeffrey Dahmer childhood clips
 1991年、ジェフリー・ダーマーの恐怖の家が明らかになり、彼は"ミルウォーキーの食人鬼"と呼ばれるようになった。

 複数の犠牲者のバラバラ遺体が発見され、切断された頭部が冷蔵庫の中から見つかった。1978年から1991年にかけて、彼は少年を含む17人を殺して遺体を切断した。

 ダーマーは幼いころから骨に異様な関心があったという。父親のライオネル・ダーマーは回顧録『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』の中でこう書いている。

息子が4歳のときのことだった。家の床下から異様なにおいがしてくるのに気がついた。そこには大量の骨、さまざまな小さな齧歯類の遺骸が山と積まれていたのだ。


わたしはバケツにそれらを拾い集めて始末しようとしたが、ジェフは少し離れた地面に座って、バケツに入れた骨を拾い出してはしげしげと眺め、それらを地面に積まれている骨の山に何度も戻していた。そのときの音に異様に魅了され、うっとりしているように見えた


【6. イアン・ブレイディ(ムーアズ殺人事件)】

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Ian Brady: 50 Years Behind Bars Documentary
 ムーアズ殺人事件の犯人。パートナーのマイラ・ヒンドリーと共に10歳から17歳の子どもたち5人を殺し、イングランド北西部、サドルワース・ムーアの荒野に埋めた。

 ブレイディは、生後4か月で養子に出され、早い時期からサイコパスの兆候を見せていた。極度な癇癪もちで、自分の頭を床に何度もたたきつたり、自分の里親のことを"蛆虫"と呼んでいた。

 10歳になると、ウサギの首を切断したり、猫を生きたまま焼き殺したりして、小動物を殺して楽しむようになったという。

 ブレイディとヒンドリーは、17歳のデヴィッド・スミスを殺人の仲間に引き入れようとしたが、スミスが警察へ駆けこんだため、ついにふたりは逮捕された。

【5. 鳥を生きたまま丸焼きにしたジョン・ゲイシー】

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John Wayne Gacy - Childhood | Biography
 ジョン・ゲイシーは、イリノイ州シカゴの中流家庭に生まれた利発な子どもだった。母親を溺愛していたが、家庭内は暴力にまみれていた。

 過度のアルコール依存症だった父親が、幼いゲイシーに対して非常に厳しくあたり、少しでも男らしくないことがあると殴り、女々しいと罵った。

 そのはけ口として、ゲイシーは小動物をいじめて楽しんだ。ガソリンを満たした風船を鳥に投げつけて破裂させ、火をつけて生きたまま焼き殺したりした。


 逮捕されてからの尋問で、ゲイシーは、炎に包まれて逃げ惑う動物を見るのはとてもおもしろかったと、精神科医に話している。

 ゲイシーは、誕生日パーティなどで子どもたちを楽しませる"ピエロのポゴ"を自分の分身とした。1978年、ついに彼は少なくとも30人は殺したことを自白した。そのうち27人は、彼の家の床下から見つかり、あとの3人は近くのデイ・プレインズ川に遺棄されていた。

【4. "シガレット・ピッグ"と呼ばれたアイリーン・ウォーノス】

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Aileen Wuornos Part 1 of 6
 アイリーン・ウォーノスが、悲惨な人生を歩んできたのは間違いない。血のつながった父親は、未成年への性的虐待で服役、産みの母にはわずか3歳のときに捨てられた。祖父母と暮らしたが、長年にわたって祖父から虐待を受けていた。

 自身の著書『モンスター』の中で、ウォーノスは書いている。

母は自分の腹からわたしを引っ張り出して、祖父母に押しつけた。母に会ったのは彼女の葬式のときだけ。彼女は地獄行きだろう。

祖父は、放課後や帰宅が遅くなったときに、たびたびわたしを殴った。
わたしに柳の枝を切らせ、それを使って殴った。すぐに、枝が太いほど、痛みを感じないことを知った

 13歳のとき、ウォーノスは学校の男子たちから、"シガレット・ピッグ"として知られるようになった。タバコと性を交換することで有名だったからだ。2002年、フロリダで売春婦をしていたときに7人の男性を殺害したとして、薬物注射によって死刑になった。

