
「自由には責任が伴う」とは、心理学者、ジークムント・フロイトの言葉と伝えられているが、この言葉の意味を、お掃除ロボットもこの意味を痛感したことだろう。
オーストラリアのゲストハウス(民泊施設)から脱走に成功したのはよかったものの、道路に出た後、不幸にも車にひかれてしまったのだ。
その一部始終は設置されていた監視カメラとらえられていた。1台目はうまく避けられたようだが、2台目はそうはいかなかったようだ。
民泊施設のお掃除ロボットが脱走
オーストラリア北東部、クイーンズランド州にある「モンティズ・ハウス」というゲストハウス(旅行者向けの民泊施設)で、ロボット掃除機が脱走を図った結果、不運にも車にひかれてしまうという出来事があった。
この事件が起きたのは2025年8月18日、午前11時45分頃。監視カメラにはロボットが玄関から外に移動する様子が映し出されていた。
「モンティズ・ハウス」は、ヘビの捕獲活動を行っているスチュアート・マッケンジー氏と妻のメーガンさんが所有・運営しており、夫妻はこの敷地内に暮らしながら、自宅の一部を宿泊施設として開放している。
マッケンジー氏は、地元に出没するヘビの捕獲を専門とするプロフェッショナルで、「Sunshine Coast Snake Catchers 24/7[https://www.facebook.com/SunshineCoastSnakeCatchers]」という名前で、活動の様子をFacebookで発信している。
そんな彼が今回紹介したのは、いつもの“ヘビ捕獲動画”ではなく、思わぬ形で注目を集めた“家出ロボット”の映像だった。
お掃除ロボット、ついに自由を手に入れたものの…
監視カメラの映像には、黒くて丸いロボット掃除機が、玄関からスーッと外に出ていき、そのまま道路へ進んでいく様子が映っていた。
掃除機は、そのまま家の前の道路へ出るが、どちらに進もうか迷っているようだ。すると1台の車がやってきた。
最初に通った車はうまく避けることができたようだが、さらに移動したことで2台目が通ったときの位置が悪かった。
黒いボディは影のように見えにくかったこともあり、あっさりとひかれてしまったのだ。
投稿者のマッケンジー氏は、この出来事をFacebookにこう綴っている。
「我が家の勤勉なロボ掃除機が、設定された“清掃エリア”から突然外れて、家の玄関を抜けて道路に出てしまったんです。こんなこと、今まで一度もなかったんですよ」
なぜ脱走を試みたのか?
マッケンジー氏は、事故が故意ではないことを理解しつつも、ロボットの行動に戸惑いを隠せない様子だった。
「いつもドアは開けっ放しにしていますが、これまでは外に出ようとしたことなど一度もありませんでした。なぜこんなことに?」
そして、う冗談を交えながら語っている。
「働かせすぎたのか? 労働環境に不満があったのか? それとも、自我が芽生えてしまったのか?」
このお掃除ロボット「dreame (ドリーミー)[https://www.dreametech.jp/] 」ののメーカーには、この子がなぜ脱走したのか教えてもらいたいですね。12か月間、こんなことは一度もなかったのに」と投稿を締めくくっている。
もちろん、ロボット掃除機に本当の「意思」や「自由への憧れ」があるわけではない。プログラムされた通りに動き、命令された範囲で仕事をこなすだけの存在だ。
けれど、一生懸命に働き、ときには想定外の行動を起こす姿を見ると、不思議と感情移入してしまう。
過去にもお掃除ロボットが脱走する事件は何度か発生しており、その他、業務用のロボットや展示用ロボットが集団脱走する事件も発生している。
彼らに感情がないのはわかっていても、「もしかして…」と思ってしまうのが人間なのかもしれないね。
残念なことに、今回のお掃除ロボットは車にひかれて深刻な損傷を受け、助からなかったと報じられている。
追記(2025/08/25)
記事の冒頭で「自由には責任が伴う」という言葉はフロイトの言葉だと伝えられていると書きましたが、実際には彼自身が残した言葉ではないことがわかりました。
この表現は、劇作家ジョージ・バーナード・ショーが1903年の戯曲『人と超人』の中で「自由とは責任を意味する」と書いたのが、確認できる中で代表的な初期の出典のひとつだとされています。
“Liberty means responsibility. That is why most men dread it.”
(自由とは責任を意味する。だから多くの人は自由を恐れるのだ)
だはなぜフロイトの言葉として伝えられるようになったのかは、彼の「人間の無意識の衝動」と「それを抑制する社会規範や倫理」の理論が「自由と責任」というテーマと重ね合わせやすかったことが一因と考えられます。
さらに、心理学や自己啓発の文脈で引用される際、権威づけのために「フロイトの言葉」として紹介され、誤って広まっていった可能性もあるようです。