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恐ろしく謎めいた話には、尾ひれがついて誇張された部分があるとしても、大抵は本当にあったことをベースにしている。そうした話を聞くと、思わず背筋が凍る。
いくら怖いもの好きな人でも、心底震え上がる本当に不気味な話があるのだ。
毎年、人が跡形もなく忽然と消えてしまうという事件が起こり、家族や警察はなにがあったのかを必死で解明しようとするが、すっかり行き詰まってしまう。いまだに歴史家や専門家を困惑させている、そんな不可解な失踪事件を見ていこう。
【10. メアリー・セレスト号の乗組員失踪事件】
1872年11月5日、メアリ・セレスト号は、工業用エタノールを積んで、ニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港した。
およそ一ヶ月後、デイ・グラティア号のデヴィッド・モアハウス船長らが、ポルトガルのアゾレス諸島の東640キロ付近を漂流しているメアリ・セレスト号を見つけた。
モアハウスたちは、セレスト号に乗り込んで調べたが、船が損傷しているわけでもないのに、船内には人っ子ひとりいなかった。
救命ボートはなかったが、半年分の食糧の備蓄はそのままだったし、争いの痕跡もなく、積荷も手つかずだった。
モアハウスたちは、打ち捨てられたセレスト号をジブラルタルまで曳航し、なぜ、乗組員たちが消えてしまったのか、その原因を解明するために更に詳しい調査が行われた。
クラーケン、幽霊、海賊などさまざまな説が浮上したが、いまだに真相はわかっていない。
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The Maritime Mystery Of The Mary Celeste
【9. アマゾンにでかけた後、行方がわからなくなった探検家】
パーシー・ハリソン・フォーセットはイギリスの探検家だ。アマゾンのジャングルに存在すると言われていた古代都市「Z」を探しに出かけたきり行方不明になった。
不思議な光を放つとされる謎めいた塔があるという古代文明の話に魅せられたフォーセットは、予備調査でいくつかの有望な発見をしてから、息子のジャックとその親友のローリ・リメルと共に、ブラジル南西部クヤバから北へと探索の旅に出発した。
出発してから640キロほど行ったところで、フォーセットはブラジル人の助手に家へ帰って、妻に手紙を届けるよう頼んだ。
その手紙には「失敗を怖れるな」と書いてあった。だがそれ以降、フォーセット自身からも息子たちからも音信はぱったりなくなった。
数年後、あるスイス人がすっかり年老いたフォーセットに出くわしたという情報があり、捜索隊が出されたがなにもわからなかった。
その後も何度も捜索が行われたが、フォーセットたちの足取りはなにも見つからなかったという。
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The Lost City of Z: Percy Fawcett Strange Unsolved Mystery
【8. オーストラリア首相、ハロルド・ホルトの失踪】
1967年12月17日、オーストラリア国民は、当時、首相だったハロルド・ホルトの失踪に困惑した。
ホルトは、メルボルン近くのチェビオット・ビーチに泳ぎに行き、二度と戻らなかった。大規模な捜索が行われたが、今日に至るまで首相の遺体は見つかっていない。
失踪当時ホルトは59歳で、心身共に健康だった。だがその年の始め、議会の途中で倒れたことがあり、側近はホルトが肩に怪我を負っていたと言っていた。
チェビオット・ビーチの離岸流の犠牲になった、うつに悩まされていて自殺した、ベトナム戦争を支持していたため、ソ連か中国の潜水艦に連れ去られた、エイリアンに拉致されたなど、さまざまな説がささやかれた。
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How an Australian Prime Minister Disappeared Without a Trace
【7. アメリア・イアハート失踪事件】
おそらく、歴史上もっとも有名な失踪事件だろう。
大西洋単独横断飛行に成功した最初の女性としてすでに有名人だったイアハートは、1937年7月2日、ナビゲーターのフレッド・ヌーナンと共に、初めての世界一周飛行に飛び立った。
