3500年前の古代エジプト軍事要塞を発見、パン生地の化石が残されていた
古代エジプト軍事要塞/ Image credit:Ministry of Tourism and Antiquities

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 エジプト北部のシナイ砂漠で、約3500年前に築かれた古代エジプト軍の要塞が発見された。

 場所は古代の軍用道路「ホルスの道」沿い。

砂に埋もれたまま驚くほど保存状態が良く、内部からは当時のかまどや、焼かれることなく残されたパン生地の化石まで見つかった。

 この要塞は古代エジプト第18王朝の第3代ファラオ、トトメス1世の時代に建設された可能性が高いとされ、エジプトが東方へと勢力を拡大していた時代の防衛線の一部だったことがうかがえる。

ホルスの道沿いに築かれた古代エジプトの防衛拠点

 北シナイ砂漠にある考古遺跡テル・エル・カルーバで要塞の跡地が見つかった。

 ここはナイル川デルタと東地中海沿岸を結ぶ古代の軍用道路「ホルスの道(Way of Horus)」の要衝に位置する。

 ホルスの道は、天空の神「ホルス」[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%82%B9]にちなんで名づけられた。古代エジプトのファラオたちはこのルートを通じて東方遠征を行い、アジア方面との交易や軍事行動を展開していたと考えられている。

 今回発見された要塞は約8,000平方mの規模をもち、地中海沿岸に近い位置にあったとみられる。

 出土した土器や建築構造から、トトメス1世(在位:紀元前1504~1492年)の治世に建設された可能性が高いと、エジプト観光・古代遺産省は発表している。

 トトメス1世はエジプトの勢力を現代のシリア地方まで拡大した王として知られ、その支配領域の広がりを支える防衛拠点の一つだったとみられている。

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11の防御塔とトトメス1世の名を刻んだ土器

 要塞は強固な防御を誇っていた。これまでに11の防御塔が確認されており、いくつかの塔の基礎部分からは建設時に埋められた「基礎奉納品」と呼ばれる土器が発見された。

 古代エジプトでは、新しい建造物の建設時に、神々への祈りと加護を願って奉納品を埋める儀式が行われていた。

 出土した土器には、トトメス1世の名前がヒエログリフ(象形文字)で刻まれていたという。

 要塞の規模と構造から、当時ここには400~700人、平均で約500人の兵士が駐屯していたと推定されている。

 内部には倉庫や中庭、兵舎などがあり、生活と戦闘の両面を支える施設だったことがわかっている。

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ジグザグの壁で仕切られた居住区域からパン生地の化石

 発掘を率いたエジプト観光・古代遺産省下エジプト・シナイ考古部の次官、ヘシャム・フセイン氏によると、要塞内部には北から南に延びるジグザグ状の壁があり、西側の居住区域を区切る構造が見られたという。

 この独特な形状は、壁を補強し、砂漠の強風や砂による侵食を軽減するための工夫だったと考えられる。

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 さらに外壁のくぼみには小型のかまどがいくつも見つかっており、兵士たちが日常生活の中で使用していたとみられている。

 そのうちのひとつのかまどのそばから、焼かれずに残されたパン生地が化石化した状態で発見された。

 3500年前の兵士が食事の準備をしていた、その一瞬が時を越えて蘇ってくる。

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エジプトの防衛網を示す重要な発見

 要塞内部からは、エーゲ海諸島産とみられる火山岩も見つかっており、建築資材として使われていた可能性がある。

 フセイン氏によると、この地域には要塞を補給していた港が存在した可能性があり、現在その痕跡を調査中だという。

 シナイ砂漠の別の要塞「テル・エル・ボルグ(Tell el-Borg)」を発掘してきた考古学者で、トリニティ国際大学のジェームズ・ホフマイヤー教授は、この発見を「非常に重要な成果」と評している。

 彼によれば、テル・エル・ボルグの要塞と今回の新発見は、いずれもエジプトからカナン(現在のイスラエル・パレスチナ地方)へと続く軍用道路の防衛網を形成しており、エジプトが約4世紀にわたり東地中海沿岸を支配できた要因の一つだったという。

 また、トトメス1世がこの要塞の建設を命じた可能性は、彼が西アジアにおけるエジプト帝国の基盤を築いたという長年の説を裏づけるものでもある。

 ホフマイヤー教授は「彼こそがこの防衛システムを最初に築いた王であり、その後の王たちは彼の遺産の上にさらなる要塞を築いていった」と述べている。

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東の国境を守った兵士たちの姿

 アラバマ大学バーミングハム校のエジプト学者で人類学教授のグレゴリー・マンフォード氏も、「この遺跡の研究は、新王国初期におけるエジプト北東部の防衛線、つまり『ホルスの道』沿いの防衛体制を理解する上で大きな前進になる」と語る。

 エジプトがどのように東の国境を守り、帝国の支配を維持していたのかを明らかにする貴重な手がかりになるとみられている。

 発掘と分析は現在も進行中で、3500年前の兵士たちがどのような日々を過ごしていたのか、その全貌が明らかになる日は近いかもしれない。

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References: Facebook[https://www.facebook.com/tourismandantiq/posts/pfbid02hyJ3HyXb2pVr4uRGLHvSPb7HULXhpBzJvwvDQ1XgHBFRTXCmVH6Du5y9q21y9Jqul]

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