
第一次世界大戦末期、イギリス東岸沖で、当時、ドイツ帝国海軍の最先端を誇る、UB III型潜水艦「UB-110」がイギリス海軍の爆雷攻撃を受け、1918年7月19日に沈没した。
同年10月4日、「UB-110」はイギリスに引き揚げられ、タイン川沿いのスワン・ハンター造船所に曳航された。
この調査の過程で撮影されたのが、潜望鏡井戸、圧力計、魚雷発射管、錆びついた鋼鉄の壁や操作バルブなど、艦の内部を記録した数々の写真である。
100年以上前の戦争で実際に使用された潜水艦の内部構造を伝える、貴重な資料となっている。
当時最先端の性能を備えたUB-110のスペック
UB-110は、第一次世界大戦中にドイツ帝国海軍が運用していたUB III型潜水艦の1隻である。
UB III型は、敵国の補給路を断つための通商破壊作戦を遂行するために設計された艦で、長距離航行が可能で、魚雷と甲板砲の両方を装備する高性能な攻撃型潜水艦だった。
この型は1916年から1918年にかけて約96隻が建造され、全長は約55 m。排水量は浮上時で約510 t、潜航時には約640 tに達した。
UB-110はその1隻として、ハンブルクのブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)造船所で建造され、1917年9月1日に進水した。
その後、機器や装備の取り付け、性能試験、乗組員の訓練などを経て、1918年3月23日にドイツ帝国海軍に正式編入され、就役した。
この艦は、魚雷10本と8.8 cmの甲板砲を装備しており、最大で士官3名、兵員31名を乗せることができた。
巡航距離は約7,420海里(13,740 km)に及び、水上航行時の最高速度は13.3ノット(24.6 km/h)、潜水時は7.4ノット(13.7 km/h)だった。
操縦室には、潜望鏡井戸に通じるマンホール、圧力調整用のハンドホイール、注排水バルブ、空気圧計などが配置されていた。
多くの操作部は色分けや番号で識別されており、乗組員たちは訓練によって即座に判断し操作できるようになっていた。
イギリス海軍の攻撃で沈没
1918年7月19日、UB-110は任務中に、イギリス北東部のティーズ近海(北緯54度39分、西経0度55分)でイギリス海軍の駆逐艦、HMSギャリー(HMS Garry)に発見された。
指揮を執っていたのは、1912年に沈没したタイタニック号から救助された元乗組員、チャールズ・ライトラー中佐だった。
HMSギャリーは爆雷を投下し、さらに体当たりを仕掛けた。UB-110は沈没し、乗組員23名が死亡した。
引き揚げと調査、解体
UB-110は1918年10月4日にイギリス軍によって引き揚げられ、タイン川沿いのスワン・ハンター造船所に曳航(えいこう:船をロープで引っ張って運ぶこと)された。
当初は再整備のうえで自国の潜水艦として再利用する計画もあったが、同年11月に休戦協定が発効したことにより計画は中止された。その後、艦は調査ののち解体された。
引き揚げ後の調査過程で、UB-110の艦内は多数の写真によって記録された。
これらの写真は、実戦で使用されたドイツの潜水艦が沈没後に引き揚げられた貴重な例として、当時の艦内構造を伝える資料となっている。
磁気信管の発見
UB-110に搭載されていた魚雷の一部には、磁気信管(が使用されていた。これは、目標となる船の磁場を感知して自動的に爆発する仕組みを持つ装置である。
イギリス側にとって、これが実際に鹵獲(ろかく:敵から手に入れた)した魚雷から確認された初めての磁気信管であり、注目された。
ただし当時の信管は不安定で、予定より早く爆発したり、不発となることも多かったと報告されている。
追記(2025/09/10)Uボートのくだりを削除して再送します。
References: Rare Photographs Show the Interior of the 1918 German Submarine SM UB-110[https://rarehistoricalphotos.com/u-boat-control-room-1918/]
本記事は、海外の記事を参考に、日本の読者向けに重要な情報を翻訳・再構成しています。