しかし、そのまま消息を絶ったまま今日に至る。専門家たちは不可解な失踪の謎を明らかにしようと奮闘している。
イアハートは、ニューギニア東岸の港町ラエから、太平洋の孤島ハウランド島に向けて飛び立ったが、目的地に着陸することはなかったのだ。
イアハートとヌーナンは、太平洋のどこかで墜落したと思われ、捜索隊が出て2週間に渡って調べたが、飛行機の残骸も手がかりもまったく見つからなかった。
2年後、裁判所が正式にふたりの死亡を宣言したが、イアハートの失踪は多くの陰謀説を生み出し、いまだにもっとも盛んな議論のひとつになっている。
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The Odd Vanishing of Amelia Earhart
【6. アンジェラ・ハモンド失踪事件】
1991年4月4日、アンジェラ・ハモンド(20)は、ミズーリ州クリントンの公衆電話でボーイフレンドのロブ・シェーファーと話した後、行方がわからなくなった。
ロブは、グリーンのピックアップトラックで近所をうろついている不審な男がいるとアンジェラが言っていたことを思い出し、すぐに車に飛び乗ってアンジェラがいたはずの公衆電話に向かったが、そこにはすでに彼女の姿はいなかったと警察に話した。
途中でグリーンのピックアップトラックとすれ違ったので、すぐにUターンしてそのトラックを追おうとしたが、なす術がなかったという。
最初、警察はロブに疑いの目を向けたが、すぐにそのアリバイが証明された。この失踪が不気味なのは、これよりも前にミズーリ州で起こった2件の失踪事件と関連がありそうなことだった。
結局、アンジェラは見つからなかった。
アンジェラには、前科も疑わしいこともなにもなかったので、警察は電話ボックスの中でボーイフレンドと話しているアンジェラが、たまたま犯人に目をつけられた行きずりの犯罪だとした。
なぜ警察が、窓に大きなステッカーが貼られた目立つグリーンのピックアップトラックを見つけられなかったのかは、いまだに謎だ。
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The Abduction of Angela Hammond
【5. 妻が消えた後夫も行方不明に。ジェームズ・エドワード・テッドフォード】
56歳のジェームズ・エドワード・テッドフォードと、28歳の妻パールは、第二次大戦の終わりに故郷のヴァーモントへ戻った。
テッドフォードが二度目の従軍から、フランクリンのフレッチャーにある借家に戻って来たとき、妻はいなくなっていた。
親戚もパールがどこへ行ってしまったのかまるでわからず、アモコストアへ向かって歩いているのを見たのが最後だと言った。
1947年、捜索して2年たっても、パールの行方はまるでわからなかった。
1949年12月1日、ヴァーモントの家から老人ホームに入っていたジェームズもまた失踪したが、これがなんともミステリアスだった。
ヴァーモントにあるグリーンマウンテン国有林地区は、当時、不気味な失踪事件が多発することで有名だった。
南西部のベニントンに向かうバスはこの森を通るが、バスに乗った14人全員が、車内でジェームズが眠っているのを見ていた。
ところが、目的地に着いたとき、彼の姿はなかった。誰も彼がバスを降りたのを見た者はいなかったし、彼の荷物もそのままだった。
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The Mysterious Disappearances of The Bennington Triangle
【4. ハイキング中に行方不明となったフリーダー・ランガー】
1940年代から1950年代にかけて、前述のベニントンは、6人が失踪したことで有名になった。もっとも不気味なケースは、1950年10月28日の53歳のフリーダー・ランガーの失踪だ。
ランガーは、いとこのハーバート・エルスナーと一緒にハイキングに出かけたときに姿を消した。サマーセット貯水池近くでキャンプを設営してから、ふたりは近くの山へ出発した。
途中でランガーが足を滑らせて小川に落ち、濡れた服を着替えてくるから待っていてくれとハーバートに言って、キャンプ場へ向かったが、彼女は戻ってこなかった。
いくら待っても戻ってこないため、ハーバートもキャンプ場へ戻ったが、ランガーが戻ってきていないことがわかった。それから2週間捜索を続け、ヘリで上空からも探したが、ランガーの足取りはまるでわからなかった。
