先史時代のヴィレンドルフのヴィーナス像の起源がついに判明
image credit: Bjorn Christian Torrissen / CC BY-SA 4.0

 ヴィレンドルフのヴィーナス像はぽっちゃりとした女性の姿をかたどった高さ11cmほどの小立で、2~3万年前のものとされている。だがその起源や、制作方法、文化的意味などについては謎に包まれていた。


 だがようやく、新たな研究によって、ヴィレンドルフのヴィーナス像が最初に作られたのは北イタリアだったらしいことがわかった。

 

ヴィレンドルフのヴィーナス像は北イタリアで生まれた可能性 1908年に、オーストリアのヴィレンドルフ近くで見つかったこの像は「ヴィレンドルフのヴィーナス像」と名付けられ、ヨーロッパにおける初期芸術のもっとも有名なもののひとつだ。

 オーライト(魚卵石)という石でできていて、ほかでは見つかっていない。

 研究チームは、高解像度断層画像を活用して、このヴィーナスの材料が北イタリア産である可能性が高いことを発見した。

 これは、アルプスの南北に住んでいた最初の現生人類の驚くべき移動能力に新たな光を当てることになる。

 この研究結果は『Scientific Reports』(2022年2月28日付)に掲載された。

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image credit:Lois Lammerhuber / Scientific Reports

ヴィーナス像をマイクロコンピューター断層撮影法で調査 ヴィレンドルフのヴィーナス像は、そのユニークなデザイン性だけでなく、素材の面でも特別だ。

 ほかのヴィーナス像はたいてい象牙か骨でできていて、さまざまに異なる石が使われることもあるが、オーストリアのニーダーエステライヒ州で見つかったこのヴィーナス像には祭式目的のものとして特有なオーライトが使われている。

 1908年にヴァッハウで発見され、ウィーンの自然史博物館で展示されていたが、外側からだけしか調査されていなかった。

 100年以上たった今、ウィーン大学の人類学者ゲルハルト・ウェーバーが内部を調べるために、新たなマイクロコンピューター断層撮影法を使用した。

 何段階かの撮影を経て、顕微鏡でしか見ることのできない、最大11.5マイクロメートルの解像度の画像を得ることができた。

 その結果、ヴィーナス像の材料は均一ではなく、起源の特定につながる特殊な特性をもっているという洞察を得た。


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image credit:Scientific Reports

 これまでオーライトを扱ったことのある、ウィーン自然史博物館のふたりの地質学者アレキサンダー・ルケネーダーとマティアス・ハルツハウザーと共に、研究チームは、オーストリアやヨーロッパから比較サンプルを入手し、評価した。

 さらにフランスから東ウクライナ、ドイツからシチリアまでの岩石サンプルを採取し、それを削って顕微鏡で調べた。ニーダーエステライヒ州が、この時間のかかる分析に資金を提供して支援した。内部が外側についての情報をおしえてくれる ヴィーナス像の断層撮影データは、堆積物が異なる密度とサイズで岩石に沈着したことを示している。

 その隙間には小さな貝殻の残骸や、非常に密度の高い6つの大きな粒子、いわゆる褐鉄鉱も含まれていた。褐鉄鉱は、これまで謎だったヴィーナス像の表面にある、同じ直径の半球状の空洞を説明するものだ。

「制作者がこの像を彫っているときに硬い褐鉄鉱が現われ、それを必要に迫られて、ヴィーナスの臍の美としてうまく利用したようです」ウェーバーは説明する。

 ヴィーナス像のオーライトは多孔質になっている。これは含有されていた何百万という小球が溶解したためだ。

 彫る作業が遥かに簡単になることが、3万年前の創意工夫に富む制作者が、この材料を選んだ理由の大きな説明になる。

 長さわずか2.5ミリという小さな貝殻の残骸が認められたことから、これがジュラ紀にさかのぼるものと特定された。これにより、ウィーン盆地のような中新世よりもずっと後の地質時代の岩石が堆積している可能性は除外された。


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ヴィーナス像の材料の移動ルート 研究チームは、ほかのサンプルの粒子サイズも分析した。数百、ときに数千になる粒子を画像処理プログラム、または手動で計測したが、ヴィレンドルフの半径200キロ以内のサンプルはすべて、まったくマッチしなかった。

 最終的に、ヴィーナス像に使われていた材料サンプルは、統計的にイタリア北部にあるガルダ湖近くのサンプルとほぼ同じだとわかった。

 つまり、ヴィーナス像(少なくともその材料)はアルプス南部からアルプス北部のドナウ川へと移動していたことを意味するため、これは注目に値する。

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ヴィーナス像に使用されたオーライト(魚卵石)image credit:public domain/wikimedia
「当時の道具文化であるグラヴェット文化の人々は、気候や獲物の状況が変わると、居住するのに好ましい場所を求めて、川に沿って移動していったのでしょう」このような旅は、何世代もかかったのかもしれない。

 南から北への可能性のある移動ルートのひとつは、アルプス周辺からパンノニア平原のルートで、これは数年前に、べつの研究者がシミュレーションで説明した。もうひとつは、ガルダ湖からアルプスを経由してヴァッハウに向かうルートだ。

 気候の悪化が始まっていたため、3万年以上前にこのルートをとることが可能だったかどうかは不明だ。

 当時、氷河期が続いていたのなら、これはありそうもない。だが、エッツ渓谷、イン川、ドナウ川に沿った730キロに渡る長い道のりは、レジア湖を除いて、たいていは海抜1000メートル未満だった。

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image credit:Scientific Reports

可能性はあるが限りなく低い東ウクライナルート これまでの分析結果は、ヴィーナス像のオーライトの起源は北イタリアであることを明確に示しているが、ほかにも興味深い産地候補はある。

 それは、ヴィレンドルフから直線で1600キロ以上離れているウクライナ東部だ。
この地のサンプルは、イタリアのものほど明確には一致していないが、ほかのサンプルよりは可能性が高い。

 ロシア南部でやはりヴィーナスの小像が発見されていて、これはいくぶん時代が新しいが、オーストリアで見つかったヴィーナスと見た目がとてもよく似ているというおもしろいつながりがある。

 発生起源的に、ヨーロッパの中央と東部の人々が、この時期に互いにつながっていたことを示しているとも言える。

 ニーダーエステライヒ州のヴィーナス像の胸躍るような話は、今後も続くかもしれない。これまでのところ、アルプス山脈付近の地域におけるこの時期の初期の人間の存在と移動に関する体系的な研究は、ごくわずかしかない。

 例えば、有名のあのアイスマン「エッツエィ」は、ヴィーナスよりも遥か後の5300年前に登場する。

 「これらヴィーナス像の分析結果や、新たなウィーンの研究ネットワーク「人類の進化と考古学サイエンス」をもとに、人類学、考古学、その他の分野と協力して、アルプス地方の初期の歴史をさらにひも解いていきたいと考えています」ウェーバーは締めくくった。

References:Mystery Solved: The Origin of the 30,000-Year-Old Venus of Willendorf / written by konohazuku / edited by parumo

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