
アメリカ、スタンフォード大学の研究チームは、北極の氷の中で眠っていると思われていた藻類の一種が、マイナス15度という極寒の極限環境でも自力で活発に動いていることを発見した。
研究では、氷の中を滑るように移動する様子が確認された。
この研究は『Proceedings of the National Academy of Sciences[https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2423725122]』誌(2023年9月9日付)に発表された。
マイナス15度でも活発に動く北極の珪藻
単細胞性の藻類グループ「珪藻(けいそう)[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%AA%E8%97%BB]」は、細胞が珪酸(ガラスの主成分)からできた被殻(ひかく)に覆われており、海水や淡水に広く分布し、北極圏では氷の内部に取り込まれている。
これまで研究者の間では、物理的に動けない上に、極端な低温環境のために、活動を停止した休眠状態にあると考えられてきた。
この仮説は果たして正しいのか?
そこで2023年夏、スタンフォード大学の准教授、マヌ・プラカシュ氏率いる研究チームは、国立科学財団所有の調査船「シクリアク(Sikuliaq)」に乗り込み、45日間にわたって北極の12地点から氷のコアサンプルを採取した。
船上には、研究チームが独自に開発してきた特殊な顕微鏡が搭載されていた。
その結果、氷の中に閉じ込められていた珪藻が、まるで氷の表面をスケートするかのように滑らかに、自力で移動している様子がリアルタイムで確認された。
しかもその動きは、マイナス15度という極寒の中でも続いていたという。
これは真核細胞(動物や植物、菌類などを含む複雑な細胞構造を持つ生物)の中で、運動が確認された最も低い温度である。
研究を主導したプラカシュ氏は、「これは1980年代のSF映画に出てくるような冷凍生物の話ではない。珪藻は想像以上に活発だった」と語っている。
分泌した粘液をロープ代わりに進む、筋肉のような仕組み
珪藻の動きには、くねったり、足のような器官を使ったりといった動作は一切見られなかった。それでも彼らは、まるで氷の中をすべるように、滑らかに移動していた。
その秘密は、珪藻が分泌する粘液にあった。
この仕組みには「アクチン」と「ミオシン」というたんぱく質が関わっており、これは人間の筋肉が動くときに使われるのと同じ分子機構である。
研究チームは、氷の内部を再現した環境を実験室に作り出し、観察を続けた。淡水と塩水の層を重ね、毛髪ほどの細さのチャネル(通路)を氷の中に作ることで、実際の北極と近い条件を再現した。
その中で、珪藻が滑るように進んでいく様子は、まるで生命が氷の迷路を静かにすり抜けていくかのようだった。
さらに、粘液の動きや進行方向を詳しく追跡するため、ゲル状の基材に蛍光ビーズを埋め込むという実験も行われた。
これにより、粘液がどのように分泌され、どの方向に進んでいるのかを、まるで足跡のように視覚的に確認することができた。
研究チームの一員であるチン・ジャン氏は、「北極の氷の中でも生き物が自分の力で動けるとは思っていませんでした。しかもこの動きは想像よりずっと洗練されていました」と語っている。
藻類が北極の生態系や環境に与える影響
プラカシュ氏は、北極の氷の上が真っ白である一方で、その下は「濃い緑色の世界」だと語る。その理由は、氷の下に大量の藻類が存在しているからだ。
中でも珪藻は光合成によって栄養を生み出し、多くの海洋生物のエネルギー源となっている。
今回の研究で、珪藻が極低温下でも自力で移動できることが確認されたことで、氷の中で果たしている役割が再評価されつつある。
その活動は、栄養や有機物を氷の中で局所的に運搬する仕組みの一部となっている可能性がある。また、分泌される粘液が氷の結晶の核となり、氷の形成そのものに関与している可能性も示唆されている。
プラカシュ氏は、この研究が極地生態系の理解に向けた重要な第一歩だとしながらも、研究の継続が危機に瀕している現状にも言及している。
気候変動の進行により、「今後25~30年のうちに北極の氷が完全に消失する可能性がある」という科学的な予測も出ているからだ。
「もし氷が消えてしまえば、その中で起きている生命活動の証拠も失われ、極地の生態系についての理解も深まらないまま終わってしまう」と、プラカシュ氏は警鐘を鳴らしている。
References: PNAS[https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2423725122] / Stanford.edu[https://news.stanford.edu/stories/2025/09/extreme-life-arctic-ice-diatoms-ecological-discovery]
本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。