
猫の国といえばトルコが有名だが、実はモロッコも猫にやさしい国として知られている。地域の人々に支えられて暮らす“地域猫”たちが数多く存在し、人と猫の間には信頼関係が築かれている。
そんなモロッコ最大の都市カサブランカで、ある日体調を崩した一匹の猫が、助けを求めて動物病院の玄関ドアの前に訪れた。
獣医は迷わずこの猫を受け入れ、ウイルス性感染症の治療を行い、元気に回復させた。
しかし猫は、元気になっても病院を離れなかった。それどころか、治療に来た動物たちのそばに寄り添い、毛づくろいをして安心させるなど、まるで“看護師”のようにふるまいはじめたのだ。
動物の患者にとって欠かせない存在となったこの猫を、病院は正式に迎え入れることを決めた。もしかしたら、命を救ってもらったことへの、猫なりの恩返しだったのかもしれない。
動物病院に助けを求めてやってきた猫
カサブランカで獣医師のメリアム・イムラニさんが経営する、動物病院「Cabinet Vétérinaire Imrani(キャビネ・ヴェテリネール・イムラニ)」の玄関前に、1匹のオス猫がやってきた。体は震えており、見るからに苦しそうだったと言う。
その様子を見たイムラニさんは猫を病院に入れすぐに診察を開始した。
猫はウイルス性感染症にかかっており、呼吸も浅く、体力も限界だったという。数日間の治療と投薬を続けたところ元気をとり戻り、無事回復したという。
猫は「リコ(Rico)」と名付けられた。獣医は回復したら、立ち去るとばかり思っていたが、リコは病院に居続け、離れようとしなかった。
自ら患者たちのお世話をし、看護師的な存在に
そのまま病院に居続けたリコは、自らの意思で、病院を訪れる他の動物たちのお世話をするようになった。
来院した患者が不安そうにしていると、彼らの恐怖を和らげるために毛づくろいをしてあげた。
また、入院患者には夜通し付き添ったり、その近くで眠ったりと、看護師のようにふるまうようになった。
それは猫だけでなく犬に対しても同様だ。
「リコはとても社交的で、動物たちの感情を察する力があるんです。彼がそばにいるだけで、動物たちの緊張が解けていくのがわかります」 イムラニさんはそう話す。
あるとき、重度の貧血で命の危機に瀕していた猫が運ばれてきた。その時、なんとリコは自らの血を使せてくれたのだ。彼が献血してくれたおかげで、その猫は助かったのだ。
危険な状態にある子猫に寄り添い命を救う
他にも印象深い出来事がある。ある日、低体温でぐったりした茶トラ子猫が、絶望した飼い主に連れられてやってきた。
あまりに状態が悪く、「安楽死させたほうがいいのかもしれない」と飼い主は口にした。
しかしイムラニさんは「まず24時間だけチャンスをあげましょう」と提案し、診察を始めた。そのとき、リコが自ら進んで子猫のそばにやってきた。
ちょうど受付に他の患者はおらず、日差しがたっぷり入っていたため、リコと子猫を待合室の椅子に座らせ、処置を行った。
「リコは静かに隣に座って、子猫のことをじっと見守っていました。ときどき舐めてあげたりして、優しく寄り添っていたんです。子猫は落ち着いたような表情をしていました」
その子猫は奇跡的に回復し、今も元気に暮らしている。
イムラニさんは、「あのとき命をつないだのは、私の治療だけじゃない。リコの存在が大きかった」と振り返っている。
病院の正式な看護師として迎え入れられる
リコは今、病院で“フルタイム勤務”をしている。イムラニさんは自宅に連れて帰ることも考えたが、車での移動がストレスになること、そして病院には仲間の猫たちがいて、常に誰かと一緒にいられる環境があることから、病院で暮らすことが自然な選択となった。
「ここにいるときが、一番幸せそうなんです。患者のそばにいて、スタッフや来院者にも愛想がよくて、病院の空気を和らげてくれる存在です」
イムラニ獣医師は、今も毎日リコに「ありがとう」と声をかけている。
「猫の診察をしているとき、リコがそばにいてくれるだけで安心感があります。“ありがとう”って言葉をかけるだけじゃなくて、ときどき“私たちが初めて出会った日、覚えてる?”なんて話しかけたりもするんです」
「そして毎回伝えるんです。あなたは本当に特別な存在だよって」
リコと病院での日常は、病院のInstagramアカウント「cabinet_veterinaire_imrani[https://www.instagram.com/cabinet_veterinaire_imrani/#]」で他にも見ることができる。
患者そばで静かに寄り添っていたり、日向ぼっこをしていたり、ときにはスタッフと遊んでいたりするリコの姿は、見ている人間たちにすら癒しを与えてくれる。
「リコは、癒し、笑い、安心感の全部を持っているんです。本当に不思議なほど完璧でやさしい猫なんですよ」
モロッコで猫が大切にされる理由
猫の国といえばトルコが有名だが、実はモロッコも猫にやさしい国として知られている。
トルコでは、行政が給餌所を設けたり、TNR(捕獲・不妊手術・元の場所に戻す)活動を支援するなど、制度として猫との共生が整っている。
一方、モロッコでは行政による支援は限定的だが、その分、人々の善意と宗教観に基づく日常的なケアによって、猫たちは守られている。
モロッコは国民の大多数がイスラム教徒で、猫は「神聖な動物」として尊ばれている。イスラム教の教えでは、猫はけがれのない存在とされ、礼拝の場にいても問題がないとされるほどだ。
さらに、預言者ムハンマドが猫を非常に大切にしていたという逸話も広く知られており、猫にやさしく接することは信仰の表れとされている。
こうした文化的・宗教的背景から、モロッコの都市部では多くの“地域猫”が人々と共に暮らしている。特定の飼い主はいなくても、誰かが餌を与え、誰かが体調を気づかい、猫たちは街全体に見守られているのだ。
リコのように、病気になったときに人間を頼り、助けてもらい、そして今度は人間や他の猫たちを支える存在となる猫がいるのは、人と猫のあいだに思いやりと助け合いの関係が築かれているからなのかもしれない。