
第二次世界大戦中、1942年12月12日にソロモン諸島沖で沈没した旧日本海軍の駆逐艦「照月(てるづき)」が、80年ぶりに発見された。
照月が沈んでいたのはガダルカナル島北側にある海峡、アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)の、水深800mの深海底だ。
照月は、当時の日本の艦艇としては高度な防空能力を備えていた。
今回の発見および調査は、アメリカの海洋探査チームと日本を含む複数の国の機関が協力して成し遂げたもの。
元交戦国でもあった各国の研究者らが合同で進めた本調査は、長年謎に包まれていた「照月」沈没の原因や戦闘の実態の新事実を見出すなど、歴史的な意義を持つものになった。
高性能な防空駆逐艦「照月」
照月は、大日本帝国海軍が建造した「秋月型駆逐艦[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%9C%88%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6]」の2番艦で、三菱長崎造船所で建造され、1942年8月31日に竣工した。
艦名の「照月」は「輝く月」または「照らされた月」を意味する。秋月型はそれまでの駆逐艦とは一線を画す設計で、もともとは主力艦である航空母艦の直衛(護衛)任務に特化して開発された。
最大の特徴は、高射速の長10cm高角砲(65口径九八式高角砲)を主兵装として搭載し、当時としては極めて高い対空戦闘能力を有していた点にある。
この高角砲はもともと対空戦闘を主眼に設計されており、仰角最大90度、発射速度は毎分15発前後と、高い仰角と優れた初速を活かし、一定の高度までの対空射撃が可能だった。
これは、日本海軍の駆逐艦としては異例であり、「主砲=高角砲」という点において他の艦と大きく異なっている。
照月は竣工後すぐに連合艦隊に配属され、南太平洋方面の作戦に参加、短期間で激しい戦闘を経験した。
艦長は後に「しぶとい田中」とアメリカ軍から呼ばれた田中頼三少将だった。
800mの海底に残された歴史的な証拠
今回の調査は、海洋探査団体オーシャン・エクスプロレーション・トラスト(Ocean Exploration Trust)の調査船「ノーチラス号」による探査活動の一環として行われたものだ。
この探査にはアメリカ海洋大気庁(NOAA)、米海軍歴史遺産司令部、日本の京都大学、ソロモン諸島政府、さらにはオーストラリア、ニュージーランドの研究機関が共同で参加した。
80年ぶりに人目に触れた「照月」の残骸は、ニューハンプシャー大学の無人水上探査機「DriX」がソナーで調べた情報をもとに、遠隔操作型の水中ドローンによる捜索で発見された。
第二次世界大戦当時、旧日本海軍の軍事作戦は機密事項であり、そのために照月の写真や目撃証言の類は一切存在せず、その姿は長く謎に包まれていた。
ノーチラス号の研究チームに参加した京都大学の石井周氏は、当時の状況を伝える”遺産”に巡り会えた幸運と重要性について、次のように語っている。
「照月を目にすることができて本当に幸運です。この船が80年以上発見されてこなかったというその事実が、海洋遺産を記録することの重要性を伝えています」
照月の沈没した理由が明らかに
照月は1942年8月に竣工した後、南太平洋戦線に投入され、10月の南太平洋海戦、11月の第三次ソロモン海戦に参加した。
12月12日、ガダルカナル島へ物資を届けるための輸送作戦中、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けて艦尾付近に直撃を受け、沈没した。
この攻撃によって照月の艦尾は激しく損壊し、艦体から分離したとみられている。
沈没によって9名の乗組員が命を落としたが、田中頼三少将をはじめとする大部分の乗組員は脱出に成功し、生還している。
今回の海底調査では、本体からおよそ200m離れた場所で、長さ約19mの艦尾部分と、その周囲に未使用の爆雷が散乱しているのが発見された。
かつては、これらの爆雷が何らかの原因で誘爆し、それが沈没の決定打になったという説もあった。
しかし今回の発見によって、爆雷は爆発しておらず、沈没はあくまでも魚雷による物理的な損傷、特に艦尾の破壊と分離が直接の原因であったことが裏付けられた。
照月の前部砲塔が今も空を向いたまま残されていたことからも、艦は激しい戦闘のさなかに沈んだことがうかがえる。
元交戦国が協力して調査
第二次世界大戦では激しく戦った日本と米国だが、今回の発見は現在は同盟国となった両国の研究者が参加している。
その意義について、NOAA(米海洋大気庁)の海洋考古学者フィル・ハートマイヤー氏は次のように語っている。
田中頼三少将の旗艦・照月の発見は、学際的かつ国際的なチームによって成し遂げられました。彼らは協力して照月の残骸を記録し、かつての敵、現在は同盟国である国々にとって、照月が持つ歴史的意義を明らかにしたのです(ハートマイヤー氏)
照月の発見は、今回の遠征で確認された12番目の第二次世界大戦関連の沈没艦であり、ソロモン諸島の海峡「アイアン・ボトム・サウンド[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89]」にはまだ多くの未発見艦船が眠っていると考えられている。
この海域は、1942年から1943年にかけて5つ以上の大規模な海戦が行われ、日米双方が多数の艦艇を失った“海の戦場”である。
最新技術を駆使した国際合同深海調査は、歴史の空白を埋める重要な手がかりを得ることができる。
照月の存在は、80年の歳月を越えて、今も戦争の記憶を静かに伝えている。
References: Nautiluslive[https://nautiluslive.org/video/2025/07/12/ijn-destroyer-teruzuki-discovered]
本記事は、海外の情報をもとに、日本の読者がより理解しやすいように情報を整理し、再構成しています。