スマホのカレンダーに1582年10月の表示に空白の10日間がある理由

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 スマートフォンのカレンダーを1582年10月に戻してみると、10月4日の次がいきなり15日になっている。10日分の日付が、まるごと存在しないのだ。

 試しにやってみたところ、私のiPhoneのカレンダーもそうだった。

 これはバグでも、Appleの遊び心でもない。実際にその10日間はこの世から消えたのだ。

 いったい何が起きていたのか?その理由に迫っていこう。

1582年、世界から10日が消えた

 1582年10月、ヨーロッパの人々は奇妙な朝を迎えた。10月4日の夜に眠りについたのに、翌朝のカレンダーは10月15日になっていた。つまり、10月5日から14日までの10日間がまるごと消えていたのだ。

 実はこれ、これは「グレゴリオ暦」への改暦によるものだった。それまでヨーロッパでは、紀元前45年にローマのユリウス・カエサルが定めた「ユリウス暦」を使っていた。

 ユリウス暦暦は4年ごとにうるう年を設ける単純で便利な仕組みだったが、実際の太陽の動きよりも1年につき約11分長く、わずかな誤差が積み重なっていた。

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教会を悩ませた「季節のズレ」

 ユリウス暦の誤差は、十数世紀を経て無視できないほど大きくなった。

 16世紀には春分の日が本来の3月21日から3月11日頃にまで早まり、キリスト教における最重要行事「イースター(復活祭)」の日付が季節と合わなくなっていた。

 イースターは、イエス・キリストが死から復活したことを祝う祭りであり、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定められている。

 春分の日がずれてしまえば、復活祭の象徴である「春の訪れ」も意味を失ってしまう。

この問題を解決するため、ローマ教皇グレゴリウス13世は新しい暦「グレゴリオ暦」を導入した。

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暦の修正は「日付を飛ばす」ことで行われた

 グレゴリオ暦では、太陽の動きに合わせるために10日分のズレを一気に削除することになった。

 1582年10月4日の翌日を10月15日とし、暦を10日進めて季節を元に戻したのである。さらに、うるう年のルールも次のように変更された。

 ユリウス暦では「4で割り切れる年はすべてうるう年」だったが、グレゴリオ暦では「100で割り切れる年は平年、ただし400で割り切れる年はうるう年」とした。

 このわずかな調整で、1年の長さは実際の太陽年(365.24219日)にほぼ一致し、季節のズレはほとんどなくなったのだ。

 つまり西暦1582年はユリウス暦で始まり、10月の途中からグレゴリオ暦が導入されたため、暦上は1年が355日となった。

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グレゴリオ暦は徐々に世界に浸透

 この改暦をすぐに採用したのは、スペイン、イタリア、ポルトガル、ポーランドなどのカトリック諸国だった。

 一方、イギリスやドイツ北部などのプロテスタント諸国は宗教的な対立から導入を拒み、国ごとに切り替え時期が異なった。

 たとえばイギリスでは1752年にようやく改暦が実施され、そのときも9月2日の翌日がいきなり9月14日となり、人々が「日付を盗まれた」と騒いだという。

 ロシアはさらに遅く、1918年、革命後にようやくグレゴリオ暦を採用した。そのため、今でもロシア正教ではユリウス暦を基準に祝日を定めており、クリスマスはグレゴリオ暦で1月7日に祝われている。

 こうして少しずつ世界中の国々が新しい暦を採用していき、現在では日本を含むほぼすべての国がグレゴリオ暦を使用している。

 外交文書や国際会議、科学観測の記録、そして歴史学における年代表記もこの暦に基づいており、1582年10月以降の出来事は、現在ではグレゴリオ暦で記されるのが一般的となっている。

スマホで見られる「消えた10日間」

 現代のスマホやパソコンのカレンダーでスクロールしまくると、その空白の10日間を見ることができる。1582年10月を表示すると、10月4日の次が15日になっているのだ。

 これは、改暦の歴史を忠実に反映しているためだ。バグでもなく、いたずらでもなく、実際に存在しなかった日を正しく表示しているのである。

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日本にもあった消えた日 「明治の改暦」

 日本でも、似たような「日付が消える出来事」があった。

 もともと日本の暦は、中国から伝わった太陰太陽暦をもとに作られていた。奈良時代には「元嘉暦」や「宣明暦」など中国の暦をそのまま用いていたが、次第に日本独自の観測や計算を取り入れるようになった。

 江戸時代には、国内の天文学者が自らの観測データをもとに改良を重ね、貞享暦、宝暦暦、寛政暦を経て、最終的には天保暦が使われていた。

 しかし、欧米との貿易や外交のために国際的な暦に合わせる必要があり、政府はグレゴリオ暦を採用することを決定する。

 太政官布告第337号によって「明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日とする」と定められたため、旧暦の12月3日以降は存在しなかった。これが 「明治の改暦」である。

 このため、歴史上では「日本では明治に“12月が消えた”」とも言われている。実際には、旧暦から新暦へと切り替えた結果、一か月分の期間が丸ごと新しい暦に置き換えられたのだ。

 なお、この変化は現代の電子カレンダーには反映されていない。カレンダーアプリは国際的なグレゴリオ暦のみを基準に作られているため、世界的な改暦である1582年の「消えた10日間」だけが記録されているのである。

追記(2025/10/16)明治の改暦の章を更に詳しく補足をくわえて再送します。

References: Wikipedia[https://en.wikipedia.org/wiki/Gregorian_calendar]

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