生まれたばかりの赤ちゃんのそばに寄り添う、ふわふわの可愛い子猫「スシ」。彼はベビーベッドに眠る赤ちゃんを、じっと見守るのが日課だった。
ある日のこと、飼い主のマンディさんは彼のおかげで思わぬ救いを得ることになった。スシは赤ちゃんの体調がおかしいことを真っ先に察知。
彼のおかげで、マンディさんは娘の病気に気づくことができたのだ。
ベビーベッドで赤ちゃんの傍らに座るスシは、まるで「この子はぼくが守るんだ」と言っているかのよう。その健気な姿は多くの人の心を打った。
赤ちゃんのそばを絶対に離れない子猫の「スシ」
TikTokで最近人気の「スシ」という名のハチワレ猫を紹介しよう。
スシはマンディさんの娘、シオマラちゃんに夢中。いつも寄り添い、一緒に眠り、ベッタリ密着して過ごしていた。
スシは本当にすぐに娘に懐いたし、娘のほうも全く嫌がりませんでした。彼は私よりも娘と一緒にいる時間のほうが長いくらいでした。
そしてベビーベッドに登る方法を覚えたとたん、彼はいつも娘の隣で寝たがるようになったんです
親よりも先に赤ちゃんの異変を察知した子猫
ある日のこと、マンディはスシが赤ちゃんの胸に何度も頭を押しつけるようにしていることに気づいた。
いつもの甘えた様子とは違う。何かがおかしいと感じたマンディは、すぐにシオラマちゃんを医者に連れて行くことに。
医師の診察の結果、シオマラちゃんは上気道感染症にかかっており、すぐに入院が必要な状態だと判明した。
彼はいつもシオマラにベッタリ寄り添っていて、彼女の胸の上で眠るのが好きでした。
でもそのおかげで、彼女が上気道感染症にかかっていることがわかったんです。私よりも先に、彼が気づいたことにとても驚きました
シオラマちゃんが退院してからも、スシは相変わらず彼女にベッタリとくっついて離れようとせず、切っても切れない相棒のようになったという。
スシが彼女のそばを離れるのは、おむつを交換する時くらい。スシがそばにいさえすれば、娘が大丈夫だってわかるんです。
娘もスシのことが大好きで、2人はまるでソウルメイトみたいです
そして初めて出会って4年半。シオラマちゃんには弟ができた。すっかりお姉ちゃんになったシオラマちゃんと可愛い弟の間で、スシは幸せそうに寛いでいる。
出会いがあれば別れもある
だがマンディさんは、一つだけ今から心を痛めていることがある。
猫の寿命は人間より短い。スシとの別れは、シオラマちゃんが多感な年齢の頃に、きっと確実にやって来る。
シオラマとスシは、魂で結ばれたソウルメイト。
きっと彼女にとって、スシとの別れは人生で最初の大きな悲しみになるでしょう
だが出会いがあれば別れがやってくるのは自然の摂理だ。
身をもってそれを知ることで、今そこに存在する大切な人や動物との時間がいかに尊いものかを誰よりも理解できるようになるかもしれない。
スシとシオラマちゃんのストーリーは、多くの猫好きたちの心の琴線に触れたようだ。
- 部屋にいないだけなのに、うちの猫が恋しい……死んだわけじゃなくて、今は向こうの部屋でくつろいでるだけだけど
- それ、ジョークのつもりだったのに、なんか切なくなっちゃったじゃないか
- 彼にとっては人生の一瞬かもしれないけど、彼女にとっては彼が人生のすべてになる
- 子供の頃に飼っていた猫が恋しい。16歳で亡くなったけど、毎日すごく会いたくなる。あんなに優しい子はいなかった
- うちの猫は息子が生まれたとき2歳だったけど、ずっとそばを離れなかった。19年間一緒に過ごして、21歳で亡くなった。本当に恋しい
- 一緒に育った猫が死んだときは、兄弟を失ったみたいだった。母に「大人みたいな泣き方を初めてしたね」と言われたよ
- どこかで「未来の悲しみを前借りするな」って言葉を読んで、心に残った
- 今を生きることだね。まだ起きていないことや、もう過ぎたことを考えるより、その瞬間を楽しむほうがいい
- 最初に飼ったのはハチワレ猫で、子供のころの親友だった。毎日あの子が恋しい。9歳のときに亡くなって、今20歳だけど今も思い出す
- 子供のうちに、愛するものを失う経験を動物を通して学ぶのはいいことだと思う。
痛みはあるけど、それが人生だ- 子供のころから一緒にいた猫は18歳で亡くなった。両親がくれた最高の贈り物だった
- 最近、私の「永遠の猫」も亡くなった。私より1歳年上で、まるで兄弟みたいだった。失うのは本当に辛いけど、楽しかった思い出だけを心に残している。(私は20歳で、あの子はもうすぐ21歳になるところだった)
- 弟が初めて猫を飼ったのは4歳のときで、高校卒業後まで生きた。まさに魂の伴侶だった。幸せな一生で、一緒に過ごせた時間に感謝している
- 子供にとって最高の教育のひとつだよ。愛情や忍耐、友情、そして命に対する責任を教えてくれる
- 人生で最高の喜びのひとつは、子供がペットと一緒に成長する姿を見ることだ











