
西暦79年のベスビオ火山の大噴火によって丸ごと埋まってしまったポンペイの町から、意味深い木炭画が発見された。
それらは剣闘士の闘いを表した落書きだ。
これは当時、大人が観戦して楽しんでいた闘いの血なまぐさい光景を、幼い子どもたちも実際に見ていた証拠かもしれない。
ポンペイの遺跡で発見された子供たちの落書き この落書きは、最近一般に開放された、ポンペイ考古学公園の住宅地やパン屋のある界隈、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで見つかった。
大噴火が起こる前、ポンペイの子どもたちは、死ぬまで闘う剣闘士の姿を家の中庭の壁に木炭で描いていた。
こうした暴力を幼い子どもが定期的に目にしていたとしか思えないほど、その絵柄はリアルなものだった。
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii剣闘士の戦いが描かれていた 剣闘士とは人間や獣相手に闘うよう訓練された戦士で、その闘いぶりを観て楽しむのが古代ローマの娯楽のひとつだった。
落書きがあった場所は、ある家の中庭の壁だった。床からおよそ1.5メートルほどの高さのところに剣士らしき4人と動物が描かれていた。
そのうち2人は向き合い、残る2人は2頭のイノシシに長槍を向けてるためベスティアリ(獣闘士)と思われる。またよく見ると右端にワシの頭らしきものも描かれている。
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ポンペイ考古学公園のガブリエル・ツフトリーゲル氏はこう語る。
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii大人たちは闘技場に子供を連れて行った およそ2000年前、この家の中庭で遊んでいた子どもたちは、おとなに連れられてポンペイの町の闘技場へ行ったのだろう。
ローマのコロセウムと同じように、そこは血みどろの闘いを見世物にする場だった。当然、子どもたちも極端な暴力を目の当たりにし、そこには犯罪者や奴隷の処刑も含まれていた可能性があるという。
落書きに描かれている棒のような人物は、頭から直接手足が生えていて、タコやイカのような頭足動物に似ている。
こうした特徴は、いつの時代でも子どもたちの絵によく見られる「人類学的な不変性」といえる。現代の子どもたちの多くも同じようなアプローチを使って絵を描く。
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii
油やワインを入れる壺アンフォラの保管室の壁には、地面から50cmほどのところに3つの小さな手、ボール遊びをしている2人の人物、イノシシ、地面に横たわるボクサーのような人物が2人描かれている。
ポンペイでは例のない、フードをかぶった子どもの絵もあった。死んだ子どもへのオマージュではないかという。
この子どもは小さな犬と共にブドウやザクロに囲まれていて、ほかの子どもたちの絵が見つかった場所近くの庭を眺めているようにみえる。
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落書きが見つかったアンフォラの保管室 / image credit:Pompeii Sitesインスラ・デイ・カスティ・アマンティで発掘されたもの インスラ・デイ・カスティ・アマンティの別の場所からは、噴火で亡くなった男女の遺骨が発掘された。
2人はおそらく噴火で飛んできた熱い軽石や降り注ぐ灰を逃れようとしていたのかもしれない。
ほかの部屋は、ケンタウロス、セイレーン、グリフィン、アポロ、アフロディーテ、ディオニソスなどの神々を描いたフレスコ画で装飾されていた。
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住居内で発見されたフレスコ画。左はアフロディーテ、右はペルセポ / image credit:Pompeii Sites
噴火前、ポンペイは600年以上も港湾都市として繁栄していた。この町は考古学的発見の宝庫と言っていい。
References:POMPEI, INSULA DEI CASTI AMANTI - Pompeii Sites / Children’s Graffiti Reveals Witnessing of Gladiatorial Violence in Pompeii / written by konohazuku / edited by / parumo
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それらは剣闘士の闘いを表した落書きだ。
単純で稚拙なスケッチから、おそらく5歳から7歳くらいの子どもが描いたものではないかと考えられる。
これは当時、大人が観戦して楽しんでいた闘いの血なまぐさい光景を、幼い子どもたちも実際に見ていた証拠かもしれない。
ポンペイの遺跡で発見された子供たちの落書き この落書きは、最近一般に開放された、ポンペイ考古学公園の住宅地やパン屋のある界隈、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで見つかった。