一年後、くまなく探したはずの貯水池近くで、ランガーの遺体が発見された。遺体の状況からは、死因を特定するのは困難になった。
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【3. ソダー家の5人の子供失踪事件】
ソダー家の子供たち5人が失踪した事件も、かなり不気味なケースといえるだろう。クリスマスイブの夜、10人のきょうだいのうち5人が姿を消した
5人の子供たちは、まだ寝ないでおもちゃで遊びたいと両親に言った。両親はそれを許し、自分たちは寝た。
それからおかしな出来事が起こり始めた。電話が鳴ったので母親が出ると、相手は母親が知らない人物を出せと言った。
母親がそんな人は知らないと言うと、相手は笑い出しいきなり電話を切った。母親がベッドに戻ると、何者かがすべてのブラインドを上げ、あらゆるドアの鍵をあけ、電気をつけていた。
しばらくして、屋根で物音がしたので家族が目を覚ますと、家が炎に包まれていた。両親と5人の子供たちはなんとか逃げ出したが、起きていたはずの5人の子供たちはいなくなっていた。
子供たちは火事で死んだと警察に言われてもソダー家の者はまだどこかで生きていると信じた。
この一縷の望みは、匿名で送られてきた1960年代に撮影されたとされる1人の息子の写真によって裏付けられた。
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The Sodder Children Disappearance: A Thorough Investigation
【2. 植民地全体の消滅】
個人が忽然と姿を消す例はよく聞くかもしれないが、大勢の人がいっぺんに消えてしまったとなると、不可解極まりない。
これは1587年7月に実際に起こった事件だ。およそ115のイギリス人植民者たちが、現在のノースカロライナ州東端に位置するデア郡の島に上陸した。
もともとそこに住んでいた部族との間に緊張が高まり、当時、まとめ役だったジョン・ホワイトが船でイングランドへ渡って、物資と支援を求めた。
3年後にホワイトは戻って来たとき、町には誰もいなくなっていた。まったくの荒野になっていて、住人は全員消えていたのだ。
唯一残されていた手がかりは、クルトンという言葉が刻まれた木の柱だったが、全員が先住民に殺されたのか、彼らに吸収・同化されたのかはわからない。
学者は、スペイン軍が植民地全体を一掃したのではないかと考えたが、歴史家は、具体的な証拠がないので、この植民地になにが起こったのか、推測することしかできないとしている。
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How Did A Whole Village Disappear? (The Lost Colony of Roanoke Mystery)
【1. ハワイで5人の釣り人が失踪、サラ・ジョー号事件】
海の悲劇は珍しいことではないが、ハワイの海域で釣りを楽しんでいた5人が戻らなかった事件は奇妙だ。
1979年2月、5人はマウイ島の海岸から、サラ・ジョー号という小さなボートで出発し、二度と戻ってこなかった。家族や友人、警察が大規模な捜索を行ったが無駄だった。
10年後、3600キロも離れたマーシャル諸島の海岸でサラ・ジョー号の目撃情報があった。海岸に打ち上げられた難破船の隣に5人のうちのひとりの墓ががあった。
どうやって船はそこにたどり着いたのか、誰か彼を埋葬したのか、残りの4人はどうなったのか、いまだに専門家たちを悩ませている。
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The Sarah Joe Mystery
References:Top 10 Of The Creepiest Disappearances Throughout History - Listverse/ written by konohazuku / edited by parumo
追記(2021/04/03)文章を一部修正して再送します。
記事全文はこちら:いまだ真相は藪の中。歴史的に有名となった10の不気味な失踪事件 https://karapaia.com/archives/52300204.html
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