
海底ケーブルは、今や我々のエネルギー網にとって大動脈となっている。実はケーブルのまわりには、ごく弱い磁場が生まれる。
イギリス・ポーツマス大学が主導する研究チームが行った実験によると、ヨーロッパミドリガニのメスだけが、ケーブルの低周波の磁場のある側に長くとどまり、動きも散漫になることが確かめられた。
メスは、海底ケーブルに魅力を感じているようで次々と引き寄せられていく。このことが、カニの繁殖行動に深刻な影響を及ぼす可能性があるという。
この研究成果は『Environmental Science & Technology Letters[https://doi.org/10.1021/acs.estlett.5c00862]』誌(2025年9月15日付)に掲載された。
海底ケーブルの影響を再現する水槽で実験した結果
ポーツマス大学の実験では、制御した磁場を作る装置「ヘルムホルツコイル」を水槽の一端に配置した長方形の実験水槽を用いた。
今回のコイルは500・1000・3200μT(マイクロテスラ)までの電磁場(EMF)を生成でき、海底送電ケーブルの近くで実際に観測される範囲をカバーしている。
最大値の3200μTは、浅く埋設された、もしくは露出したケーブルのそばで観測される高めのレベルを想定している。
今回使われたヘルムホルツコイルは、500μT(マイクロテスラ)から、最大で3200μTまでの精密な電磁場(EMF)を生成できるものだった。
これは海底電力ケーブルの近くで実際に発生するレベルの磁場を、埋設された深さごとに再現できるようにしたものであり、3200μTは剝き出しのケーブルのすぐ近くのEMFレベルである。
コイルに電流を流すと、水槽内には3つの目に見えないゾーンが生まれる。もっとも強い磁場をもつ「COILゾーン」、磁場の影響がほとんどない「FARゾーン」、そしてその中間にあたる「MIDゾーン」である
この水槽に、オス60匹・メス60匹の若いヨーロッパミドリガニを1匹ずつ投入。それぞれ10分間の実験中、コイルに通電して電磁場を発生させ、カメラでカニたちの動きをすべて記録した。
ケーブルが生み出す磁気の誘惑
まず、コイルがオフになっている間、カニたちは水槽の中をランダムに歩き回っており、特に場所や歩くスピードに法則性は見られなかったという。
だが、コイルをオンにすると、オスとメスのカニの間で明らかに行動に違いがみられるようになった。
メスはコイルに近いゾーンへと移動し、通電中はそこに長く留まる傾向が見られた。滞在時間は通電していない時と比べて平均で約1.3倍に増加したという。
その一方で、オスは条件によって反応がまちまちで、通電の有無によるはっきりした傾向は見られなかった。
研究チームによると、メスは磁気のある側での滞在時間が平均でほぼ倍(87~131%)増え、中くらいの強さでは移動量が約3割落ちたという。しかも、地球の磁気の数倍にあたる、かなり弱い強さでもこの様子が見られた。
これは海底送電ケーブルの電磁場に、カニの性別による反応の差があることを示した初の研究です。
しかもこの差は、電磁場の強さにかかわらず明確に見られたという事実は、洋上エネルギーインフラが海の生態系に与える影響について、これまで以上に慎重な検討が必要であることを示唆しています。
この研究を主導した、ポーツマス大学海洋科学研究所の博士課程学生、エリザベス・ジェームズ氏はこう語る。
なぜメスだけが反応するのか?
しかし、なぜメスのカニだけにこのような反応が見られたのだろうか。研究チームはまだ明確な答えを出していないが、繁殖行動に関連する生物学的な違いが関係していると考えられている。
共著者である同大学環境・生命科学部のアレックス・フォード教授は次のように指摘する。
水生生物への汚染の影響を調査する際、その動物の性別はしばしば見落とされがちです。化学物質による汚染の場合、メスは卵や子へと汚染物質を排出できるため、オスの方が敏感に反応することもあります。
今回のケースではメスのカニの方が敏感でしたが、これは電磁場を感知する独自の能力によるのかもしれません。現在、私たちはこの点をさらに詳しく検証しているところです
実は2021年にも同様の研究[https://www.mdpi.com/2077-1312/9/7/776]が同種のヨーロッパミドリガニを使って行われ、海底ケーブル相当の電磁場でカニの行動や体の反応が変わることは報告されていた。
アメリカ西海岸の調査では、通電中のケーブル近くでも大きな差が見られなかったという報告もある。
カニの種類や季節、海の環境や電気の流れ方などによって、反応は変わりうる。
今回の研究の最大の成果は、同じ種の中でも「メスのほうが磁場の影響を受けやすい」ことを実証的に示した点にある。
今回の研究は、その反応が明らかに性別によって異なることを、実験によって明らかにしたのである。
繁殖行動や生態系に及ぼす影響が懸念される
この研究結果は、甲殻類の繁殖に重大な影響を及ぼす可能性を示唆している。
メスのカニが繁殖の途中でケーブルの磁場に引き寄せられ、移動を止めてしまうと、産卵のタイミングがずれたり、誤った場所で卵を放出してしまう危険がある。
これが繰り返されれば、次世代の生存率は大きく低下し、地域全体の個体数にも影響を及ぼすだろう。
海の生き物の生態は、ちょっとしたタイミングのズレが積み重なるだけでも、長い目で見ると影響が出ることがあるからだ。
研究チームは、2050年になっても海底ケーブルが覆うのは海底全体のごく一部(0.1%未満)にとどまる見込みだとしつつも、その設置方法や場所によっては、カニの移動の「見えない障害」になり得るとして注意を促している。
ヨーロッパミドリガニのメスは、1度に最高で18万5,000個もの卵を産むという。この繁殖サイクルが崩れると、生態系全体に影響が出るかもしれない。
カニは貪欲な捕食者であり、腐肉食でもあり、さらに他の魚類や海鳥にとっては重要な食料源である。カニの個体数が著しく減少すれば、食物連鎖の上流から下流まで、あらゆる生物に影響が及ぶ可能性があるのだ。
この研究は、生態系への人間活動の影響を評価する際に、さまざまな種類の汚染が生み出す行動への影響を考慮するという、私たちの国際的な取り組みに基づいています。
気候変動対策として洋上再生可能エネルギーを急速に拡大し、既存の環境問題を解決する一方で、新たな環境問題を意図せず生み出してしまうことのないよう注意する必要があります
今や人間にとってなくてはならない海底ケーブル
海底ケーブルは、今や我々のインフラにとって欠かせないものとなっている。今こうして使っているインターネットも、海底ケーブルに依存しているのだ。
海底ケーブルの歴史は意外と古く、世界初の大西洋横断電信ケーブルは1858年に敷設された。1866年に改良版が完成すると、船で数日かかっていた通信が数分で届くようになり、世界は一気に狭くなった。。
現代の光ファイバー海底ケーブルも、敷設や保守の基本技術はこの時代に確立された方法を受け継いでいる。
日本は特に通信に関して、国際データのほぼすべて(約99%)を海底ケーブルに頼る「海底ケーブル大国」であり、アジアと北米を結ぶ要の接続点にもなっている。
地球を覆う通信ネットワークや洋上風力発電の拡大とともに、送電用の海底ケーブルは今後さらに重要性を増し、敷設本数も確実に増加していくとみられる。
海の生態系と共存していくためには、設計と運用の工夫が、さらに求められるようになるだろう。
海底ケーブルがどんな風に敷設されているかについては、以前カラパイアで記事にしているので、こちらもぜひ見てもらいたい。
References: Female Crabs Are Drawn to Undersea Power Cables[https://www.zmescience.com/science/oceanography/female-crabs-undersea-cables/]