見過ごされていた象形文字の解読で古代エジプトのラムセス2世が納められていた棺を特定
 古代エジプトの最も有名なファラオのひとり、ラムセス2世がかつて納められていた石棺が特定された。

 彼のミイラは略奪を阻止するために何度も移動が繰り返されたあげく、最終的に1881年に発見されているが、そのミイラが納められていた棺のほうはどこにあるかわからなかった。


 特定のきっかけは、宗教施設の床下から石の断片が見つかり、そこに刻まれた象形文字を解読したことだった。

見過ごされていた象形文字 2009年、エジプト中東部の古代都市アビドスにあるコプト正教会の施設内で、花崗岩の石棺が発掘された。コプト正教会とは、キリスト教の一つで、エジプトを中心として発展した教派のことである。

 考古学者のアイマン・ダムラニ氏とケヴィン・カハイル氏ら研究チームは、この棺に納められた死者が時間差で2人いたことを突きとめた。最初の埋葬から後の時代に、もう一度この棺が使われていたことがわかったのだ。

 その2人のうち特定できたのは、2番目に埋葬されたメンケペルラーのみだった。彼は紀元前1000年頃の古代エジプト第21王朝時代のアメンの大司祭だった人物だ。

 一方、最初の主は古代エジプトの非常に高位の人物であることまではわかったが、誰なのかまでは特定できず謎のままだった。

 そこでフランス、ソルボンヌ大学のエジプト学者フレデリック・ペイロード氏がさらに石棺を調べたところ、カルトゥーシュに象形文字が刻まれていたことに気が付いた。

 カルトゥーシュとは、古代エジプトで使用されていた象形文字の一つで、ファラオの名前を囲む装飾用の枠のことだ。

 見落とされていた象形文字を解読してみると、ラムセス2世の名が記されていたという。

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エジプト新王国第19王朝のファラオ、ラムセス2世 photo by iStockあちこち移されたラムセス2世のミイラ ラムセス2世は、古代エジプト第19王朝のファラオで、その治世は紀元前1279年から1213年まで続いた。


 エジプト帝国を現在のシリアまで拡大したり、カルナック神殿の拡張などの建築事業でその名が知られている。

 1881年、ラムセス2世のミイラがルクソール郊外にある神殿デイル・エル・バハリの秘密の隠し場所で発見された。そこには彼の父親を含む50人の貴族のミイラも安置されていた。

 もともと、ラムセス2世のミイラは現在はもうない黄金の棺で埋葬され、のちにアラバスター(雪花石膏)の棺に移されたが、その棺は略奪者によって破壊されてしまった。

 その後、さらに花崗岩の石棺に納められ、メンケペルラーが自分のために棺をアビドスに移した。

 この発見は、当時王家の谷が略奪のターゲットだっただけでなく、その後の君主たちによって葬儀用具を再利用する場でもあったことを示している。

 なお、ラムセス2世のミイラ本体は、カイロのエジプト考古学博物館に納められているが、非常に保存状態がいい。これだけあちこち移されて、よく破損しなかったものだ。

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ラムセス2世のミイラ / image credit:iStock

この研究は『Revue D'Egyptologie』誌に掲載された。

References:Le sarcophage du pharaon Ramses II finalement identifie sur un sarcophage retrouve en 2009 | CNRS / Ramesses II's sarcophagus finally identified thanks to overlooked hieroglyphics / written by konohazuku / edited by / parumo

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