大噴火が起こる前、ポンペイの子どもたちは、死ぬまで闘う剣闘士の姿を家の中庭の壁に木炭で描いていた。
こうした暴力を幼い子どもが定期的に目にしていたとしか思えないほど、その絵柄はリアルなものだった。
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii剣闘士の戦いが描かれていた 剣闘士とは人間や獣相手に闘うよう訓練された戦士で、その闘いぶりを観て楽しむのが古代ローマの娯楽のひとつだった。
落書きがあった場所は、ある家の中庭の壁だった。床からおよそ1.5メートルほどの高さのところに剣士らしき4人と動物が描かれていた。
そのうち2人は向き合い、残る2人は2頭のイノシシに長槍を向けてるためベスティアリ(獣闘士)と思われる。またよく見ると右端にワシの頭らしきものも描かれている。
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ポンペイ考古学公園のガブリエル・ツフトリーゲル氏はこう語る。
5歳から7歳ほどの幼い子どもが極端な暴力を目撃するのは、ビデオゲームやソーシャルメディアがはびこる現代だけの問題ではなかったようです。フェデリコ2世ナポリ大学の児童心理学の専門家たちがこの落書きを分析し、これを描いた子どもたちは、単なる想像からではなく、実際に見た記憶からこれを描いたと結論づけたという。
ただ違うのは、古代の闘技場での流血は現実のことであり、目撃したポンペイの子どもたちの精神的発達に大きな影響を及ぼしたはずなのに、それを問題視する人はほとんどいなかったということです
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii大人たちは闘技場に子供を連れて行った およそ2000年前、この家の中庭で遊んでいた子どもたちは、おとなに連れられてポンペイの町の闘技場へ行ったのだろう。
ローマのコロセウムと同じように、そこは血みどろの闘いを見世物にする場だった。当然、子どもたちも極端な暴力を目の当たりにし、そこには犯罪者や奴隷の処刑も含まれていた可能性があるという。
落書きに描かれている棒のような人物は、頭から直接手足が生えていて、タコやイカのような頭足動物に似ている。
こうした特徴は、いつの時代でも子どもたちの絵によく見られる「人類学的な不変性」といえる。現代の子どもたちの多くも同じようなアプローチを使って絵を描く。
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ポンペイ遺跡、インスラ・デイ・カスティ・アマンティで発見された木炭画の1つ / image credit:MIC - Archaeological Park of Pompeii
おそらく、この中庭で遊んでいた子どものひとりが闘技場での殺し合いを実際に見たのでしょう。この落書きは、今日でも見られる発達段階にある少年少女の想像力に与えた影響力を示しています(ガブリエル・ツフトリーゲル氏)火山灰に閉じ込められた歴史 剣闘士の落書きを描いた子どもは、なにか足場のようなものに乗って絵を描いたようだが、別の部屋のスケッチは子どもの目線そのものの高さにある。
油やワインを入れる壺アンフォラの保管室の壁には、地面から50cmほどのところに3つの小さな手、ボール遊びをしている2人の人物、イノシシ、地面に横たわるボクサーのような人物が2人描かれている。
ポンペイでは例のない、フードをかぶった子どもの絵もあった。死んだ子どもへのオマージュではないかという。
この子どもは小さな犬と共にブドウやザクロに囲まれていて、ほかの子どもたちの絵が見つかった場所近くの庭を眺めているようにみえる。
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落書きが見つかったアンフォラの保管室 / image credit:Pompeii Sitesインスラ・デイ・カスティ・アマンティで発掘されたもの インスラ・デイ・カスティ・アマンティの別の場所からは、噴火で亡くなった男女の遺骨が発掘された。
2人はおそらく噴火で飛んできた熱い軽石や降り注ぐ灰を逃れようとしていたのかもしれない。
ほかの部屋は、ケンタウロス、セイレーン、グリフィン、アポロ、アフロディーテ、ディオニソスなどの神々を描いたフレスコ画で装飾されていた。
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住居内で発見されたフレスコ画。左はアフロディーテ、右はペルセポ / image credit:Pompeii Sites
噴火前、ポンペイは600年以上も港湾都市として繁栄していた。この町は考古学的発見の宝庫と言っていい。
References:POMPEI, INSULA DEI CASTI AMANTI - Pompeii Sites / Children’s Graffiti Reveals Witnessing of Gladiatorial Violence in Pompeii / written by konohazuku / edited by / parumo
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