
スイス十字が刻まれた盾のかたわらで、フランス王家の紋章がついた盾に右足を置き、脇腹を刺す槍の痛みに苦しみながら死の淵をさまようライオン。
スイスの都市ルツェルンにある世界的モニュメントの一つで、フランス革命で命を落としたスイス傭兵のために制作された「瀕死のライオン像」をご存じだろうか。
毎年約140万人が訪れるランドマークとしても有名な彫像(レリーフ)は、スイス中央に位置するルツェルン旧市街の岩壁の中にある。
1792年に革命家に襲撃されたフランス王族を守るため、勇敢な死を遂げたスイスの傭兵たち。その誇り高き魂を慰め追悼するライオン像にせまってみよう。
フランス革命時に王族を守ろうとして命を落としたスイス傭兵 スイスにある「瀕死のライオン像」は、命がけでフランスの王族を守ろうとしたスイスの傭兵を追悼する岩の彫像だ。
フランス革命中の1792年8月10日、革命家がパリのテュイルリー宮殿を襲撃した際、フランス国王の護衛に雇われていたスイス傭兵たちが、そこにいた王族たちの盾となって命を落とした。
その出来事を後世に伝えるために制作されたこの像は、スイス傭兵の勇敢さと忠誠心をライオンで表現している。
また像には、その革命の死亡者数(760名)と生還者数(350名)意味する文字が刻まれており、当時のスイス傭兵が1000人以上いたことがうかがえる(後に誇張という見解も)
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29年後、生き残った戦友士官により「瀕死のライオン像」完成 「瀕死のライオン像」はその29年後、ルツェルン出身のスイス人傭兵士官で、休暇で故郷にいたため運命の日を免れたカール・フィファーの発案により建てられたもので、1821年8月10日に公開された。
フィファー氏はフランスで戦死した仲間たちの英雄伝的な書籍を出版したほか、記念碑の建設費の捻出のため募金も呼びかけた。こうして完成したのが、槍に突き刺されながら死にゆくライオンだ。
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その高さは6メートル、長さ10メートルの巨大なもので、1819年に彫刻家のベルテル・トルバルセン(1770 - 1844)がデザインし、石工ルーカス・アホーン(1789-1856)が1820年から1821年にかけ砂岩から彫り出して完成させた。
死の淵をさまようライオン像の右足は、フランス王家の紋章がついた盾の上に力なく置かれている。一方そのかたわらには亡くなった傭兵たちの母国であるスイス十字が刻まれた盾がある。
岩穴の上に刻まれた言葉「Helvetiorum Fidei ac Virtuti」はラテン語で「スイス人の忠誠と勇気に」を意味する。
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自由主義者やプロテスタント派を挑発したライオン像 ラテン語の言葉どおり、忠誠と勇気の象徴とされるライオン像。だがそこには、政治的なメッセージも込められているという。
それはこの像が、発案者の保守的でカトリック的な見解を表すというもの。つまり亡くなったスイス傭兵を王制の殉教者として讃え、革命家を野蛮人として非難しているという解釈だ。
実際、このライオン像は完成当初に物議をかもしている。なぜならフランス革命とその理想を支持するスイスの自由主義者やプロテスタント派を挑発するものになったからだ。
おまけにこの像は、何世紀ものあいだ外国の勢力に仕えてきたスイス傭兵の役割についての議論まで引き起こしたという。
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マーク・トウェインいわく「世界一悲痛で最も心を打つ岩のかけら」 だがそんな政治的見解をよそに、苦しげで哀れなライオン像は世界中の人を惹きつけた。
完成からまもなく、多くの観光客を魅了した像は、1880年に訪れたアメリカの作家マーク・トウェインが「世界一悲痛で最も心を打つ岩のかけら」と評するほど注目され、歴史的かつ芸術的な観光スポットになった。
ルツェルンのライオン像は、その後しばらくアーティストのインスピレーションの源になったり政治的な運動の引き合いにされることがしばしばあった。
が、1990年にルツェルン当局が、この像の政治利用の厳格な規制に乗り出したため、そうした動きは落ち着いたそうだ。
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史実をめぐる物議があっても不動の人気を誇るライオン ただ「瀕死のライオン像」を追及する物議はまだ続いており、近年の研究で当時760人と刻まれた傭兵の死亡者数が、実際は半分以下の約300人と判明するなど、スイス傭兵虐殺の誇張という賛否両論を巻き起こしている。
それでもなお、直に見る者の心を揺さぶり、不動の人気を誇るライオンは、完成から200年過ぎた今も、ルツェルン旧市街にあるローヴェン広場付近の小さな公園で、いつものように観光客を待っている。
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photo by iStock
その公園は歩行者専用区域にあるため、観光客は基本徒歩で向かうことになる。入場料も無料で見学も基本自由だ。
その公園のスケジュールに合わせていけばいつでも観賞できるらしいので、興味がある人はスイス観光局のライオン記念碑(日本語)などを参考に一度行ってみてはいかがだろうか。
References:switzerlandical / myswitzerland / swissinfo / twitterなど /written by D/ edited by parumo
