水没したエジプト古代都市から2000年以上の時を経て姿を現したスフィンクスを含む3体の像
Ministry of Tourism and Antiquities

水没したエジプト古代都市から2000年以上の時を経て姿を現し...の画像はこちら >>

 地中海沿岸に沈んだエジプトの古代都市から、2000年以上の時を経て3体の像が引き揚げられた。

 発見されたのは、古代エジプト第19王朝(紀元前13世紀)のファラオ、ラムセス2世の名を刻むスフィンクス像、紀元前1世紀のプトレマイオス朝末期に制作された男性像、そして1世紀ごろのローマ帝政期に作られた白大理石の貴族像である。

 いずれも古代エジプトの歴史と権力を象徴するもので、失われた都市「カノープス」と「ヘラクレイオン(トロニス)」の存在を、現代に強く印象づける発見となった。

25年ぶりに実施されたアブキール湾の大規模調査

 この発見は、エジプト政府が25年ぶりに実施した大規模な水中考古学調査の成果である。

 場所はエジプト北部、地中海沿岸に位置するアブキール湾で、アレクサンドリアの東に広がり、ナイル川デルタの沿岸にあたり、古代には地中海交易の要となる重要な港町が栄えていた。

 この地域は、紀元前から続いた古代都市が地震や地盤沈下、海面の上昇などの影響で徐々に水没していった。

[画像を見る]

ラムセス2世の名を刻んだ約3200年前のスフィンクス像

 今回最も注目されたのは、石英岩で作られたスフィンクス像である。 

 前足の間には、古代エジプト第19王朝のファラオ、ラムセス2世[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%82%B92%E4%B8%96](在位:紀元前1279~1213年)の名前がカルトゥーシュに刻まれていた。

 ラムセス2世は、紀元前1303年頃に生まれ、エジプト帝国の黄金期を築いた王として知られる。

 数々の神殿や記念碑を建設し、『建築王』と呼ばれる彼の治世は、古代エジプトの最盛期を象徴している。

 このスフィンクス像は、今から約3200年前に制作されたとされ、今回発見されたものの中で一番古い。

[画像を見る]

紀元前1世紀、プトレマイオス朝末期の男性像

 2体目は、花崗岩でできた男性の立像であり、プトレマイオス朝の末期、紀元前1世紀ごろに制作されたものと考えられている。

 プトレマイオス朝は、アレクサンダー大王の死後、紀元前305年に成立したギリシャ系の王朝で、クレオパトラ7世もこの王朝の最後の支配者として知られている。

 この像には、ギリシャ風の顔立ちとエジプト的な衣装という、異なる文化の要素が共存しており、当時のエジプトがギリシャとローマの影響を受けながら独自の文化を築いていたことを示している。

 約2000年前に作られたこの像は、プトレマイオス朝末期の美術と社会の融合を今に伝える。

[画像を見る]

約2000年前、ローマ帝政期の白大理石像

 3体目は、白大理石で作られたローマ貴族の肖像像である。

 制作年代は1世紀ごろと見られ、エジプトがローマ帝国の属州となっていた時代にあたる。

 彫刻の精度や保存状態の良さから、高位の人物を象った記念像であると考えられている。

 当時、エジプトはローマの行政の一部として機能しており、アレクサンドリアには多くのローマ人が居住していた。

 この像は、ローマ支配下のエジプト社会における上流階級の存在を示す貴重な資料だ。

[画像を見る]

海に沈んだ古代都市、カノープスとヘラクレイオン(トロニス)

  今回発見された像は、アブ・キール湾の海底に広がるふたつの古代都市、カノープスとヘラクレイオン(トロニス)の遺構から引き揚げられたものだ。

 いずれも、ナイル川デルタの北端、地中海とつながる沿岸部に位置し、古代エジプトの交易と信仰の中核を担う港町として栄えていた。

カノープス

 カノープスは、宗教と癒しの地として知られていた都市である。特にギリシャ時代には、医学の神アスクレピオスの信仰が広まり、多くの巡礼者がこの地を訪れたとされる。

 また、ミイラの内臓を納める容器であるカノプス壺[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%97%E3%82%B9%E5%A3%BA]の名は、この都市に由来すると考えられている。

 名の由来には諸説あり、ギリシャ神話の航海士カノポスにちなんだとする説や、先祖の霊を祀る風習に関連付ける説もある。

 都市には神殿や浴場、埋葬施設が建ち並び、宗教活動の拠点として地中海世界に影響を与えていた。

ヘラクレイオン(トロニス)

 一方、ヘラクレイオン(トロニス)は、ナイル川の河口付近に位置し、エジプト内陸部と地中海世界をつなぐ主要な玄関口として、国際交易において極めて重要な役割を果たしていた。

 都市名は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスがこの地を訪れたという伝承に由来しており、紀元前12世紀にはすでに古代ギリシャの歴史家によってその存在が記録されている。

 エジプト新王国の末期には、海上交易の要衝として繁栄を極め、アメン神を祀る壮大な神殿も築かれていた。

 宗教と経済が結びついたこの都市は、多文化が交錯する場でもあり、エジプトと地中海世界の接点としての性格を色濃く備えていた。

紀元7世紀から8世紀ごろに水没

 これらの都市は、長い年月の中で地震や地盤沈下、海面上昇などの自然現象によって徐々に沈み、紀元7世紀から8世紀ごろには完全に海中に没したとされている。

 水没後はその存在すら忘れられ、後世には伝説の都市として語られるのみとなった。

 その眠りが破られたのは1999年。

フランス人考古学者フランク・ゴディオ氏率いる調査チームによってアブ・キール湾の海底から都市遺構が発見され、長年神話とされてきた都市の実在が証明された。

[画像を見る]

海底に眠っていた古代の生活空間

 アブキール湾の海底には、神殿や住宅、水槽、作業場、魚の養殖池、商業用桟橋など、かつての都市構造が広く残されている。

また、古代の商船の沈没船も確認されており、エジプトと地中海世界を結ぶ海上交易がいかに活発だったかが明らかになっている。

 これまでの発掘調査では、アンフォラ(保存容器)、石のいかり、ウシャブティ像(副葬品)、古代貨幣など、さまざまな文明の痕跡が見つかっている。

ファラオ時代からプトレマイオス朝、ローマ、ビザンチン、イスラム時代まで、数千年にわたり人が暮らしていたことが確認されている。

[画像を見る]

 今回の発見は、エジプト政府が四半世紀ぶりに行った大規模な水中考古学調査の第一歩として、国内外から大きな注目を集めている。

 調査を指揮したモハメド・ムスタファ博士によれば、さらに多くの遺構や沈没船の存在が確認されており、今後も重要な発見が続く可能性があるという。 

References: Ministry of Tourism and Antiquities[https://www.facebook.com/tourismandantiq/posts/pfbid032LcU9BfjPJVsz4QdhN2madBTRcwKFYmUdsn6H11zYSXnykKn8okQUz15vdK6Awgel] / Three Colossal Statues Rise from Egypt's Sunken City After 2,000 Years[https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/statues-abu-qir-bay-egypt-0022384]

本記事は、海外で報じられた情報を基に、日本の読者に理解しやすい形で編集・解説しています。

編集部おすすめ