
今から40年以上前、日本の若者たちの間でアーケードゲームが大ブームとなった時代がある。株式会社タイトーが1978年 に発売した「スペースインベーダーゲーム」が空前のヒットとなり、数々の社会現象を巻き起こした。
この映像は1979年、東京新宿にあったゲームセンターの様子を記録したものだ。
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Tokyo video-game arcade - June 1979【空前の大ブームとなったスペースインベーダーゲーム】
まだファミコンが登場する前、ゲームの主戦場は家の外にあった。その主役を担っていたのが、「スペースインベーダーゲーム」である。ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った。
インベーダーゲームにはアップライト筐体とテーブル筐体があるのだが、インベーダーゲームばかりのテーブル筐体を設置した「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが全国各地で次々と開店した。
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喫茶店やスナックのオーナーらがこぞって店内のテーブルの多くを本作のテーブル型筐体に置き換え、主に若者たちがこぞってそのプレイに熱中したのだ。
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スペースインベーダーゲームは文字通り、侵略してくる宇宙人(スペースインベーダー)を迎撃するシューティングゲームである。
画面上方から迫り来るインベーダーを、左右に移動できるビーム砲で撃ち、インベーダーを全滅させることを目的とする。時々、上空に敵母艦のUFOが出現し、これを撃ち落とすとボーナス点を獲得できる。
様々な攻略法が生み出されたが、特に有名なのは一種のバグによるものと言われている「名古屋撃ち」で、高得点獲得のためにはほとんど不可欠の作戦となった。
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【海外展開と終焉】
この映像は1979年の東京、新宿区歌舞伎町のゲームセンターの様子を撮影したものだが、インベーダーゲームはその後、世界へと進出する。
当時アメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校の学生だった孫正義氏は、日本でのブームが過ぎた頃、日本で余剰となったゲーム機をアメリカに持ち込んで現地のレストラン等にリースするビジネスを始めた。
孫氏が持ち込んだゲーム機は合計350台、半年間で1億円を超える儲けを得たと言われている。
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人気の高さが災いし、未成年の若者が夜遅くまでゲームセンターで遊ぶなど、社会問題となった為、アーケードゲームの業界団体が「自粛宣言」を発表するに至る。
当時からゲームに対しての風当たりは強く、その後世間から問題視する声が高まり、ブームは終焉したと言われている。
だがその後も様々な種類のアーケードゲームが登場し、しばらくはゲームセンターの人気は続く。その後、家庭用ゲーム機の登場や、スマートフォンゲームの興隆により、ゲームセンターの数は減少しているものの、クレーンゲームや体感型、対戦型ゲームなどが主軸となり、今も日本のサブカルチャーの1つとして在り続けている。
記事全文はこちら:スペースインベーダー全盛期、1979年東京のゲームセンターの様子を記録した映像 https://karapaia.com/archives/52304410.html