
南米コスタリカの奥地で、完全に近い球体の石が最初に発見されたのは1930年代のこと。以来、次々と見つかり、現在その数は300個を超えるという。
「コスタリカの石球」(Stone spheres of Costa Rica)と呼ばれるこれらの遺物は、一番古いもので2000年以上前に作られたとされている。中には彫刻が施されたものもあるが、「誰が、なぜ、どのように作ったのか」といった謎はいまだ完全には解明されていない。
長年自然に晒された状態だったり、人為的に壊されたため、損傷した石球も多い。
そんな中、いま国際的な修復プロジェクトが進行しており、古代文明の残した謎に迫ろうとしている。
コスタリカの石球とは?
石球の発見された場所と材質、作り方
コスタリカの石球は、主に中央アメリカのコスタリカ南部、ディキス・デルタやカーニョ島で発見された謎めいた球体の石造物である。
2025年現在までに確認されているものは300個を超え、その多くは農地開発や建設作業の過程で偶然見つかった。
球体の直径は10cmほどから、最大で2.6m、重量は15tを超えるものもある。
材質は主に深成岩の一種、花崗閃緑岩が使用されており、他に石灰岩や砂岩が使われた例も確認されている。
製作には金属工具を使わず、加熱と冷却を交互に繰り返して徐々に表面を崩していき、球体に近づいたところで、より硬い石で叩いて球形に整え、砂などで表面を研磨して仕上げていたと考えられている。
いつ、誰が作ったのか?
これらの石球は、紀元前1500年から紀元前300年ごろにかけて栄えた先住民のディキス文化によって製作されたとされている。
ディキス文化は、現在のリオ・グランデ・デ・テラバ川流域を中心に栄えた先住民族の文化で、中央集権的な首長制社会を築いていたと考えられている。
金属器を持たなかったにもかかわらず、高度な石工技術や都市設計の痕跡が残されているが、文字による記録が残っていないため、詳細がほとんど分かっておらず、謎の多い文化とされている。
石球についても、製作目的や意味については未解明な部分が多い。
何のために作ったのか?
これらの石球の正確な製作年代は不明だが、現在のところ、ディキス文化(ディキス石器文化)によって作られたという説が有力とされている。
ディキス文化は、現在のリオ・グランデ・デ・テラバ川流域を中心に築かれた、中央集権的な首長制社会で、 ディキス文化は、西暦500年から1500年まで続いたとする説もあれば、300年から800年ごろに栄えたとする見解もあり、いずれも憶測の域を出ない。
金属器を持たなかったにもかかわらず、高度な石工技術や都市設計の痕跡を残している一方で、文字による記録は存在せず、その詳細はほとんど明らかになっていない。
石球についても、製作の目的や意味は不明な点が多いが、石球の配置には一定の規則性があることが確認されている。
広場に整然と並べられていたり、直線や三角形、さらには円形を描くように配置されていた例もある。
こうした配置から、宗教的・天文的な意味があった可能性や、権力の象徴であったとする説があるが、その謎を探るため、考古学的調査が続けられている。
石球が損傷している理由
石球の破損の多くは風雨や微生物、長年の屋外放置による自然劣化や、人為的な移動による損傷によるものとされている。
一部の石球には、20世紀初頭に「中に宝が隠されている」という噂が広まった影響で、ダイナマイトなどで破壊された例もあるが、実際には何も見つからず、文化財としての価値だけが失われた。
石球の文化的・歴史的価値が見直されつつあり、2014年には「ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群」としてユネスコ世界文化遺産に登録された[https://whc.unesco.org/en/list/1453/]。
現在では、学術的研究とともに保存活動も進められており、石球は、コスタリカを象徴する考古遺産のひとつとなっている。
石球が集中するフィンカ4遺跡での修復プロジェクト
今回修復が行われている3つの石球は、コスタリカ南部の「フィンカ4」と呼ばれる遺跡で発見されたものだ。
ここはシエルペ川とテラバ川の沖積平野に築かれた古代集落跡で、ディキス文化に関連する遺跡群の中でも特に石球の集中度が高い。
フィンカ4では、石球が建物や広場の配置と連動するように並べられていた。複数の石球が直線や図形を描くように配置されていたことからも、宗教的・天文的、あるいは政治的意図があったのではないかと考えられている。
ただし、発見当初は多くが移動・破壊され、正確な位置関係が失われたものも少なくない。
修復対象となった3つの石球は、もともと近隣の道路沿いに展示されていたが、後にフィンカ6博物館跡地へと移された。
石灰岩などの脆い素材で構成されていたこともあり、雨水や湿度、微生物の繁殖、さらには表面の硬化層形成など、環境要因による劣化が進んでいた。
修復を担当するのは、コスタリカとメキシコの専門家で構成されたチームで、国際的な文化財保存基準に沿って処置が施されている。
まず機械的なクリーニングで表面の汚れを除去し、微生物を除去し、殺菌処理も施した。
次に、素材と化学的に適合する石灰系モルタルで脆弱な箇所を補強し、必要に応じて天然顔料を用いた色彩補修も実施された。
いずれの処置も、必要があればあとから元に戻せるよう配慮されており、元の石材を傷つけず、できる限り本来の姿に近い状態で保存することを目指している。
作業に携わったコスタリカ国立博物館のレイフェル・カストロ氏は、「追加したモルタルも、すべて元の石材を尊重した上で慎重に適用した」と語っている。
コスタリカの石球は、その完璧な球体からオーパーツ[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84]ではないかとの噂もある。
石球の正確な製作年代やその目的はいまだ不明ながら、考古学的に歯この地で栄えたディキス文化によりものという説が有力視されている。
今後の研究でその起源や謎が明らかになる日がくるかもしれない。
References: Project is restoring Costa Rica’s mysterious stone spheres[https://www.heritagedaily.com/2025/09/project-is-restoring-costa-ricas-mysterious-stone-spheres/156015] / Unesco.org[https://whc.unesco.org/en/list/1453/] / Museocostarica.go.cr[https://www.museocostarica.go.cr/uncategorized/especialistas-restauran-esfera/]