1万2800年前、彗星の爆発で滅亡した古代の村。それは農業の始まりとも関係がある可能性(シリア)

彗星爆発により滅亡した村/iStock
 シリアの「テル・アブ・フレイラ」は、人類最古の農業の痕跡が発見された重要な考古遺跡だ。だが今後は、彗星によって破壊された唯一の集落としても記憶されるかもしれない。


 ユーフラテス川にダムが建設されたために、集落は現在アサド湖に水没してしまっている。

 しかしダム建設前、1972年から73年にかけて行われた調査では、上下に重なる2つの遺跡でできていることが判明している。古い下の遺跡は旧石器時代の狩猟採集民の集落で、農業が行われていたのは新しい上の方だ。

 このほど、当時採取された土や遺物が新しく分析され、驚愕の事実が明らかになったそうだ。どうやら旧石器時代の遺跡は、1万2800年ほど前に地球に落下した彗星によって破壊されたらしいのだ。

【核爆発に匹敵する爆風で壊滅した古代の村】

 『Scientific Reports』に掲載された研究によると、彗星は大気圏に突入した時点でバラバラに崩壊しており、破片のほとんどは地上に到達しなかった可能性が高いという。

 しかしながら大気圏内でいくつもの空中爆発を起こした。それぞれは核爆発にも匹敵する威力で、その下にある大地を一瞬にして蒸発させては、強烈な衝撃波で数十キロの範囲にある何もかもを吹き飛ばしたという。

 テル・アブ・フレイラもまたそうした衝撃波によって吹き飛んだ。

 研究チームのアンドリュー・ムーア氏(アメリカ、ロチェスター工科大学)は、73年の発掘調査当時、「ある区画がひどく焼けていることに気がつきましたが、まさか彗星のせいだとは思いもしませんでした」とコメントする。

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【溶けたガラス粒子が大量に散らばり、人々が犠牲に】

 今回の分析の結果、テル・アブ・フレイラの土のサンプルには、溶けたガラスの粒がたくさん含まれていることが判明。そのほとんどは直径1、2ミリくらいの大きさで、爆発で土が蒸発し、またすぐに固まってできたものだ。


 また溶けてできたガラス粒は、遺跡で回収された種や穀物の周囲や、建物の日干しれんがからも発見された。

 さらにガラス粒のほか、ナノダイヤモンド、炭素小球体、炭が高い濃度で検出されている。いずれも彗星の爆発によって形成された可能性が濃厚であるという。

 アレン・ウェスト氏(コメット・リサーチ・グループ)は、「暖炉のそばにあった骨の欠片にもガラスが散らばっていました」と話す。つまりは、爆発が起きたとき、そこで人間が暮らしていたということだ。

 ガラスには、石英、クロムフェライド、磁鉄鋼といった溶けた鉱物粒子が含まれていたが、これらが溶けるには1720~2200度が必要になる。当時のテル・アブ・フレイラの住人には到底生み出せないだろう熱量だ。

 火災や火山に起因する可能性もないではないが、それらが遺跡に残された状態を作り出すために必要な温度に達することはない。

 雷ならありえるが、その場合は磁気の痕跡が残るはずだ。そうした痕跡はテル・アブ・フレイラのガラスからは見つかっていない。

[動画を見る]Abu Hureyra, Gobekli Tepe and the Origin of Civilisation
【急激な寒冷化と彗星の衝突が農業のきっかけに?】

 およそ1万2900~1万1500年前、地球は北半球の高緯度において急激に寒冷化したが、この時期のことを「ヤンガードリアス」期という。テル・アブ・フレイラはヤンガードリアス期境界の東端に位置している。


 この時期の南北アメリカ、ヨーロッパ、中東では、更新世の終わりに向かうにつれて隕石が衝突していたらしき証拠が発見されている。

 そうした証拠として、たとえば「ブラックマット」と呼ばれる炭素を豊富に含む層が挙げられる。

 ここには衝突によって作られるナノダイヤモンドや金属小球が含まれ、イリジウム・プラチナ・ニッケルといった稀元素の濃度も高い。さらに炭も含まれており、広範囲に火災が広がり、地球の森林全体の最大1割を焼失させたらしきことも窺える。

 彗星衝突原因説によれば、その当時気候が急激に寒冷化し、それが1300年の間続いたのは、彗星の衝突が原因であるという。当時、気温は平均10度も下がり、とりわけ中東においては乾燥も進んだ。

 こうした気候の激変が、マンモス、サーベルタイガー、アメリカンホース、アメリカンキャメルといった多くの大型動物の絶滅を加速させたという説もある。また北アメリカのクローヴィス文化が滅んだのもこの時期だ。

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 ヤンガードリアス期は中東において農業が始まるきっかけになったという意見もある。

 狩猟採集生活から農業に切り替わった時期は、ヤンガードリアス期の始まりと一致している。急激な気候の変化のおかげで、人々は暮らしを変化させるよう強いられたと考えられるのだ。

 テル・アブ・フレイラの放射性炭素年代測定によれば、衝突からまもなく、それまでと同じ石器や骨角器を使う人たちによって村は再建されたようだ。


 「文化的な装備の点で、まったく変化していません」とムーア氏は話す。

 つまり元からそこで暮らしていた人々によって村が再建されたということだ。ムーア氏の考えでは、村人の中には狩りに出ていた者もおり、爆発を逃れた可能性があるという。

 しかし村の経済活動は一変した。テル・アブ・フレイラの人たちが農業を発明したとは限らないが、それでも地球でもっとも早く系統的な農業らしきことが行われた地域ではあるとされている。

 「気候が激変し、村人は農業を始めました。最初はライ麦を収穫し、それから小麦と大麦にも手をつけ、やがては羊やヤギといった家畜を飼うようになります。これによって集落は数千人規模にまで大きくなり、シリアのその地域の有力な村に発展しました。」

Evidence of Cosmic Impact at Abu Hureyra, Syria at the Younger Dryas Onset (~12.8 ka): High-temperature melting at >2200 °C | Scientific Reports
https://www.nature.com/articles/s41598-020-60867-w
References:sciencedaily / smithsonianmag/ written by hiroching / edited by parumo

記事全文はこちら:1万2800年前、彗星の爆発で滅亡した古代の村。それは農業の始まりとも関係がある可能性(シリア) http://karapaia.com/archives/52292137.html
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