【3. 頭の怪我の後、人格が変わったアレクサンドル・ピチュシキン】

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Alexander Pichushkin Chessboard Killer Documentary
 ロシアの連続殺人鬼。チェスのボードになぞらえて64人を目指して殺人を犯したとされているため、"チェスボード・キラー"と呼ばれている。

 1992年から殺人に手を染め、52人の殺害、遺体損壊容疑で2006年に有罪判決を受け、服役中。良心の呵責などまったくなく、「ぼくにとって、殺人のない人生など、食事のない人生と同じだ。ぼくは犠牲者たちの父親のような気分なんだよ。だって、彼らに別の世界のドアを開いてやったのは、ぼくなのだからね」と豪語している。

 ピチュシキンは4歳のとき、頭部に怪我を負い、それから劇的に人格が変わった。母親によると、彼はバットのスウィングに直撃されて、前頭前野皮質にダメージを受けたという。


 グラスゴー大学の研究者が、殺人者の21%は過去に頭部に怪我を追っているというデータをはじき出した。

 とくに脳の前頭前野皮質は、共感や寛容性と関わっていて、ここが損傷すると人格が変わってしまい、危険な行動に結びつく可能性があるという。

【2. 恐怖の家で育ったエド・ゲイン】

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A&E Biography Ed Gein 2004
 エド・ゲインの母親は、史上最悪の母親のひとりとして歴史に残るだろう。そんな母親のせいで、ゲインは映画『サイコ』(1960)のノーマン・ベイツや、『悪魔のいけにえ』(1974年)のレザーフェイス、『羊たちの沈黙』(1991年)のバッファロー・ビルなど、数多くのホラー映画の殺人犯のヒントとなった。

 母への異常な執着が、墓をあばいて掘り出した女性の遺体から、不気味な衣服を作り出すおぞましい犯行につながった。

 ウィスコンシン州プレインフィールドの人里離れた農場で、子ども時代を過ごしたゲインは、横暴な母親から外の世界は邪悪で、とくに女性は悪魔だと教わって育った。母親の死後、ゲインがこの農場を相続したが、地元の人たちからは、不気味な家だと怖れられた。

 元レポーターのディック・レオナルドは回想する。「あの家は、ハロウィンパーティをするのに、まさにうってつけの場所だ。町のはずれにある暗くて気味の悪い家で、生きているものが住んでいるとは思えないような家だった」

 おぞましい墓荒しを育てるにはうってつけの環境だったということだろう。

【1. 10歳のときに片目を失ったヘンリー・リー・ルーカス】

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Henry Lee Lucas Documentary Part 1
 逮捕され尋問を受けたとき、100人以上を殺したと自白し、一時はこれが真剣に受け止められた。実際の被害者は3人から41人といわれているが、本当のところはわからない。

 1936年、バージニア州ブラックスバーグで生まれたヘンリー・リー・ルーカスは、母親から肉体的、精神的に虐待を受けて育った。

 「自分の人生すべて嫌だった。家族の中で犬のように扱われ、しょっちゅう殴られ、人がやりたがらないことを無理やりやらされた」ルーカスは回想している。

 母親は彼に女の子の格好をさせたり、目の前でわざと恋人たちと性交渉したりした。ルーカスが8歳のとき、母親に木の板で頭をひどく殴られ、3日間昏睡状態になった。その2年後、今度は兄から目を切りつけられ、治療せずにいたため感染症を起こし、片目の眼球を摘出しなくてはならなくなった。

 ガラスの義眼を入れた幼い頃のルーカスの写真を見ると、彼にとって世界がいかに残酷だったかがよくわかる。

References: written by konohazuku / edited by parumo

記事全文はこちら:10人のシリアルキラーの子供時代の写真と、その背後にある物語 http://karapaia.com/archives/52290552.html
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