
生後わずか6日で王位を継承した伝説的なスコットランド女王、メアリー・スチュアート( 1542年12月8日 - 1587年2月8日)が書いた、忘れ去られていた手紙が複数発見された。
これらは、メアリーの従姉妹であるエリザベス1世によって、彼女が英国で幽閉されているときに、味方に送られたもので、暗号を使って書かれていたものだが、それらが暗号解読者らの手によって解読されたという。
メアリーの処刑後400年たって発見された暗号で書かれた手紙
パリのフランス国立図書館で見つかったこの秘密の手紙は、手の込んだ暗号で書かれていて、メアリーの処刑後400年以上たって、日の目をみることになった。
1578年から1584年の間に、メアリーから英国のフランス大使に送られた57通の秘密の手紙は、なんのタイトルもない無印のファイルに入っていて、誤ってイタリア関連資料の一部にまぎれ込んでいた。
専門家が手紙を見たところ、それは、イタリアとはなんの関係もないことは明らかだった。フランス語で書かれ、さらには暗号化されていたのだ。
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フランス国立図書館のアーカイブで見つかった、暗号文のサンプル。現在はメアリーが書いたものとされている / image credit: The researchers.
フランスのコンピューター科学者で、暗号解読者でもあるジョージ・ラスリーは、ドイツのピアニスト、ノーバート・ビアマンと、日本の物理学者、友清理と共に、この暗号を解読した。
ラスリーは、暗号法則のマッピング、デジタル化、書き起こし、解読を専門とする、DECRYPTプロジェクトのメンバーだ。
「これは大変にエキサイティングな発見です」ラスリーは言う。
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数奇な運命をたどったメアリー・スチュアート
メアリー・スチュアートは、1542年に生まれ、スコットランド女王となったが、その人生のほとんどを幽閉状態で過ごした。
最初は、プロテスタントの革命家によってスコットランドで投獄され、のちにエリザベス1世によって監禁された。
メアリーはカトリックだったため、手紙の文面にも見られるように、いくつかのカトリックの反乱に関与していた。
最終的には、英国の王位(当時はプロテスタントだった)を脅かすカトリックだとして、斬首された。
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手紙は駐英フランス大使でカトリック同盟者に宛てたもの
これら暗号化された手紙は、メアリーから、16世紀半ばの駐英フランス大使で、カトリック同盟者のミシェル・ド・カステルノーに宛てたもの。
歴史家たちは、これまで彼らが共謀していると疑っていた。手紙には、5万語以上の文字が使われていて、メアリ個人の見解について、新たな洞察を得ることができた。
暗号の手紙の解読に成功
3人は、10年以上の歳月をかけて、手紙を見つけ、解読した。女性が書いたことを示す動詞や副詞、捕らわれの身であることの言及、そして重要なキーワードである”ウォルシンガム(Walsingham)”という人名を発見した。
ウォルシンガムとは、エリザベス女王の側近だったフランシス・ウォルシンガム卿を示す。こうしたことを総合すると、これらはメアリー・スチュアートの長く失われていた書簡だと考えられた。
3人は、手紙を解読するために、言語分析、手作業での暗号解読、コンピューターアルゴリズムなど、複合的な手法を使った。
それは壮大なクロスワードパズルを解くようなものだったと、ラスリーは言う。
最初は、コンピューターアルゴリズムを使っても、30%ほどしか解読できなかったが、書かれている記号を手作業で分析して、その意味を検証した。
投獄されている間のメアリーの外界とのやりとりは、当時の公然の秘密だった。
メアリーは、自分の手紙が敵対者に傍受され、構えを固められてしまうのを防ごうとした。
しかし、いつもうまくいったわけではない。1586年にエリザベス女王暗殺の陰謀を進めようとした手紙がスパイの手に渡り、翌年、反逆罪で処刑された。
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手紙に書かれていた内容とは?
メアリーは、監禁状態であること、自身の体調不良について、定期的に書いていて、エリザベス1世との交渉が誠実に行われなかったことを悔やんでいた。
また、ウォルシンガム卿とお気に入りだったはずのいとこ、ロバート・ダドリーに嫌気がさしていることや、エリザベスの役人を賄賂で買収しようとしたことなども書かれている。
「手紙を解読したとき、とても困惑し、現実離れしているような感じがしました」とラスリーは言う。
「これまでも、国王や女王の秘密の暗号を解読していて、それらはとても興味深いものでした。しかし、スコットランド女王メアリーに関しては、公にされていない書簡が数多く解読されたことと、彼女があまりに有名な人物なため、かなりの注目に値すると思います」
運命はメアリー女王にとって酷だった。彼女の処刑は、英国の歴史にとって重要なポイントになり、英国とスコットランドの血なまぐさい紛争へとつながることになった。
次は、メアリーが捕らわれていた年月をもっと理解するために、さらなる手紙の分析が望まれる。
「私たちは、手紙のほんのさわりの解釈と概要を提供するだけです。
この研究は『Cryptologia』誌に掲載された。
References:Full article: Deciphering Mary Stuart’s lost letters from 1578-1584
・Codebreakers find and decipher the long-lost letters of Mary, Queen of Scots
/ written by konohazuku / edited by / parumo
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これらは、メアリーの従姉妹であるエリザベス1世によって、彼女が英国で幽閉されているときに、味方に送られたもので、暗号を使って書かれていたものだが、それらが暗号解読者らの手によって解読されたという。
メアリーの処刑後400年たって発見された暗号で書かれた手紙
パリのフランス国立図書館で見つかったこの秘密の手紙は、手の込んだ暗号で書かれていて、メアリーの処刑後400年以上たって、日の目をみることになった。
1578年から1584年の間に、メアリーから英国のフランス大使に送られた57通の秘密の手紙は、なんのタイトルもない無印のファイルに入っていて、誤ってイタリア関連資料の一部にまぎれ込んでいた。
専門家が手紙を見たところ、それは、イタリアとはなんの関係もないことは明らかだった。フランス語で書かれ、さらには暗号化されていたのだ。
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フランス国立図書館のアーカイブで見つかった、暗号文のサンプル。現在はメアリーが書いたものとされている / image credit: The researchers.
