
image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities
エジプトの考古学者たちが、ツタンカーメンの祖父であるファラオ、アメンホテプ3世の霊廟神殿を守る2体のスフィンクスを再発見した。
3400年間もの間、風雨にさらされてきたにもかかわらず、石灰岩の顔に刻まれたファラオの顔はいまだにはっきり残っており、王族の頭飾りや顎髭もしっかりわかる。
8メートルもの長さのこれらスフィンクスは、神殿の主要部分から柱が並ぶ中庭まで続く道筋の入り口側面を固めるように建っている。ここをたどって祭祀者たちの行列が通ったのだろう。
度重なる天災で崩壊してしまったアメンホテプ3世の神殿 古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ、アメンホテプ3世は、自分の治世の晩年に「数百万年の神殿」と呼ばれる神殿の建設を命じた。
この神殿は、ファラオの統治を記念するもの、君主制を象徴するもの、死んだファラオを神として崇め、神官が儀式を行い、供物を捧げるための神殿として機能した。
35ヘクタールの広大な建物は、アメンホテプ3世が生前統治していた古代都市テーベからナイル川を隔てた対岸に建てられた。
ここは、王家の谷とアメンホテプ3世の王墓からそれほど遠くない。古代の記録によると、紀元前1200年頃の大地震で、神殿のほとんどが崩壊してしまい、高さ18メートル、重量720トンのアメンホテプ3世の像2体だけが残ったという。
その後の1000年間の度重なる洪水で、さらに神殿の土台の浸食が進んだ。神殿の多くの像や柱は、地震で地中に埋まったり、洪水で水に沈んだ。
1998年以降、考古学者たちが、この神殿廃墟の研究、修復を行っているところ2体のスフィンクスを発掘した。
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その他、柱、ライオンの頭をもつ女神も発掘 考古学者のホリグ・ソロシアンら研究チームは、2体のスフィンクスの発見だけでなく、神殿の柱のある大広間が想像以上に巨大で豪華だったことに気がついた。
注意深い発掘調査によって、大広間の南半分にあった数本の柱の石の基礎が発掘され、広間がさら
に広かったことがうかがえた。
また、アメンホテプ治世の最後の10年間に行われた王室の祝祭についての碑文や像が砂岩の壁を飾っているのも再発見された。
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神殿の中庭には、ライオンの頭をもつ姿で描かれることの多い、女神セクメトの黒い花崗岩の胸像3体も発見された。
セクメトは、太陽神ラーの暴力と破壊の執行者で、エジプト王たちの守護神として知られている。
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セクメトの正式な称号は、"打ち負かす者"、"殺戮の女神" / image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities
こうした最近の発見物は、洗浄、修復されているところだ。これまでの作業で、両スフィンクスの胸に刻まれたファラオの名前や、かつて神殿の大広間の柱を飾っていた鮮やかな色彩の痕跡が発見されている。
エジプト観光・考古省によると、最終的に柱は再び神殿に取りつけられ、セクメトの胸像やその他の像は、元の場所に展示される予定だという。
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現在、神殿から回収された数十体の像は、古代のテーベがあった場所に建つ近代都市ルクソールの博物館で保管・展示されている。ふたつの王国における宗教的激変 アメンホテプ3世の死後、息子のアメンホテプ4世がその後を継いだ。
4年の間に、アメンホテプ4世はその名をアクエンアテンと変え、エジプト人が伝統的に崇めてきた多神教の神々を禁止して、太陽神アテンのみを信じるよう一神教を押しつけ、新たな首都アマルナを建設した。
アクエンアテンの息子、古代エジプト第18王朝のファラオ「ツタンカーテン」は、わずか8歳か9歳のときに、上下エジプトの統治者となったが、実権は幼王の宰相であるアイが握った。
アイの指導のもと、ツタンカーメンは政治的に賢明な選択をし、不評だった父王のアテン崇拝をやめ、元々の多神教を復活させた。
さらに、ツタンカーテンという自らの名を、今日、もっともよく知られている「ツタンカーメン」という名前に変えている。
References:Long-lost sphinxes of Egyptian king Amenhotep III unearthed at Luxor | Ars Technica / written by konohazuku / edited by parumo
