
約4300年以上前の石造りの「後城嘴」に足を踏み入れるのは至難の業だった。ここは何層にも重ねられた防御壁や、威圧感が半端ない武装した入植者たちが待ち構える精巧な要塞システムがあったからだ。
だがそれだけではない。これまで考古学者たちの目を欺いていた、秘密の地下通路やトンネルが互いに交錯しあい、隠された交通網が張り巡らされていることがわかったのだ。
要塞全体に張り巡らされた防衛用の地下トンネル 内モンゴル自治区にある後城嘴で、最近発見された地下トンネルの深さは、1.52mから6.06mまでさまざまで、トンネル内部の高さはおよそ0.91mから1.82m、幅は1.21mだと発表された。
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地下トンネルへの入口 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
中国社会科学院(CASS)経由の内モンゴル自治区文化財・考古学研の発表によると、これらトンネルの一部は町の防御壁の下に広がっていて、外へと通じる通路となっているという。
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青い点線で示されたところがTD1とTD2トンネル / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
後城嘴の秘密のトンネルは、町を防衛する既存の設備を補うための追加の防衛対策となっている。
この新石器時代の町には、3つの同心円状の壁、その壁に沿った補助構造、厳重に守られた限られた数の城門、戦略的に配置された塹壕など、すでに高度な防衛システムが装備されていた。
後城嘴の設計は、軍事防衛と古代の同盟周辺の戦略的配置の文化的重要性に根ざしていると、考古学者は考えている。
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後城嘴の全景 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
CASS考古学研究所長のチェン・シンツァン氏は、同じ時期に似たような文化をもつ遺跡がほかにも2ヵ所発見されたことについて語る。
これまでの発掘で、町の起源はおよそ4300年から4500年前までさかのぼることがわかっている。2005年に初めて発見され、2019年に体系的な発掘が始まった。
発掘により、黒色土器が特徴の竜山文化など、新石器時代後期の遺物が出現した。楕円形の広大なエリアに広がる後城嘴は、町の内と外の両方から構成されていて、堅牢な三重防衛システムによって、防御がさらに強化されている。
そのシステムの一つとして判明したのが、侵入の複雑化を意図したとみられる特徴的な門の形状だ。
この発掘ではメインの主城門(CM1)、より小さな中央門(CM2)と外門(CM3)の3つの門が判明したが、外に面した城壁の中心にある主城門は、他の2つの門と大きく異なる長方形の特徴的な形状をしており、じっくりと慎重に考え抜かれた都市計画と、戦略的な建築計画がうかがえる。
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町へ入る主要な門の詳細 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
現時点では、後城嘴内で大規模な埋葬地などは特定できていないが、町の南西部に8基の長方形の竪穴式石室から成る小さな墓地が見つかっている
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埋葬地の全景 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
これらの墓には共通の特徴がある。すべて南東を向いていて、長さ175~200cm、幅40~60cm、深さ30~50cm。墓の底には平らな粘板岩(スレート)が敷き詰められていて、四方の側面も同じ岩でできているなど、この埋葬構造物の独特な建築スタイルを表している。
References:三重防御体系 、“明沟暗道”式地下交通——内蒙古后城咀石城考古新进展 / Experts Blown Away by Ancient Tactical Defense Tunnels Unearthed in China | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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だがそれだけではない。これまで考古学者たちの目を欺いていた、秘密の地下通路やトンネルが互いに交錯しあい、隠された交通網が張り巡らされていることがわかったのだ。
要塞全体に張り巡らされた防衛用の地下トンネル 内モンゴル自治区にある後城嘴で、最近発見された地下トンネルの深さは、1.52mから6.06mまでさまざまで、トンネル内部の高さはおよそ0.91mから1.82m、幅は1.21mだと発表された。
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地下トンネルへの入口 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
中国社会科学院(CASS)経由の内モンゴル自治区文化財・考古学研の発表によると、これらトンネルの一部は町の防御壁の下に広がっていて、外へと通じる通路となっているという。
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青い点線で示されたところがTD1とTD2トンネル / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
後城嘴の秘密のトンネルは、町を防衛する既存の設備を補うための追加の防衛対策となっている。
この新石器時代の町には、3つの同心円状の壁、その壁に沿った補助構造、厳重に守られた限られた数の城門、戦略的に配置された塹壕など、すでに高度な防衛システムが装備されていた。
後城嘴の設計は、軍事防衛と古代の同盟周辺の戦略的配置の文化的重要性に根ざしていると、考古学者は考えている。
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後城嘴の全景 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
CASS考古学研究所長のチェン・シンツァン氏は、同じ時期に似たような文化をもつ遺跡がほかにも2ヵ所発見されたことについて語る。
これら後城嘴、ビチュン、シマオの遺跡は、そもそも複雑な社会がどのように形成されたのかを研究する上で、極めて重要な文化体系を構成しています。考古学者たちは、この地域のこれら3つの重要な石造りの町は川沿いの文明について新たな洞察を提供してくれるだろうと推測している。後城嘴の石造りの町:戦略的都市計画と埋葬地 石の町とも呼ばれる後城嘴は、モンゴル自治区清水河県内を流れるフン川北岸にある遺跡だ。
多くの疑問がまだ未解決のままです。これらの遺跡が軍事要塞ならば、いったいなにから町を守ろうとしたのでしょうか? 研究はまだ始まったばかりですが、これら遺跡のつながりを明確に解明するのは長い道のりとなるでしょう
これまでの発掘で、町の起源はおよそ4300年から4500年前までさかのぼることがわかっている。2005年に初めて発見され、2019年に体系的な発掘が始まった。
発掘により、黒色土器が特徴の竜山文化など、新石器時代後期の遺物が出現した。楕円形の広大なエリアに広がる後城嘴は、町の内と外の両方から構成されていて、堅牢な三重防衛システムによって、防御がさらに強化されている。
そのシステムの一つとして判明したのが、侵入の複雑化を意図したとみられる特徴的な門の形状だ。
この発掘ではメインの主城門(CM1)、より小さな中央門(CM2)と外門(CM3)の3つの門が判明したが、外に面した城壁の中心にある主城門は、他の2つの門と大きく異なる長方形の特徴的な形状をしており、じっくりと慎重に考え抜かれた都市計画と、戦略的な建築計画がうかがえる。
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町へ入る主要な門の詳細 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
現時点では、後城嘴内で大規模な埋葬地などは特定できていないが、町の南西部に8基の長方形の竪穴式石室から成る小さな墓地が見つかっている
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埋葬地の全景 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network
これらの墓には共通の特徴がある。すべて南東を向いていて、長さ175~200cm、幅40~60cm、深さ30~50cm。墓の底には平らな粘板岩(スレート)が敷き詰められていて、四方の側面も同じ岩でできているなど、この埋葬構造物の独特な建築スタイルを表している。
References:三重防御体系 、“明沟暗道”式地下交通——内蒙古后城咀石城考古新进展 / Experts Blown Away by Ancient Tactical Defense Tunnels Unearthed in China | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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