
メキシコ・チアパス州のジャングルの奥地で、長らく所在が不明とされていたマヤ最後の都市「サク・バーラン」が、1698年の手紙を手がかりに再発見された。
スペイン植民地時代の混乱を逃れて築かれたこの都市は、18世紀初頭に放棄され、それ以来ずっと失われたままだった。
だが今回、修道士が手紙に書いた記録と地理的な推測をもとに、考古学者たちがその遺跡を突き止めた。
発見までの道のりは困難を極めたが、最新の地理情報システム(GIS)解析と現地調査によりかつての「白いジャガーの地」の痕跡を確認した。
この調査結果は、メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)[https://www.inah.gob.mx/boletines/localizan-la-que-podria-ser-la-ultima-ciudad-de-los-lacandones-rebeldes-de-chiapas-sak-bahlan]が2025年7月24日付の報告書で発表した。
「マヤ文明最後の都市」サク・バーラン
1586年、スペイン軍により拠点であった「ラカム・トゥン(偉大な岩)」を追われたラカンドン・チョルと呼ばれるマヤ人たちは、ジャングルの奥深くへと移り住み、「サク・バーラン(「白いジャガーの地」)」という名の街を築いたとされる。
彼らはこの場所で約110年間、スペイン人の干渉を受けずに静かに暮らしてきたが、1695年になって修道士ペドロ・デ・ラ・コンセプシオンに見つかってしまう。
その後まもなくスペイン人の攻撃を受け、占領されたサク・バーランは「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・ドロレス(悲しみの聖母)」というスペイン語の名前に改名させられた。
だが1721年になるとこの街はスペイン人からも放棄されてしまい、ジャングルに埋もれたまま忘れられてしまったのだ。
17世紀の手紙が手掛かりに地理情報システムで場所を特定
だがサク・バーランの存在は、その後も現地の住民たちの間で語り継がれていただけでなく、文書や書簡などにも記録が残っていた。
都市発見のきっかけとなったのは、1698年に修道士ディエゴ・デ・リバス(Diego de Rivas)が残した手紙だった。
この研究は、アメリカのサウスカロライナ州ウィンスロップ大学のブレント・ウッドフィル博士と、日本の立正大学の白鳥祐子博士が共同で指揮したプロジェクトだ。
だが報告書では、メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)の研究者、ロサダ・トレド博士の指導なしでは、この発見は実現しなかっただろうとしている。
トレド博士はArcGIS Pro[https://www.esrij.com/products/arcgis-pro/]という地理情報システム(GIS)を活用した予測モデルを開発した。
私は1698年に修道士ディエゴ・デ・リバスが残した手紙からデータを取得しました。
その年、彼と兵士の一団は、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・ドローレス(以前のサク・バーラン)を出発し、4日間歩いてラカントゥン川に到達したとされています。
そこから2日間カヌーを漕いで、パシオン川と合流する「エル・エンクエントロ・デ・クリスト(キリストの出会い)」という地点に至り、そこでカヌーを降り、さらに歩いてグアテマラのペテン・イツァ湖へと向かったのです。
これらの地名を特定して座標化した上で、ラカントゥン川のある地点からサク・バーランまで「徒歩4日」という記録を換算し、位置を割り出しました
彼は標高や植生の層といった地形情報、水系の分布、1人あたりが運んだ積み荷の重量といった変数を考慮して、サク・バーランがあると思われるおおよその範囲を予測した。
すべての変数を組み合わせることで、地図上に予測モデルを作成し、サク・バーランが存在し得るおおよその範囲を導き出せたのです
この手法は19世紀の探検家たちが経験したものに近いが、今回は衛星からの情報やインターネットが使えたという点に大きな違いがある。
トレド博士の分析の結果、予測された地点は「チアパス州モンテス・アスーレス生物圏保護区、ハタテ川とイシュカン川の近く」というものだった。
この予測結果をもとに、研究チームは直接現地に赴いて調査を実施。その結果、見事にサク・バーランと思われる遺跡の発見に成功したのだ。
「生活の跡」を垣間見せる遺物・遺構を発見
これまでの人生で一番過酷な現地調査でしたが、最終的には私が地図上で予測したまさにその場所で、考古学的な証拠を発見できました
現場からは人工的に積まれた石組みの跡や、焼け落ちた約100戸の密集した木造建築、炭化した層などが発見された。
この状況は、スペイン人の襲撃を受けた際、住人自身が街に火をつけたという記録と合致するという。
さらにスペイン人によって建てられた礼拝堂の痕跡と見られる遺構や、黒曜石の刃物、香炉の破片、土器やオカリナ、糸を紡ぐ道具などが見つかった。
発見された街の正確な場所は保全のために発表されていないが、これまでに研究チームは2シーズンの現地調査を実施し、遺跡全体の地図を作成するとともに、試掘を行って居住年代を確認する作業を進めているそうだ。
References: Modelos predictivos en SIG para la localización de sitios perdidos en la Selva Lacandona: el caso de Sak Bahlán y Nohhaa[https://revistas.uaz.edu.mx/index.php/chicomoztoc/article/view/3507/2898] / Localizan la que podría ser la última ciudad de los lacandones rebeldes de Chiapas, Sak-Bahlán[https://www.inah.gob.mx/boletines/localizan-la-que-podria-ser-la-ultima-ciudad-de-los-lacandones-rebeldes-de-chiapas-sak-bahlan]
本記事は、海外の記事を参考に、日本の読者向けに重要な情報を翻訳・再構成しています。