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エジプトの考古学者たちが、ツタンカーメンの祖父であるファラオ、アメンホテプ3世の霊廟神殿を守る2体のスフィンクスを再発見した。
3400年間もの間、風雨にさらされてきたにもかかわらず、石灰岩の顔に刻まれたファラオの顔はいまだにはっきり残っており、王族の頭飾りや顎髭もしっかりわかる。
8メートルもの長さのこれらスフィンクスは、神殿の主要部分から柱が並ぶ中庭まで続く道筋の入り口側面を固めるように建っている。ここをたどって祭祀者たちの行列が通ったのだろう。
度重なる天災で崩壊してしまったアメンホテプ3世の神殿 古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ、アメンホテプ3世は、自分の治世の晩年に「数百万年の神殿」と呼ばれる神殿の建設を命じた。
この神殿は、ファラオの統治を記念するもの、君主制を象徴するもの、死んだファラオを神として崇め、神官が儀式を行い、供物を捧げるための神殿として機能した。
35ヘクタールの広大な建物は、アメンホテプ3世が生前統治していた古代都市テーベからナイル川を隔てた対岸に建てられた。
ここは、王家の谷とアメンホテプ3世の王墓からそれほど遠くない。古代の記録によると、紀元前1200年頃の大地震で、神殿のほとんどが崩壊してしまい、高さ18メートル、重量720トンのアメンホテプ3世の像2体だけが残ったという。
その後の1000年間の度重なる洪水で、さらに神殿の土台の浸食が進んだ。神殿の多くの像や柱は、地震で地中に埋まったり、洪水で水に沈んだ。
1998年以降、考古学者たちが、この神殿廃墟の研究、修復を行っているところ2体のスフィンクスを発掘した。
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その他、柱、ライオンの頭をもつ女神も発掘 考古学者のホリグ・ソロシアンら研究チームは、2体のスフィンクスの発見だけでなく、神殿の柱のある大広間が想像以上に巨大で豪華だったことに気がついた。
注意深い発掘調査によって、大広間の南半分にあった数本の柱の石の基礎が発掘され、広間がさら
に広かったことがうかがえた。
また、アメンホテプ治世の最後の10年間に行われた王室の祝祭についての碑文や像が砂岩の壁を飾っているのも再発見された。
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神殿の中庭には、ライオンの頭をもつ姿で描かれることの多い、女神セクメトの黒い花崗岩の胸像3体も発見された。
セクメトは、太陽神ラーの暴力と破壊の執行者で、エジプト王たちの守護神として知られている。
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セクメトの正式な称号は、"打ち負かす者"、"殺戮の女神" / image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities
こうした最近の発見物は、洗浄、修復されているところだ。これまでの作業で、両スフィンクスの胸に刻まれたファラオの名前や、かつて神殿の大広間の柱を飾っていた鮮やかな色彩の痕跡が発見されている。
エジプト観光・考古省によると、最終的に柱は再び神殿に取りつけられ、セクメトの胸像やその他の像は、元の場所に展示される予定だという。
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現在、神殿から回収された数十体の像は、古代のテーベがあった場所に建つ近代都市ルクソールの博物館で保管・展示されている。ふたつの王国における宗教的激変 アメンホテプ3世の死後、息子のアメンホテプ4世がその後を継いだ。
4年の間に、アメンホテプ4世はその名をアクエンアテンと変え、エジプト人が伝統的に崇めてきた多神教の神々を禁止して、太陽神アテンのみを信じるよう一神教を押しつけ、新たな首都アマルナを建設した。
アクエンアテンの息子、古代エジプト第18王朝のファラオ「ツタンカーテン」は、わずか8歳か9歳のときに、上下エジプトの統治者となったが、実権は幼王の宰相であるアイが握った。
アイの指導のもと、ツタンカーメンは政治的に賢明な選択をし、不評だった父王のアテン崇拝をやめ、元々の多神教を復活させた。
さらに、ツタンカーテンという自らの名を、今日、もっともよく知られている「ツタンカーメン」という名前に変えている。
References:Long-lost sphinxes of Egyptian king Amenhotep III unearthed at Luxor | Ars Technica / written by konohazuku / edited by parumo
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