
中央アメリカ、ベリーズのジャングルに眠るマヤの古代都市「カラコル」で、ついに王の墓が考古学者らに発見された。しかも、カラコル王朝を築いた初代王「テ・カブ・チャーク」の墓である。
これまでにも王族と思われる人物の豪華な墓は多数発見されてきたが、マヤ文字の記録と一致する“王”、しかも“王朝の始祖”である王の墓が発見されたのは初めてだという。
数十年にわたる発掘調査の末に明らかとなったこの発見は、マヤ文明の王朝の歴史に新たな光を当てるだけでなく、メキシコのテオティワカンとの想像以上に早い外交関係の存在も示している。
マヤの古代都市「カラコル」の初代王
中央アメリカ、ベリーズ西部のグアテマラとの国境近くにある「カラコル[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%AB]」は、650年頃の最盛期には10万人の人口を擁し、マヤ世界で最も強大な力を誇った都市国家だった。
当初は現在のグアテマラにあったマヤの大都市「ティカル[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB]」に従属していたが、562年の「星の戦争」では「カラクムル」(マヤ中部の古代都市)と同盟を結びティカルに勝利。地域的な覇権を確立している。
こうした発展の礎を築いたのが、331年に即位したカラコルの初代王「テ・カブ・チャーク(Te K’ab Chaak)」だ。
その墓は王族の神殿の基部で発見され、埋葬されていた王の遺体からは、死亡時は高齢で、歯がすべて抜けていたことが分かっている。
また副葬品も残されており、翡翠(ひすい)製のデスマスク、翡翠製耳飾り3組、翡翠製のペンダント、貝殻(ダイオウショウジョウガイ[https://es.wikipedia.org/wiki/Spondylus_crassisquama])2枚、カメの甲羅2枚などが発見された。
翡翠のビーズにはクモザルをかたどったものもあり、マヤ文化における動物の重要性も示している。
発掘チームを率いた、アメリカ、ヒューストン大学のダイアン・チェイス氏とアーレン・チェイス氏夫妻は、この発見について、「カラコルの歴史にとって非常に大きな出来事」と語る。
テ・カブ・チャーク王の墓の年代は推定350年前後
これまで、現在のメキシコシティ近郊にあった巨大都市「テオティワカン」が、マヤ低地へ進出したのは378年とされてきた。この出来事は「ラ・エントラダ(La Entrada)」として知られている。
しかし、今回発見された墓は、そのラ・エントラダよりも一世代早い時期のものだ。
このことから、当時のマヤ王たちはすでにメキシコ中部の大国テオティワカンと外交的なつながりを持っていた可能性が浮上している。
今回の墓以外にも、同時期の2つの埋葬墓が見つかっており、その一つには15本のメキシコ・パチューカ産黒曜石の刃と、「アトラトル」と呼ばれる投槍器の先端が含まれていた。
アトラトルはマヤでは使われていなかったため、これはテオティワカンから持ち込まれたものと考えられている。
こうした出土品から、アーレン・チェイス博士は「テ・カブ・チャークのような初期のマヤ王たちが、テオティワカンと外交的関係を築いていた可能性が高い」と述べている。
カラコルとテオティワカンはおよそ1,200kmも離れており、徒歩で移動すれば153日もかかる距離だった。
にもかかわらず、当時の支配層が何らかの手段で接触していたことは、マヤ文明が広い範囲で国際的な関係を築いていたことを示す重要な証拠となる。
テ・カブ・チャーク王のDNA解析が行われる予定
今後は、テ・カブ・チャークの遺骨に対するDNA解析や安定同位体分析によって、彼の出自や生活環境などをさらに詳しく調べる予定だ。
チェイス夫妻は、この成果を来月サンタフェ研究所で開かれるマヤ・ワーキンググループの学会で発表する予定であり、さらなる注目が集まっている。
約1700年前の王の眠りがついに明かされた今、古代マヤの歴史がまた一つ、鮮やかに蘇ろうとしている。
発見の詳細は、来月サンタフェ研究所で開催されるマヤ研究グループの学会で発表される予定だ。
References: University of Houston Archaeologists Discover Tomb of First King of Caracol[https://uh.edu/news-events/stories/2025/july/07102025-caracol-chase-discovery-maya-ruler.php]
本記事は、海外の情報をもとに、日本の読者向けにわかりやすく再構成し、独自の視点で編集したものです。