今日の自分は昨日の自分と同じなのか? 古代ギリシャの難問「テセウスの船」が伝える自己同一性の不思議
 眠れない日は哲学的なことを考えるよい機会かもしれない。では以下の問題を考えてみて欲しい。
ある船の部品を少しずつ新しい部品に交換したとしたら、最終的に出来上がる船は元の船と同じものなのだろうか?
 これは「テセウスの船(テセウスのパラドックス)として知られる、古代ギリシャから問い続けられてきた思考実験だ。

 これまで大勢の哲学者たちが挑んできたが、納得のいく答えを導き出すのが難しい問題なのだという。そしてそれは哲学者だけの問題ではなく、「自分自身とは何か?」 という誰にでも関係する深淵な問いかけなのだ。

まずは人間の体の細胞について考えてみよう 「人間の細胞は7年ごとにすべて入れ替わり、新しい体になる」という話があるが、それはただの俗説であり真実ではない。

 そもそも細胞それぞれの寿命は違うのだ。結腸の細胞ならわずか約4日、皮膚細胞なら2~3週間くらい生きる。

 だが神経細胞なら私たちが死ぬまで働いてくれるし、歯のエナメル質は2度と再生されない。つまり今のあなたの体は去年とまったく同じではないにせよ、生まれたときとまったく違うわけでもない。

 だが、この俗説はとある深淵な問いと関係がある。

 もしも、ある物体の部品を少しずつ新しい部品に交換していったら、その物体はどの時点でまったく別物になったと言えるのだろうか?

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部品を交換し続けた船はいつまで同じ船なのか? 「テセウスの船」(テセウスのパラドックス)として知られるこの問いに最初に言及したのは、古代ギリシャの歴史家「プルタルコス」だ。

 彼は、ミノタウロス討伐など数々の冒険談で知られるギリシャ神話の英雄「テセウス」の伝説に触れて、次のように記している。
テセウスがアテネの若者と共に帰還した船には30本の櫂(かい)があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。


このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。

すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである
 プルタルコスによれば、船は何世紀もアテネの港に浮かんでいたという。

 古代ギリシャの政治家ファレロンのデメトリウス(紀元前350~前280年頃)が存命中にも存在していたが、やがて木が腐ってきたので、少しずつ新しい部品に交換されていった。

 どこかの時点で、船の部品はすべて交換されたはずだ。では、その船はまだ同じ船なのだろうか? そうでなければ、どの時点でテセウスの船でなくなったのだろうか?

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昨日の自分は今日の自分と同一人物なのか? 同じことが人間でも言える。服装や髪型など、私たちの見た目はどんどん変化するし、年をとればシワが刻まれ、白髪が増える。

 病気にもなれば、食生活も変わる。それどころか生きている間に私たちの細胞のほとんどが死に、また新たに入れ替わる。

 自分が自分であるという「自己同一性」は、心が基盤になっていると考える人もいるかもしれない。

 だが、心だってコロコロと変わる。人生観は経験を積むにつれて違ってくるだろうし、人によって何かに依存症しては立ち直ったり、信仰を見つけては失ったりと、不安定なことこの上ない。

 仕事・肩書き・地位・責任といった諸々が、私たちの同一性の証という意見もあるだろう。
だが、それだって何年かすれば変わるし、転職を繰り返す人はたくさんいる。

 友人や配偶者だっていつまでも同じとは限らないし、子どもがいてもいずれ親元から離れる。住む場所だって不変ではなく、地球の裏側に引っ越す人もいるだろう。

 ならば、これだけの変化する人生において、私たちは本当にずっと同じ人間なのだろうか?

  もしもどこかの時点で別人になっているのだとしたら、どれが本当の自分なのだろう? もしかしたら自分とはたった1人ではなく、複数いるとも言えるのでは?

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同一性を保つものは時間と空間の連続性 ある哲学者は、板を1枚変えるだけで、船はまったくの別物になってしまうと考える。

 それとは反対に、1枚でもオリジナルの板が残っていれば、それは本物だという意見もある。この場合、テセウスの船はいつまで経ってもテセウスの船だったということになる。

 だが船を時間をかけて修繕するのではなく、一度にすべてを入れ替えたとしたら、ほとんどの人はまったくの別物と考えるのではないだろうか?

 別の例で言えば、私たちは徐々に変化しているし、それに特に違和感など感じない。だが、事故で頭を打った人が、目が覚めたらまったく別人になっていたなんてことがあれば、それは本人に途轍もない衝撃を与えるだろう。

 なぜ少しずつの変化は良くても、突然の変化はダメなのだろう? よく言われるのが、「時間と空間の連続性」である。

 この考え方には、すべての物体は時空間を移動しながら絶えず変化しているという前提がある。そのため、ときには部品が交換されたり、形や組成が変わったりすることもあるだろう。それでも、その同一性は失われない。


 ギリシャの哲学者「ヘラクレイトス」は、「同じ川には2度入れない」と述べている。なぜなら、同じ川でも、そこを流れる水はまったく違うものだからだ。だが同じ川だ。

 私たちは気づかないかもしれないが、すべては常に変化している。似たようなことを、ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバートは、「人間は完成したと勘違いしている仕掛かり品」と述べている。

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固定された同一性はない テセウスの船について、昔からさまざまな哲学者が自分なりの解釈を示してきた。

 17世紀イギリスの哲学者トマス・ホッブズは、テセウスの船の取り外された部品で、2隻目の船を組み立てるという事例を考案した。

 この場合、改修された船と、腐りかけたオリジナルパーツで再建された船のどちらが本物のテセウスの船なのだろうか?

 正解はない。

 このパラドックスが私たちに伝えているのは、がっちりと固定された同一性などないということだ。それは本当は薄っぺらで、常にしなやかに変化し続けている。

References:This ancient Greek thought experiment will have you questioning your identity - Big Think / written by hiroching / edited by / parumo

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