第二次世界大戦時の230kgもの不発弾が発見され6,000人が避難(香港)
image credit: <a href="https://www.facebook.com/SaluteToHKPolice/posts/pfbid02ECewZ6GGomnavy7suzqVNDicmuYrgC46kJNrqf59fFjeXBip9Yzd9cScsvgi6kibl" data-type="link" data-id="https://www.facebook.com/SaluteToHKPolice/posts/pfbid02ECewZ6GGomnavy7suzqVNDicmuYrgC46kJNrqf59fFjeXBip9Yzd9cScsvgi6kibl" target="_blank">Facebook @向香港警察致敬</a>

第二次世界大戦時の230kgもの不発弾が発見され6,000人...の画像はこちら >>

 2025年9月、香港の街は緊張に包まれた。工事現場から、第二次世界大戦中の不発弾が発見されたのだ。

 警察は爆弾を処理するにあたり、近隣の住民約6,000人を避難させる事態に。幸いにして爆弾は爆発することなく、無事に当局によって解体された。

 この爆弾は戦時中にアメリカ軍の空爆によって投下されたものと判明。戦後80年が過ぎても、いまだに消えない負の遺産の影響が浮き彫りとなった。

工事現場で見つかった不発弾の処理に成功

 この爆弾が見つかったのは、香港島北部のクォーリーベイ(鰂魚涌)浜海街16至22号で行われていたビルの工事現場だ。

 2025年9月19日、工事中の地面から、第二次世界大戦中のものと思われる不発弾が発見された。

 爆弾の全長は約1.5m、重さは約450kgで、内部にはおよそ230kg近いTNT火薬が残存していると推定された。

[画像を見る]

 香港警察の爆発物処理班は、周辺の18棟に住む約1,900世帯、計約6,000人の住民を地域のコミュニティホールに避難させ、20日の午前2時から不発弾の処理にとりかかった。

 作業はまず外殻を4時間かけて切開し、内部の爆薬に点火・燃焼させるという手順で進められ、約9時間後の20日の午前11時48分、無事に完了した。

[画像を見る]

台風の影響で作業が遅延

 完了までに9時間という、想定外に長い時間がかかった理由は、当時香港に近づいていた台風の影響だという。

 当局は夜半から続いた豪雨により、処理に必要な機材の設置や、遮蔽物の準備に時間がかかってしまい、作業全体が遅延した。

 香港警察の爆発物処理課(EOD)爆発物処理主任の張立得氏は、作業の完了までに時間がかかった点について、次のように説明する。

処理の過程で、偶発的に爆発する危険がありました。内部に230kgもの強力な爆薬が詰められていたため、一歩誤れば周辺の建物に重大な被害を与え、住民の安全にも深刻な脅威となる可能性があります。



それを防ぐため、土嚢や水嚢の設置といった事前の防護作業に、十分な時間を費やす必要があったのです

[画像を見る]

 また、爆薬の燃焼過程における爆発のリスクを減らすためにも、外殻の切断を精密に行わなければならなかった点も、時間がかかった原因とのこと。

 作業中、現地では道路や地下鉄出入口の一時封鎖、トラム(路面電車)の運休など市民生活に大きな影響が出た.

 負傷者は報告されていないが、忘れ物を取りに帰ろうとした1人の女性が警察に阻止され、興奮状態となって病院に運ばれたという。

[動画を見る]

大戦中に日本軍の造船所を狙ったものと判明

 その後の調査で、この爆弾は1945年4月2日、アメリカの陸軍航空隊が太古造船所への空爆で投下した、M-65爆弾の可能性が高いことがわかった。

 研究者らが当時の米軍の記録写真を現在の地図に重ねて確認したところ、爆弾が落ちた範囲が現在の浜海街一帯と一致したのだ。

 戦時中、香港には日本軍の拠点があり、連合軍側はその補給線とインフラを立つために香港への爆撃を何度も実施した。

 この時期に投下された爆弾の多くは不発弾となり、今も香港の地中に埋もれたままになっていて、ときおり工事現場などで地表に現れる。

 2014年に香港島で大型の不発弾が見つかったほか、2018年には3か所で相次いで不発弾が発見され、1,000人以上の住民が避難する騒ぎが起こっている。

[画像を見る]

80年経った今も「生きている」不発弾

 日本でも不発弾は毎年のようにどこかで見つかっており、特に沖縄には約1,900tもの不発弾が、いまだ未処理のまま埋まっていると推計されている。

 自治体と自衛隊などが協力して処理にあたっているが、2023年だけでも全国で1,852件、約34.9tもの不発弾が処理されたんだそうだ。

 2024年10月には、宮崎空港の地中にあった不発弾が爆発するという事件が起こっており、80年前の爆弾が今もまだ生きていることを思い知らせてくれた。

[動画を見る]

 今回、香港で見つかった不発弾は無事に処理されたが、戦争の負の遺産は今もなお我々の足元で息をひそめている。

 建設工事・開発工事の現場では、いつ不発弾に出くわすかわからない。それらしきものを見つけたら、決して触らずにすぐに110番してほしいとのことだ。

[画像を見る]

[画像を見る]

References: 鰂魚涌戰時炸彈|歷史學者尋炸彈來歷 1945年4月2日美轟炸機投彈[https://www.hk01.com/%E7%AA%81%E7%99%BC/60278362/%E9%B0%82%E9%AD%9A%E6%B6%8C%E6%88%B0%E6%99%82%E7%82%B8%E5%BD%88-%E6%AD%B7%E5%8F%B2%E5%AD%B8%E8%80%85%E5%B0%8B%E7%82%B8%E5%BD%88%E4%BE%86%E6%AD%B7-1945%E5%B9%B44%E6%9C%882%E6%97%A5%E7%BE%8E%E8%BD%9F%E7%82%B8%E6%A9%9F%E6%8A%95%E5%BD%88]

編集部おすすめ