
古代ローマ時代「ウェスタの処女」と呼ばれる女性神官たちが存在した。聖なる火をつかさどる処女神「ウェスタ」を守る聖職についた彼女たちは、純潔の誓いを定めとした。
その代わり当時の女性では手に入れることのできなかった権力、名声、特権を手に入れ、影響力をもつようになった。
だが、その誓いに少しでも疑いが生じれば、生き埋めなどの過酷な罰を受けることもあったという。
ウェスタの処女たちの構成と役割 ウェスタの処女たちは、選ばれた6人の年若い女性たちで構成される。女神ウェスタに仕えるため、その後30年間奉仕し、辞めれば結婚することもできたが、ほとんどはそのまま聖職に留まったという。
彼女たちはフォロ・ロマーノの一等地にあるアトリウム・ウェスタエという広大な施設に住み、隣接する神殿にあるウェスタの聖なる火を守るのが第一の役目だった。
当時のローマ人は、聖なる火は女神ウェスタの化身で、ローマの家庭の炉の象徴だと理解し、ウェスタの処女たちがこの火を守ることで、国家の安泰が保証されると信じていた。
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聖なる火を守るウェスタの処女たち / image credit:public domain/wikimediaウェスタ信仰の始まりと終わり この信仰は、紀元前8世紀にローマの第2代王ユマ・ポンピリウスによって始まったとされている。
ユマ王はローマ建国者の前任者ロムルスとその母レア・シルウィアに対する敬意の念からこの信仰を始めたと言われている。
ウェスタ崇拝に関連する最初のシステムが、紀元前6世紀にはすでに存在していた考古学的な証拠があるという。このシステムは、皇帝テオドシウス1世によって西暦394年に廃止されるまで、約1,200年間にわたって存続していた。
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ウェスタの処女たちが住んでいた家「アトリウム・ウェスタエ」 / image credit:Carole Raddato / WIKI commonsウェスタの処女たちの選出方法 ウェスタの処女たちは、ウェスタの祭壇に捧げられる儀式用の塩ケーキ、モラ・サルサを作ったり、年間を通じて農業の祭りに参加したりした。
こうした伝統の継続は聖なる火を絶やさないのと同様にローマの揺るぎない幸運を象徴していた。
ウェスタの処女たちの在任期間は究極の信心深さによって決められ、彼女たちは何人もおかすことのできない処女性を具現化していたといってもいい。
神聖な女性を選ぶために、候補は6歳~10歳の少女たちの中から選ばれた。
彼女たちは肉体的にも精神的にも、穢れや不純を示すいかなる欠陥もあってはならないというローマ法にのっとった厳しい条件を満たさなくてはならなかった。
ローマの元老院と最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)によって最終選抜され、本人とその両親も名誉ある者であることが保証された。
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ヴァーツラフ・ホラー (1607–1677)によるウェスタの女性たち/ image credit:public domain/wikimedia選出者に与えられた義務と特権 選ばれると、ウェスタの処女たちはカプティオという入信式を行い、生まれ育った家を離れて、家族や男性の後見人との法的なつながりから一切切り離される。
その代わりに彼女たちにはウェスタの処女としての特権が与えられる。これは、当時男性エリートしか得られなかった地位の安泰と贅沢な暮らしが保証されるものだった。
定期的な年金収入が保証され、個人の財産を持つ権利が与えられ、法廷で証言することもできた。
死刑囚を赦免することやマルクス・アントニウスやユリウス・カエサルのような大物政治家の遺志を守ることもできた。
ウェスタの処女は不可侵で、不浄な大衆が触れてはならない存在だった。彼女たちを守るために護衛がつき、通りを行くときもカーペンタムという馬車に乗って移動した。
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ウェスタの処女たちが暮らした住宅。パラティーノの丘の麓、神殿の真裏にあった三階建てのウェスタのアトリウムその代償はあまりにも大きかった ウェスタの処女たちは独特な権力の地位を与えられてはいたが、それは不安定なものでもあった。
彼女たちの不可侵性はその処女性に基づいていて、この性的な地位が彼女たちの社会的権力を定義づけていた。それが国家の福祉や政治とイコールだという解釈だったのだ。
ローマが混乱すると、真っ先に非難されたのは、ウェスタの処女性だった。彼女たちがなんらかの間違いを犯し、その純潔に傷がついたためにローマの平和が乱されたと考えられたのだ。
西暦91年のスキャンダルでは、ウェスタのリーダー格コルネリアがいわゆる欠席裁判にかけられ、性的不純の罪で有罪判決を受けた。
彼女の愛人だとされた者は殴り殺され、コルネリア自身はわずかな食料を与えられただけで地下室に閉じ込められて、そのままそこで亡くなった。
処女の血を流させることなく、つまり誰かに殺されたわけではなく、ウェスタが自発的に死んだということにされたのだ。
禁欲の誓いを破ったとして有罪になった例は、1000年の間でそのほかに10件あった。鞭打ち、生き埋めなどの刑罰があったという。
ウェスタの処女たちは純潔の象徴として崇められ祝福され、特権も得た。
追記:(2024/08/08)本文を一部訂正して再送します。
References:Vestal Virgin - Wikipedia / The Vestal Virgins Achieved Power Most Women Were Denied – But at Great Cost | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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その代わり当時の女性では手に入れることのできなかった権力、名声、特権を手に入れ、影響力をもつようになった。