フランスのコンピューター科学者で、暗号解読者でもあるジョージ・ラスリーは、ドイツのピアニスト、ノーバート・ビアマンと、日本の物理学者、友清理と共に、この暗号を解読した。
ラスリーは、暗号法則のマッピング、デジタル化、書き起こし、解読を専門とする、DECRYPTプロジェクトのメンバーだ。
「これは大変にエキサイティングな発見です」ラスリーは言う。
スコットランド女王メアリーの書簡は、さまざまなアーカイブに膨大に残っています。でも、メアリーが書いたほかの手紙が、こうした資料群から欠落しているという指摘は以前からありました。
例えば、ほかの情報源で参照されているのに、べつのところでは見つからないといったことです
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数奇な運命をたどったメアリー・スチュアート
メアリー・スチュアートは、1542年に生まれ、スコットランド女王となったが、その人生のほとんどを幽閉状態で過ごした。
最初は、プロテスタントの革命家によってスコットランドで投獄され、のちにエリザベス1世によって監禁された。
メアリーはカトリックだったため、手紙の文面にも見られるように、いくつかのカトリックの反乱に関与していた。
最終的には、英国の王位(当時はプロテスタントだった)を脅かすカトリックだとして、斬首された。
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手紙は駐英フランス大使でカトリック同盟者に宛てたもの
これら暗号化された手紙は、メアリーから、16世紀半ばの駐英フランス大使で、カトリック同盟者のミシェル・ド・カステルノーに宛てたもの。
歴史家たちは、これまで彼らが共謀していると疑っていた。手紙には、5万語以上の文字が使われていて、メアリ個人の見解について、新たな洞察を得ることができた。
暗号の手紙の解読に成功
3人は、10年以上の歳月をかけて、手紙を見つけ、解読した。女性が書いたことを示す動詞や副詞、捕らわれの身であることの言及、そして重要なキーワードである”ウォルシンガム(Walsingham)”という人名を発見した。
ウォルシンガムとは、エリザベス女王の側近だったフランシス・ウォルシンガム卿を示す。こうしたことを総合すると、これらはメアリー・スチュアートの長く失われていた書簡だと考えられた。
3人は、手紙を解読するために、言語分析、手作業での暗号解読、コンピューターアルゴリズムなど、複合的な手法を使った。
それは壮大なクロスワードパズルを解くようなものだったと、ラスリーは言う。
最初は、コンピューターアルゴリズムを使っても、30%ほどしか解読できなかったが、書かれている記号を手作業で分析して、その意味を検証した。
投獄されている間のメアリーの外界とのやりとりは、当時の公然の秘密だった。
メアリーは、自分の手紙が敵対者に傍受され、構えを固められてしまうのを防ごうとした。
しかし、いつもうまくいったわけではない。1586年にエリザベス女王暗殺の陰謀を進めようとした手紙がスパイの手に渡り、翌年、反逆罪で処刑された。
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手紙に書かれていた内容とは?
メアリーは、監禁状態であること、自身の体調不良について、定期的に書いていて、エリザベス1世との交渉が誠実に行われなかったことを悔やんでいた。
また、ウォルシンガム卿とお気に入りだったはずのいとこ、ロバート・ダドリーに嫌気がさしていることや、エリザベスの役人を賄賂で買収しようとしたことなども書かれている。
「手紙を解読したとき、とても困惑し、現実離れしているような感じがしました」とラスリーは言う。
「これまでも、国王や女王の秘密の暗号を解読していて、それらはとても興味深いものでした。しかし、スコットランド女王メアリーに関しては、公にされていない書簡が数多く解読されたことと、彼女があまりに有名な人物なため、かなりの注目に値すると思います」
運命はメアリー女王にとって酷だった。彼女の処刑は、英国の歴史にとって重要なポイントになり、英国とスコットランドの血なまぐさい紛争へとつながることになった。
次は、メアリーが捕らわれていた年月をもっと理解するために、さらなる手紙の分析が望まれる。
「私たちは、手紙のほんのさわりの解釈と概要を提供するだけです。
フランスの図書館にあるほかの手紙ももっと掘り下げていきたいものです」とラスリーは語った。
この研究は『Cryptologia』誌に掲載された。
References:Full article: Deciphering Mary Stuart’s lost letters from 1578-1584
・Codebreakers find and decipher the long-lost letters of Mary, Queen of Scots
/ written by konohazuku / edited by / parumo
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