遺伝子の突然変異が馬を乗れる動物にし、人類の歴史を変えた
Photo by:iStock

遺伝子の突然変異が馬を乗れる動物にし、人類の歴史を変えたの画像はこちら >>

 馬は人々の移動手段を変えただけではない。文明そのものの流れを作り変えた存在だ。

広大な草原を移動し、遠い土地と土地を結び、やがて戦場や農耕にも欠かせない存在となった。

 だがそもそも、野生の草原を駆けていた馬が、どのようにして人が鞍をかけて乗れる存在に変わったのかは長い間謎とされてきた。

 最近発表された古代DNAの大規模研究によりその答えが明らかとなる。

 遺伝子「GSDMC」に起きた変異が、臆病だった馬を人が鞍を乗せて乗れる動物へと変えた要因となったのである。

 この変異が広まった瞬間から、人類の歴史は一気に加速したのだ。

 この研究は『Science[https://www.science.org/doi/10.1126/science.adp4581]』誌(2025年8月28日付)に掲載された

5000年前に現れた家畜化に伴う最初の馬の変化

 フランスのトゥールーズ人類・ゲノム学研究センターのリウ・シュエシュエ氏(Xuexue Liu)とリュドヴィク・オルランド氏(Ludovic Orlando)は、数千年にわたる馬のゲノムを解析し、行動、体格、毛色に関わる266種類の遺伝子の変化を追跡した。

 その結果、家畜化の初期段階では派手な毛並みや体の大きさよりも、気性の穏やかさが重視されていたことが分かった。

 その証拠のひとつが「ZFPM1」という遺伝子である。ZFPM1は、マウスでは気質や不安、ストレス耐性に関わるとされる遺伝子で、馬でも同様の影響を与えたと考えられている。

 約5500年前、この変化が現れたことで、馬はわずかに落ち着きを増し、人間が手元に置けるようになったとみられる。

 ただし、この時点で馬はまだ人を背に乗せられる存在ではなかった。

 ZFPM1の変化はあくまで家畜化の“第一歩”に過ぎず、真の転換点はその数百年後に訪れることになる。

[画像を見る]

GSDMC遺伝子の変異で「乗れる馬」が誕生

 そしてついに、馬の歴史を変える真の転換点が訪れた。約4200年前、「GSDMC」という遺伝子に特定の変異を持つ馬が現れたのである。

 この変異は馬の脊椎を変形させ、四肢を強くし、体の動きをより調和させた。結果として、馬は初めて人を背に乗せることができる動物へと変わった。

 驚くべきことに、この変異は短期間で広がっていった。

 集団全体のわずか1%にすぎなかったものが、数百年のうちにほぼ100%にまで達したのである。

 研究論文に付随する解説を執筆したルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン校の進化ゲノミクス研究者、ローラン・フランツ氏(Laurent Frantz)は、この選択を「進化の歴史においてほぼ前例のないもの」と評している。

 比較対象として、成人が牛乳を消化できるようにするヒトの遺伝子変異「乳糖分解遺伝子」は、選択の強さがわずか2~6%と、ゆっくりと広がっている。

 それに対し、GSDMCの変異は圧倒的な速度で広まり、馬の未来を決定づけたのである。

[画像を見る]

3500年前に広がった騎乗文化

 約3500年前、ユーラシア草原(現在のカスピ海北方)で「乗れる馬」が人類の暮らしを大きく変え始めた。

 当時の人々は、もはや食料としてではなく、戦争や長距離移動のために馬を求めていた。そこに、GSDMCの変異を持つ馬が登場したのである。

 人間の欲求と自然の偶然が重なったことで、馬は新たな役割を担うことになった。

 この新しい馬は瞬く間に広がった。ロバを除くほとんどの家畜化されたウマ科動物を駆逐し、数世紀のうちにユーラシア全域に普及したのである。

 考古学の証拠によれば、この革命を推し進めたのは戦車ではなく「騎乗」だった。ボルガ川流域から中国の辺境にかけて、騎馬の姿が確認されている。

 馬に騎乗できるようになったことで、人類の行動範囲はこれまでにない広がりを見せた。

 戦士は広大な草原を駆け抜け、遊牧民は遠くまで移動し、離れた土地同士が結びついていった。人類史はこの時からまさに「馬の背に乗って」進み始めたのである。

[画像を見る]

人間の歴史を変えた、馬のGSDMC遺伝子変異

 騎乗文化が広がった後、鉄器時代に入ると馬の改良はさらに進み、人々はより大型で頑丈な馬を求め、騎兵に適した体格を持つ個体を育てるようになった。

 これにより軍事力は大きく向上し、騎馬隊は戦場の主役となっていった。

 また、毛色の選択も時代によって変化した。栗毛や白斑、銀色の毛並みなど、見た目の特徴が重視されるようになったが、これはあくまで装飾的な意味合いにすぎない。

 やはり根本的な変化は、4200年前に起きたGSDMC遺伝子の変異が関わっているという。

 この変化がなければ、馬は人を背に乗せることはできなかったし、人類史もまったく異なる姿をしていたかもしれない。

 ローラン・フランツ氏は「歴史の大きな流れは、ときに小さな生物学的変化によって決まる」と述べている。

 やがて馬と人の関係は、帝国の拡大、戦争の戦術、農業や移住の形を大きく変えていった。

 騎馬弓兵は戦場の様式を一変させ、犂を引かせた農耕によって食糧生産は向上した。自動車が登場するまで、馬こそが人類にとって最速の移動手段であり続けたのである。

追記(2025/09/03)

 馬が人を乗せられるようになったたった1つの要因と記載しましたが、他にも馬の進化には要因があるとのご意見をいただいたため、修正して再送します。

References: Science[https://www.science.org/doi/10.1126/science.adp4581] / A Single Mutation Made Horses Rideable and Changed Human History[https://www.zmescience.com/science/news-science/a-single-mutation-made-horses-rideable-and-changed-human-history/]

本記事は、海外で公開された情報の中から重要なポイントを抽出し、日本の読者向けに編集したものです。

編集部おすすめ