だが、その誓いに少しでも疑いが生じれば、生き埋めなどの過酷な罰を受けることもあったという。
ウェスタの処女たちの構成と役割 ウェスタの処女たちは、選ばれた6人の年若い女性たちで構成される。女神ウェスタに仕えるため、その後30年間奉仕し、辞めれば結婚することもできたが、ほとんどはそのまま聖職に留まったという。
彼女たちはフォロ・ロマーノの一等地にあるアトリウム・ウェスタエという広大な施設に住み、隣接する神殿にあるウェスタの聖なる火を守るのが第一の役目だった。
当時のローマ人は、聖なる火は女神ウェスタの化身で、ローマの家庭の炉の象徴だと理解し、ウェスタの処女たちがこの火を守ることで、国家の安泰が保証されると信じていた。
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聖なる火を守るウェスタの処女たち / image credit:public domain/wikimediaウェスタ信仰の始まりと終わり この信仰は、紀元前8世紀にローマの第2代王ユマ・ポンピリウスによって始まったとされている。
ユマ王はローマ建国者の前任者ロムルスとその母レア・シルウィアに対する敬意の念からこの信仰を始めたと言われている。
ウェスタ崇拝に関連する最初のシステムが、紀元前6世紀にはすでに存在していた考古学的な証拠があるという。このシステムは、皇帝テオドシウス1世によって西暦394年に廃止されるまで、約1,200年間にわたって存続していた。
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ウェスタの処女たちが住んでいた家「アトリウム・ウェスタエ」 / image credit:Carole Raddato / WIKI commonsウェスタの処女たちの選出方法 ウェスタの処女たちは、ウェスタの祭壇に捧げられる儀式用の塩ケーキ、モラ・サルサを作ったり、年間を通じて農業の祭りに参加したりした。
こうした伝統の継続は聖なる火を絶やさないのと同様にローマの揺るぎない幸運を象徴していた。
ウェスタは、炉、家庭、家族を司る処女神で、そのご神体は燃え続ける火そのものだと信じられていた。
ウェスタの処女たちの在任期間は究極の信心深さによって決められ、彼女たちは何人もおかすことのできない処女性を具現化していたといってもいい。
神聖な女性を選ぶために、候補は6歳~10歳の少女たちの中から選ばれた。
彼女たちは肉体的にも精神的にも、穢れや不純を示すいかなる欠陥もあってはならないというローマ法にのっとった厳しい条件を満たさなくてはならなかった。
ローマの元老院と最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)によって最終選抜され、本人とその両親も名誉ある者であることが保証された。
[画像を見る]
ヴァーツラフ・ホラー (1607–1677)によるウェスタの女性たち/ image credit:public domain/wikimedia選出者に与えられた義務と特権 選ばれると、ウェスタの処女たちはカプティオという入信式を行い、生まれ育った家を離れて、家族や男性の後見人との法的なつながりから一切切り離される。
その代わりに彼女たちにはウェスタの処女としての特権が与えられる。これは、当時男性エリートしか得られなかった地位の安泰と贅沢な暮らしが保証されるものだった。
定期的な年金収入が保証され、個人の財産を持つ権利が与えられ、法廷で証言することもできた。
死刑囚を赦免することやマルクス・アントニウスやユリウス・カエサルのような大物政治家の遺志を守ることもできた。
ウェスタの処女は不可侵で、不浄な大衆が触れてはならない存在だった。彼女たちを守るために護衛がつき、通りを行くときもカーペンタムという馬車に乗って移動した。
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ウェスタの処女たちが暮らした住宅。パラティーノの丘の麓、神殿の真裏にあった三階建てのウェスタのアトリウムその代償はあまりにも大きかった ウェスタの処女たちは独特な権力の地位を与えられてはいたが、それは不安定なものでもあった。
彼女たちの不可侵性はその処女性に基づいていて、この性的な地位が彼女たちの社会的権力を定義づけていた。それが国家の福祉や政治とイコールだという解釈だったのだ。
ローマが混乱すると、真っ先に非難されたのは、ウェスタの処女性だった。彼女たちがなんらかの間違いを犯し、その純潔に傷がついたためにローマの平和が乱されたと考えられたのだ。
西暦91年のスキャンダルでは、ウェスタのリーダー格コルネリアがいわゆる欠席裁判にかけられ、性的不純の罪で有罪判決を受けた。
彼女の愛人だとされた者は殴り殺され、コルネリア自身はわずかな食料を与えられただけで地下室に閉じ込められて、そのままそこで亡くなった。
処女の血を流させることなく、つまり誰かに殺されたわけではなく、ウェスタが自発的に死んだということにされたのだ。
禁欲の誓いを破ったとして有罪になった例は、1000年の間でそのほかに10件あった。鞭打ち、生き埋めなどの刑罰があったという。
ウェスタの処女たちは純潔の象徴として崇められ祝福され、特権も得た。
だが、その代わり犠牲にしたものも決して小さくはなかったのだ。
追記:(2024/08/08)本文を一部訂正して再送します。
References:Vestal Virgin - Wikipedia / The Vestal Virgins Achieved Power Most Women Were Denied – But at Great Cost | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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