
氷に覆われた土星の衛星「エンケラドゥス」の地下には液体の海が広がっていることは、すでに知られていた。
そして今回、新たなデータ解析により、その海から生命の材料となり得る複雑な有機分子が放出されていることが明らかになった。
地球からはるか13億km離れた氷の世界で、生命に欠かせない化学反応が今も進行している可能性があるというのだ。
この発見は、2008年にカッシーニ探査機が採取していた「新鮮な氷粒子」の再分析によって得られた。
すでに生命を作る基本成分、アミノ酸のもとになる分子が見つかっていたが、それに加えてより複雑で、地球上の生命にも関わる分子群が含まれていたのだ。
この研究成果は『Nature Astronomy[https://www.nature.com/articles/s41550-025-02655-y]』誌(2025年10月1日付)に発表された。
氷の亀裂から噴き出す液体の水のサンプルを分析
エンケラドゥスは、直径500kmほどの小さな氷の衛星だ。その南極付近には巨大な亀裂があり、そこから間欠泉のようなプルームが宇宙空間へ噴き出している。
プルームとは、地表から噴き上がる蒸気と氷の粒の噴流のことを指す。
この現象は2005年、NASA、ESA、イタリア宇宙機関(ASI)が協力した土星探査機カッシーニによって初めて観測された。
エンケラドゥスの南極にある亀裂の下には、厚い氷の地殻に覆われた液体の海があると考えられている。そこから水が間欠泉のように噴き出し、水蒸気や氷の粒子が宇宙空間へと放たれている。
こうして放出された物質は、やがて土星の周囲に広がり、「Eリング」と呼ばれる非常に薄くて広がりのある環を形成している。
Eリングは、土星の環の中でも最も外側に位置し、エンケラドゥスの噴出物によって保たれていることから、「間欠泉環」とも呼ばれている。
ただし、Eリングの粒子の多くは、放出されてから長い時間が経過しており、その間に太陽からの放射や宇宙線の影響を受けて、分子の構造が変化している可能性がある。
そのため研究者たちは、成分が変質していない、放出されたばかりの新鮮な粒子に注目して調査を進めることにした。
放出直後の氷粒子から有機分子の痕跡を検出
2008年、カッシーニ探査機はエンケラドゥスの南極にある噴出口付近を通過し、噴き出したばかりの氷粒子を採取することに成功した。
これらの粒子は、宇宙空間に放出されてからわずか数分しか経っていない、まさに“新鮮なサンプル”だった。
氷粒子は秒速18kmという高速でカッシーニに衝突し、その際に探査機に搭載された分析装置「コズミック・ダスト・アナライザー(CDA)」が分子データを取得した。この速度は、通常の検出よりも有機分子の観測に適していた。
氷粒子が低速で探査機に当たると、水の分子がクラスター(集団)を形成し、他の有機分子の信号を覆い隠してしまう。
しかし、粒子が高速で衝突した場合、水分子が分散しやすくなり、それまで埋もれていた有機分子の痕跡をより明確に捉えることができるのだ。
このサンプルは放出から間もないため、宇宙空間での変質をほとんど受けておらず、エンケラドゥスの地下海の状態をそのまま反映していると考えられる。
つまり、粒子に含まれていた有機分子は、エンケラドゥスの地下海の中で生成されたものである可能性が高い。
このデータの解読には長い時間がかかったが、2025年の最新の分析によって、粒子の中に含まれていた有機分子の正体が次々と明らかになってきた。
生命の痕跡を示す複雑な有機分子を多数確認
分析の結果、氷粒子の中からは、炭素、窒素、酸素などの元素を含む複雑な有機分子が多数検出された。
その中には、アミノ酸ができる前段階の分子や脂肪族化合物、環状のエステル類、エーテル、エチル基を持つ化合物など、地球上では細胞やタンパク質の材料にも関係するような、さまざまな炭素化合物が含まれていた。
これらの有機分子は、生命の構成要素となり得るものであり、エンケラドゥスの地下海には生命の痕跡といえる物質が存在している可能性を示している。
こうした物質は、これまでもエンケラドゥスの周囲に広がるEリングやプルームの中で観測されていたが、それらが地下海に由来しているかどうかははっきりしていなかった。
今回の調査で初めて、これらの分子がエンケラドゥスの内部、つまり地下海で生成されたものであることが明確になった。
放出された直後の粒子にも、長期間宇宙空間にあった粒子と同じ有機分子が含まれていたことが、その直接的な証拠となる。
欧州宇宙機関のヨルン・ヘルバート博士は、「これまでにもEリングやプルーム中に生命の痕跡となる有機分子が見つかっていたが、今回はそれらがエンケラドゥスの海に直接由来することが明確になった初めての証拠だ」と述べている。
次なる探査へ ESAが新たなミッションを計画中
今回の発見は、エンケラドゥスが地球外生命の探査対象として非常に有望であることを、あらためて裏付けるものとなった。
液体の水があり、エネルギー源があり、そして生命の構成要素となる有機分子が存在している。このような環境は、太陽系内では極めてまれだ。
残念なことに2017年9月15日、カッシーニは20年に及ぶ長いミッションが終了し、土星の大気に突入し燃え尽きていった。
次なる冒険者を送るべく、欧州宇宙機関(ESA)では、エンケラドゥスを目的地とする新たな探査ミッションの検討をすでに始めている。
計画されているのは、氷の噴出に再び突入しサンプルを採取する飛行型の探査機に加え、最終的には衛星の南極付近に着陸し、地下海に由来する物質をより直接的に分析するというものだ。
どのような観測機器を搭載するか、あるいは噴出物をどう安全かつ効率的に採取するかといった点については、すでに科学者と技術者の間で検討が始まっている。
今回のように、2008年の古いデータからこれほど重要な成果が得られたことは、今後の探査にとって大きなヒントとなる。
この先、実際に探査機がエンケラドゥスに降り立ち、現地の物質を詳細に分析できるようになれば、生命の存在に関する手がかりはさらに増えることが期待される。
そして仮に生命が見つからなかったとしても、それは「生命に必要な条件がすべてそろっているのに、なぜ存在しないのか」という新たな問いを、科学にもたらすことになるだろう。
References: Eurekalert[https://www.eurekalert.org/news-releases/1099915]