恐竜「ステゴサウルス」なのか?カンボジアのタ・プローム遺跡に残された12世紀の彫刻の謎
12世紀のタ・プローム遺跡に彫られた恐竜の彫刻/ Image credit:<a href="https://www.flickr.com/people/25691430@N04" target="_blank">Harald Hoye</a> <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/File:Dinosaur_carving_at_Ta_Prohm_temple,_Siem_Reap,_Cambodia_(5534467622).jpg" target="_blank">WIKI commons</a> CC BY-SA 2.0

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カンボジアの古都アンコールの密林にあるタ・プローム遺跡は、その崩れかけた石造りと絡みつくガジュマルの樹木が織りなす幻想的な光景で知られている。

 ここはもともと、12世紀末にクメール王朝により創建された大乗仏教の僧院だった。

その僧院の門の柱に、奇妙な生物のレリーフが存在する。

 背中に突起を持つその彫刻は、恐竜の「ステゴサウルス」にそっくりなのだ。当時の人々は恐竜を知っていたのだろうか?今回はその謎に迫ってみよう。

クメール王朝の遺産、密林に眠る宗教施設

 カンボジア北西部、シェムリアップ近郊の密林に広がるアンコール遺跡群。その一角にあるタ・プローム遺跡は、12世紀末から13世紀初頭にかけて、クメール王朝のジャヤーヴァルマン7世によって建立された。

 クメール王朝は9世紀から15世紀にかけて、現在のカンボジアを中心にタイ、ラオス、ベトナムの一部にまで勢力を広げた強大な王朝で、壮麗な石造建築と複雑な宗教美術で知られている。

 タ・プロームはその中でも特異な存在だ。正式名称は「ラージャヴィハーラ(王の僧院)」といい、大乗仏教の僧院兼大学として建てられた。

 王の母に捧げられたこの施設には、かつて1万2,000人以上の僧侶や学僧、舞姫が暮らしていたという。周囲の村々まで含めると、遺跡の維持に関わった人々は8万人を超えていたとされる。

 やがてクメール王朝は衰退し、タ・プロームも放棄されて密林に埋もれた。

 20世紀に入ってフランス人考古学者たちによって再発見されたが、幻想的な雰囲気を保つため、遺跡は「修復せずそのまま保存する」方針がとられた。

 今もなお、巨大なガジュマルの根が石壁に絡みつき、時間が止まったかのような神秘的な空間が広がっている。

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柱に刻まれたステゴサウルスそっくりの生物

 問題の彫刻があるのは、中央祠堂東側の門「ゴプラIII」の柱部分だ。ここには円形の装飾メダリオンが縦に並んでおり、それぞれに動物が彫り込まれている。

 そのひとつに、丸い背中にローブ状の突起を持つ、ずんぐりした四足歩行の動物が描かれている。

 この彫刻が広く知られるようになったのは1990年代後半。

 研究者クロード・ジャック氏と写真家マイケル・フリーマン氏が、共著の中で「ステゴサウルスに似ている」と指摘したことがきっかけだった。やがて観光ガイドブックなどにも掲載され、観光客の関心を集めるようになった。

 さらに、地球の歴史を1万年以内とする宗教的立場の若い地球創造論者たちが「人類と恐竜が共存していた証拠」としてこのレリーフを引用し、インターネットを通じて一気に話題が広がっていった。

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これはステゴサウルスなのか?専門家の見解

 彫刻の背中に並ぶ突起が、ステゴサウルス特有の背中の板(皮骨板)に似ていることは確かだ。

 しかし、恐竜の専門家たちはこれをステゴサウルスとは認めていない。

 最大の理由は、解剖学的な不一致である。ステゴサウルスのような剣竜類の恐竜がもつ特徴的な4~10本の尾の先のスパイク状の構造が見られず、頭部は実物に比べて大きすぎ、脚のバランスも不自然だ。

 さらに、ステゴサウルスの背中の板は通常二列で、三角形であり、数ももっと多い。タ・プロームのレリーフには、そうした特徴はまったく表現されていない。

 加えて、タ・プローム遺跡の他の動物レリーフ、鳥や水牛、カメレオンらしき動物にも、同様の「背中の突起」が描かれている例が複数存在する。

 これらは、動物の特徴ではなく、背景の植物や葉を装飾的に表現したものと考える方が自然だ。

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職人が恐竜の化石を見て想像で彫った姿なのか?

 とはいえ、ステゴサウルスに似ていることは確かである。なぜこのような形になったのか?

 その解釈のひとつが、「職人が恐竜の化石を見て想像で彫ったのではないか」という説だ。

 ステゴサウルスの化石は主に北米や中国などで発見されており、カンボジアで見つかっているわけではない。

 しかし、巨大建築を支えるために大量の石を掘り出していたアンコール時代の採石現場で、何らかの大きな骨や奇岩が発見された可能性もある。

 また、遠くの土地から伝わってきた物語や情報、あるいは化石そのものが芸術家に影響を与えた可能性も考えられる。

 だが、そうした説はいずれも推測の域を出ない。

神話的存在としての解釈が有力

 学術的に最も支持されているのは、彫刻が想像上の存在、あるいは神話的・宗教的象徴であるという解釈だ。

 クメール美術は、写実よりも象徴や物語性を重視しており、実在の動物と空想的な要素が組み合わさった「マカラ」のような生物が数多く登場する。

 マカラは、ワニや魚、ゾウなどの特徴を併せ持つ海の怪物で、ヒンドゥー神話では水と秩序の神・ヴァルナ(Varuna)の乗り物とされる。こうした存在は、門の守護や宗教的象徴としてクメール美術に頻繁に描かれている。

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 実際、問題のレリーフが刻まれた柱には、他にも不可思議な存在が描かれている。

 たとえば、たいまつのようなものを片手に持ち、羽根や茂みのようなもう一方の腕を持つ、顔がサルと人間の中間のような生き物などが確認できる。

 こうした点からも、タ・プロームの動物彫刻が写実性を目的としていないことは明らかだ。

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 結局のところ、この「ステゴサウルスのような彫刻」は、古代クメールの職人たちの豊かな想像力と宗教観、美術様式が織りなす文化的産物であると見るべきだろう。

 恐竜に見えてしまうのは、私たち現代人の知識と先入観によるところが大きいのかもしれない。

 それでも、密林に包まれた石の壁に「ステゴサウルスらしき何か」が彫られているという事実は、ロマンをかき立ててくれる。

 この遺跡がずっと保護されることを願いたい、そしていつかはいってみたい。

References: Dinosaur of Ta Prohm[https://en.wikipedia.org/wiki/Dinosaur_of_Ta_Prohm] / The Stegosaurus of Ta Prohm[https://www.amusingplanet.com/2025/08/the-stegosaurus-of-ta-prohm.html]

本記事は、海外で公開された情報の中から重要なポイントを抽出し、日本の読者向けに編集したものです。

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