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スイスの都市ルツェルンにある世界的モニュメントの一つで、フランス革命で命を落としたスイス傭兵のために制作された「瀕死のライオン像」をご存じだろうか。
毎年約140万人が訪れるランドマークとしても有名な彫像(レリーフ)は、スイス中央に位置するルツェルン旧市街の岩壁の中にある。
1792年に革命家に襲撃されたフランス王族を守るため、勇敢な死を遂げたスイスの傭兵たち。その誇り高き魂を慰め追悼するライオン像にせまってみよう。
フランス革命時に王族を守ろうとして命を落としたスイス傭兵 スイスにある「瀕死のライオン像」は、命がけでフランスの王族を守ろうとしたスイスの傭兵を追悼する岩の彫像だ。
フランス革命中の1792年8月10日、革命家がパリのテュイルリー宮殿を襲撃した際、フランス国王の護衛に雇われていたスイス傭兵たちが、そこにいた王族たちの盾となって命を落とした。
その出来事を後世に伝えるために制作されたこの像は、スイス傭兵の勇敢さと忠誠心をライオンで表現している。
また像には、その革命の死亡者数(760名)と生還者数(350名)意味する文字が刻まれており、当時のスイス傭兵が1000人以上いたことがうかがえる(後に誇張という見解も)
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29年後、生き残った戦友士官により「瀕死のライオン像」完成 「瀕死のライオン像」はその29年後、ルツェルン出身のスイス人傭兵士官で、休暇で故郷にいたため運命の日を免れたカール・フィファーの発案により建てられたもので、1821年8月10日に公開された。
フィファー氏はフランスで戦死した仲間たちの英雄伝的な書籍を出版したほか、記念碑の建設費の捻出のため募金も呼びかけた。こうして完成したのが、槍に突き刺されながら死にゆくライオンだ。
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その高さは6メートル、長さ10メートルの巨大なもので、1819年に彫刻家のベルテル・トルバルセン(1770 - 1844)がデザインし、石工ルーカス・アホーン(1789-1856)が1820年から1821年にかけ砂岩から彫り出して完成させた。
死の淵をさまようライオン像の右足は、フランス王家の紋章がついた盾の上に力なく置かれている。一方そのかたわらには亡くなった傭兵たちの母国であるスイス十字が刻まれた盾がある。
岩穴の上に刻まれた言葉「Helvetiorum Fidei ac Virtuti」はラテン語で「スイス人の忠誠と勇気に」を意味する。
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自由主義者やプロテスタント派を挑発したライオン像 ラテン語の言葉どおり、忠誠と勇気の象徴とされるライオン像。だがそこには、政治的なメッセージも込められているという。
それはこの像が、発案者の保守的でカトリック的な見解を表すというもの。つまり亡くなったスイス傭兵を王制の殉教者として讃え、革命家を野蛮人として非難しているという解釈だ。
実際、このライオン像は完成当初に物議をかもしている。なぜならフランス革命とその理想を支持するスイスの自由主義者やプロテスタント派を挑発するものになったからだ。
おまけにこの像は、何世紀ものあいだ外国の勢力に仕えてきたスイス傭兵の役割についての議論まで引き起こしたという。
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マーク・トウェインいわく「世界一悲痛で最も心を打つ岩のかけら」 だがそんな政治的見解をよそに、苦しげで哀れなライオン像は世界中の人を惹きつけた。
完成からまもなく、多くの観光客を魅了した像は、1880年に訪れたアメリカの作家マーク・トウェインが「世界一悲痛で最も心を打つ岩のかけら」と評するほど注目され、歴史的かつ芸術的な観光スポットになった。
ルツェルンのライオン像は、その後しばらくアーティストのインスピレーションの源になったり政治的な運動の引き合いにされることがしばしばあった。
が、1990年にルツェルン当局が、この像の政治利用の厳格な規制に乗り出したため、そうした動きは落ち着いたそうだ。
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史実をめぐる物議があっても不動の人気を誇るライオン ただ「瀕死のライオン像」を追及する物議はまだ続いており、近年の研究で当時760人と刻まれた傭兵の死亡者数が、実際は半分以下の約300人と判明するなど、スイス傭兵虐殺の誇張という賛否両論を巻き起こしている。
それでもなお、直に見る者の心を揺さぶり、不動の人気を誇るライオンは、完成から200年過ぎた今も、ルツェルン旧市街にあるローヴェン広場付近の小さな公園で、いつものように観光客を待っている。
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その公園は歩行者専用区域にあるため、観光客は基本徒歩で向かうことになる。入場料も無料で見学も基本自由だ。
その公園のスケジュールに合わせていけばいつでも観賞できるらしいので、興味がある人はスイス観光局のライオン記念碑(日本語)などを参考に一度行ってみてはいかがだろうか。
References:switzerlandical / myswitzerland / swissinfo / twitterなど /written by D/ edited by parumo
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